二百三十五話
(´・ω・⊂彡☆))ω;`)) パーン
「ヴィオ様。お迎えに上がりました」
「あーうん、ご苦労様。随分と仰々しいね?」
「はい。少々立て込んでおりまして」
ヴィオちゃんと、誰か男の話し声が聞こえてくる。
どこか硬い、キビキビした物言いの男からは、どことなく軍人のような印象を受ける。
すると、ヴィオちゃんのため息と、船長への別れの挨拶が聞こえてきた。
そうか、ここで彼女とはお別れか。しっかりと挨拶、出来なかったな。
僅かばかりの申し訳無さと寂しさを感じていると、再び別な人間の声が聞こえてきた。
それは、どこか人を小馬鹿にするような、侮蔑の色の込められた――
「あら、混じり物の負け犬……貴女の場合負け猫かしら? 奇遇じゃない」
「……“シーリス”。なに? 別に私はアンタに負けた訳じゃないんだけど」
「同じよ。私の国の人間に負けた以上、貴女は負け猫。ダリア様のお情けで生かしてもらった分際で、随分と粋がるじゃないの。ここは共和国ではなくてよ」
「そっちこそ、ここはそのダリアがいない港町。誰も守ってくれないよ? ねぇ、ここで私とやりあう? 私は構わないよ。これでも、侮辱罪を適用出来るくらいには私にだって権力がある」
一触即発、だな。随分と仲が悪いようだが。
互いの声に滲む『この相手を叩きのめしたい』という感情が、手に取るように分かるその言い合いに、ついゴクリと唾を飲んでしまう。
男は、いつだって女同士の争いに若干の恐怖を覚えてしまうものなんですよ。
「ふん、相変わらず血の気が多いわね。獣の血を引くだけはあるわ」
「血筋しか誇るもののない人間に言われたくないね」
「あら、分かっているじゃない。私達は何よりもこの血を尊んでいる。ブライトの血脈を軽んじる人間は、誰であっても許しはしないわ」
「ふーん。私には理解出来ないけれどね。まぁいいや、私は行くよ、ここにいるとその濃―い血とやらの臭いが移っちゃいそう」
「こっちのセリフよ、獣臭い。とっとと山奥に引きこもりなさい」
すると、大勢の足音が遠のいていくのが伝わってきた。恐らくヴィオちゃんとその迎えが去っていくのだろう。
足音に混ざる金属音から、その人間達が鎧を身に着けている事が窺い知れる。
……ふむ、ただの迎えにしては随分と物々しいように感じるが。
とその時、最後にもう一度彼女の声がこちらに届いた。
「あーそうそう、船員さんと、親愛なる友人達に伝言。凄く、楽しかったよ! また絶対に会おうねー」
「なにを言っているの。大きな声出さないでくれないかしら」
「はいはい。じゃあねー」
……まったく。こっちが必死に隠れてるってのに。
だが、その明らかに『こちらに聞こえるような』言葉につい、口の端が持ち上がる。
ああ、俺も楽しかったよヴィオちゃん。絶対に、また会おう。
そう心の中で願い、この暗闇の中で瞳を閉じる。
思えば、彼女とも長い付き合いになってしまったな。確か最初は……はは、そういえばかにチャーハンを頼んでいた彼女の後ろに並んだんだっけ。
そうだな、今度会ったら俺がとっておきのかにチャーハンを作ってあげよう。
未来へ向かって、再会を願って計画を立てていたその時だった。
先程まで聞こえていた声が、すぐ側から聞こえてきた。
コンテナのすぐ外、そこに『シーリス』と呼ばれた女がいるようだ。
「船長、この箱は?」
「そちらは、ブライトネスアーチへと運ぶ予定の、献上用の品でして……」
「そう。中身は?」
「セミフィナル大陸に集まってきた、各国の美術品や貴重品、他にも、あの国で生み出された魔導具などでございます」
「ふん。あの田舎の未開人の国で生まれた、ね。確かヒューマンの女だったわね、代表は。昔、分不相応にもダリア様に楯突いた」
「は……そうなのですか」
オインクの事だろうか。
ダリアに楯突いたとは、どういう事なのだろうか。
俺は結局、彼女に二人との再会についての詳しい話を聞けずじまいだった。
勿論、尋ねはしたのだが……その詳細を教えてはくれなかった。
ただ一言『協力を打診したけれども、それは断られてしまった』と。
その時は俺も『国の上に立つ以上、安請け合いは出来ないのだろうな』と、その程度の感想しか抱かなかったのだが……。
「ふふ、今思い出しても笑えてくる。王城の前で泣きながら縋り付くあの無様な姿。私がこの港まで連行したのよ? あんなのが向こうじゃダリア様と同じ『聖女』と呼ばれているなんて、お笑いよね」
「……左様でございますか」
……ブライトの血統というだけで殺意を抱くのには十分だと言うのに、なんとも酔狂な。
いや、不運なヤツだ。よりによって俺の側で豚ちゃんを悪く言うなんて。
ついこの間、あいつを生涯で最大の恩人だと、友人だと認めた俺の側でそれを言うか。
名前、確かに覚えたぞシーリス。
俺の中の『絶対に復讐をしなければ気が済まない人間リスト』の栄えある最初の登録者に、祝福と呪いを捧げる。
だがその直後、耳を疑う言葉がこちらに届いた。
「私が検分するわ。もしもくだらないものが紛れていたら、献上なんてとても許されないもの」
「お、お待ち下さい! これは、他でもない国王に頼まれたもの達です。それをまさか無断で開封したなどと――」
こちらが隠れているのを知っている船長が、必死に引き留めようと声を荒らげる。
大丈夫か、この相手は相当な権力者のようだぞ、楯突いたりしてタダで済むとは思えないのだが……。
その心配が、杞憂では済まなかったのだと、知らされる。
船長のうめき声と、金属がこすれるような音がコンテナ内に反響する。
こいつ……抜きやがったな。どこまで腐ってやがる……。
「私が誰だか分かっているのかしら。国王が私の行いを罰すると、本気で思っているのだとしたら立派な侮辱罪よ。あの負け猫の言葉を借りるなら、私もその程度の権力があるの」
「ひぐ……申し訳ありません……どうか、どうか命だけは」
「殺しはしないわ。貴重な船乗り、そのまとめ役だもの。ふふ、少しは箔が付いたのではなくて? よく似合っているわよ、その傷」
……リストの名前を変更しないといけないな。『絶対に殺すリスト』だ。
だが今は、このピンチをどう乗り切るか、そこに意識を集中させろ。
……隠れられそうな品は……ない。どうする、なにか方法はないか。
暗闇の中、なにか手段はないかと手探りで物品を確認していると、コツンと何かが手に触れる。
それを確認するように触っていくと、なにやら丸みを帯びた二つの膨らみを掴むことが出来た。
……硬い。が、これは紛れもなく――
「裸婦像……ああ、クソ、乗り切る方法を『思いついてしまった』」
これしか、ないよな……。
「行っちゃったね、ヴィオちゃん」
「ええ……最後の言葉は、私達に向けたもの、だったのでしょう」
「共和国かぁ……カイくんの用事が終わったら、行ってみたいね」
「……ええ、そうですね。すべて、終わったら……」
暗いコンテナの中、押し込まれるように身を隠した私の腕の中で、リュエがポツリとそう漏らす。
分かっている。私たちは気がついている。カイさんが、何を望んでいるのかを。
ずっと、一緒にいましたから。あの人が何を考え、何をしようとしているのか、薄々分かってしまうんです。
そして……私もこの腕の中の彼女の為ならば、それをたぶん、肯定してしまう。
そして同時に、彼女もそんな私達を止めることは出来ないと、気がついてしまっている。
負担に、なってしまっているのでしょうか。
私はつい、少しだけ彼女を抱く腕に力を込めてしまう。
本当は、私達の中の誰よりも思慮深く、そして見守ってくれていた姉。
この小さな体で過ごしてきた、千年にも上る孤独な時間。
それを思えば、カイさんが今動き出そうとしているのも仕方のない事だ。
これからの事を考え、そして少しだけ不安な気持ちが生まれた時だった。
私達の潜むコンテナが、小さくノックされた。
『姉さんがた。今、ちょいと揉め事があってみんなの気が散ってる。今のうちにこっそり抜け出して野次馬に紛れ込んでくれ』
「わかりました。リュエ、行きましょう」
「う、うん。なんだかドキドキするね」
静かにコンテナの口が開き、その隙間から滑るように外に出る。
その瞬間、先程まで暗い場所にいたせいか、妙に眩しく感じてしまい、目を閉じてしまう。
細目を開け、背後から出てきたリュエの手を取り、その今起きているという揉め事を遠巻きに見ている方たちの中へと紛れ込む。
「リュエ、もう安心ですよ」
「そ、そうみたいだね。なにがあったんだろう……今少し人の叫ぶような声が聞こえたよ」
「叫び……?」
夢中になっていて気が付かなかったみたいです。
彼女の言う叫びの正体を探ろうと、人混みに紛れながら積荷の方へと目を向ける。
――そこには、顔を両手で抑え、その隙間から血を流し膝をついた、私達がお世話になった船長さんの姿があった。
隣のリュエの身体が、前に出ようとする。それを止めるよう、彼女の手をしっかりと握る。
「レイス、どうして止めるんだい。治してあげないと」
「……それは、全て終わってからにした方が良さそうです……あの女性、剣を抜いたあの方が仕出かしたのでしょう。今出ていくのは……」
言えない。今あそこに向かっては『こちらが損をするだけだ』と。
集まっている面々を見るに、あの女性は立場ある人間。そんな彼女に目をつけられてしまえば、今後の活動に――ああ、そうか。これが、カイさんが動かない状態、オインクさんの加護のない状態なのだ。
私はすっかり、カイさんやオインクさんの元で過ごす事に慣れてしまっていた。
理不尽、暴力。それに晒される人間は、どこにだっている。
それを、いつもカイさんは真正面から叩き壊してきた。
けれども……ここでは、それが出来ない。
ならば、ずる賢く、目を盗み、望む結末を手に入れなければならない。
大丈夫、私はそれに、慣れている。
「リュエ。離れた場所からの治癒魔法はありませんか?」
「……あるにはあるけれど、効果は薄いよ」
「今は、それで我慢してください。すべて終わるまで、どうか」
承服しかねているのだろう。それは私だって同じ。
けれども、それが今、求められている事。
ならばこうして耐えるしかない。
「……あ! レイス、大変だよ、あの人カイくんの箱開けようとしてる」
「っ!?」
葛藤の最中にかけられた声。まさかと思い慌てて視線を向けると、ゆっくりと、彫刻のされたコンテナの一辺が開いていくところだった。
日光に晒され、その内に収められていた美術品の数々が姿を表していく。
強く、拳を握る。あの人は、カイさんは大丈夫なのかと。
隣でリュエが、思わず回復の魔法を止めて、オロオロとこちらを見つめだす。
だ、大丈夫、です。カイさんならきっと――
「も、もう少し近くへ行きましょう」
「う、うん。逃げられるように準備、しておくね」
目が離せない。私は美術品の影に、彼が隠れているのではないかと必死に目を凝らす。
大きな絵画の裏。美しいキャビネットの内部。ピアノだろうか、見たことのないような輝きを放つ素材で出来たそれの足の影や、見るからに上等そうなソファーの裏。
けれども、彼の姿が見当たらない。
よかったと思う反面、疑問も浮かび上がる。彼は、どこにいってしまったのかと。
するとその時でした。見聞をしていた、剣を携えたエルフの女性が声を上げたのは。
「見事……! まさか、これほどまでに精巧とは……船長、いつまで蹲っているのかしら。これ、この品の出自を言いなさい」
「うぐ……う? 血が……止まった? は、はい! おい、誰か積荷の納品書を持って来い!」
蹲っていた船長さんの血が止まっているのを確認し、ほっと一息つく。
そして、何を見てそこまで興奮しているのかと、そちらに目を向ける。
するとそこには、白亜の裸婦像が鎮座しており、そして――
「……え? あれ? あれ?」
わ、私の目がおかしくなってしまったのでしょうか。
裸婦像に手を差し伸べる形の、美しい水晶のような輝きを放つ裸夫像。
けれども、それが私には……カイさんに見えるんです。
間違いありません、あの身体は……まさか、そんな事まで出来るんですか!?
あ、ダメです。いくら透明でも、見えてしまう! ああ、ダメです!
「レイス、レイス! あれカイくんだよ……すっけすけのカイくんだ!」
「わ、私の魔眼でも確認できました……たしかにあれは……はう」
ああ、見たらダメなのに、ダメですのに!
興奮した頭で、その変貌した姿を白日の元に晒す彼を見ていた時。
目の前でそれを観察していた女性が、その透き通る身体に手を――
胸板をなで、腹筋の起伏に指を這わせ……そしてさらにその下へ――
……触るな。私達のカイさんに触るな。
「ひゃ、ひゃあ! あの子どこ触っているんだい!?」
「殺ス。リュエ、私が出ます。援護をお願いします」
「ええ!? さっきレイスが出るなって言ったんだよ!? 待って、レイス待って!」
止めないで下さい、止めないで下さい!