二百三十二話
_( (_´・ω・`)_ スイスイ
だんだんと日中の暑さに我慢が出来ず、皆薄着に移りつつある頃。
乗船時に手続きをした船の責任者に呼ばれ、船長室へと通された。
するとそこには、俺の他にもう一人、ヴィオちゃんの姿も。
しかし、その表情は少々暗く、どことなく不機嫌そうな色を覗かせていた。
そして彼女に対面していた船長は、どこか複雑そうな表情をさせた後、ゆっくりとこちらに向き直り語りだした。
「来てくれたか。実は、先程港町から魔導無線が入ってな。つまりもう識別結界の内部に入ったという訳なのだが……なぁ、悪い事は言わん。あの白髪をどうにかした方が良い。外部から忌み子を連れてきたなんて、さすがに俺もお前さん達も外聞が悪すぎる。それに、どうやら今港には共和国側の使者が着ているらしい。その影響でサーディス側の人間もピリピリしているんだ」
「……共和国の人間は、たぶん私を迎えに来ているんだよ。だから、到着次第私と一緒に港を去る事になるから安心しなよ。船長さんにも、しっかり謝礼も支払われるし。だから――」
「ヴィオさん、悪いがこれは報酬の話じゃないんだ。すまん」
ああ、また不機嫌になる。
俺の機嫌が損なわれる。
そういう文化なのだと、頭で理解していても。
感情を押さえ込み、船長が言わんとしていることを俺なりに噛み砕く。
「……つまり、いつもより周囲の目が厳しい状態で、目をつけられるようなリスクは負いたくない。俺達を適当な小舟にでも乗せて船から下ろしてしまいたいと?」
「もしくは、髪を染めるか、だ。主要施設や王都じゃあバレちまうかもしれんが、ただの玄関口だ。ちょいと髪を染めてもバレやしないだろうさ。アンタも、最初から染めさせりゃあいらんトラブルも起きなかったろうに」
もちろんそれだって考えていたさ。
以前、アーカムのところに向かう際だって彼女は髪を染めていた。
しかし、今回はそれとは理由が異なる。
何も悪くないのに、自分の身を誤魔化すなんて。
何故かそれが、彼女や俺が、忌々しいエルフの王族に屈してしまうようで、我慢ならないのだ。
「仲間と相談してくるよ。最悪の場合、小舟を一艘貸してくれ。金は払う」
「ああ、そいつは構わねぇが……しかし、なんだって忌み子にそこまで入れ込む。あんなの百害あって――」
「船長さんストップ! あのお姉さんは外の大陸で生まれた無関係な人なの。つまりこのお兄さんもそういう風習を知らないの。あんまりそういう事言わないで?」
「む、そうだったか。悪いな」
船長室を後にする。
すると、前を歩いていた彼女が振り返り、そしてそのまま頭を下げた。
「ごめん。私の所為だ」
「なにが?」
「港が警戒態勢に入っているの。その所為で、お兄さんに余計なストレスを抱えさせて」
「ストレスは否定しないが、君の所為だとは思っていないよ。それより、わざわざ迎えが来るなんてさすがだな、共和国最強」
「あはは、まぁね。……この大陸ってさ、色々危ないバランスの上で成り立っているんだよね。だから、本来だと私はそのバランスを保つために、国を離れるべきじゃなかったんだ」
自嘲気味に呟く彼女。
語られる、サーディスの現状。
強い力を持つが故に、柵に縛られている彼女。それはもしかしたら、俺が辿る事になったかもしれない道。
いや……強い力故に苦悩しているのは、彼女だけではないのかもしれないな。
「じゃあ、ヴィオちゃんとはもうすぐお別れ、なのかね」
「そうなるね。まぁ、お兄さんたちが共和国に来るなら大歓迎だよ。どうする? このまま一緒に来ない?」
「魅力的な提案だが、他にやることがあってね。けど、いずれ向かうよ。それは約束する」
「本当? 絶対だよ? 退屈なんだよね私の国って」
ああ、俺の目的。ダリアとシュンに会い、そしてなんとかしてエルフの王家と接触を持つ事。
そして――真実を突きつける事。この白髪を忌む風習を作り出したのは誰なのか問い質すこと。
ああ、取り繕うのは面倒だ。つまりリュエに纏わる不利な事を行う人間全てに、謝罪をさせるのが俺の目的だ。
それが済んだらもう、そんな国、どうなろうが知ったこっちゃない。とっととおさらばすれば良い。
共和国。是が非でも行ってみないとな。
かつて、リュエの為にわざと料理を残したという逸話。
そんな人間の末裔が住むかもしれない国ならば、きっと俺も心穏やかに過ごせるだろうから。
今日もリュエは、あの太陽少女と一緒に甲板の端の方で遊んでいた。
が、今日は珍しくレイスの姿もあり、三人でなにかをしているようだった。
「いいかいレイス。釣りはね、じっと待つのが大事なんだ」
「は、はい。ただ見ているだけでいいんですよね」
「それで、ウキが沈んだら、グイっと竿を立てて……糸を巻くんだったかな」
「はむは釣れた魚を食べる係はむ」
なるほど、三人で釣りをしていたのか。
そういえば、セミフィナルに向かう時、よく俺も釣りをしていたっけ。
だが、あの時リュエは自分に釣りが向いていないと悟り、諦めていたような。
よく見れば、彼女は竿を持っていない。つまり、向いていない自分の代わりにレイスにお願いしている、と。
「三人共、釣れてるかい?」
「あ、カイくん! 見ててごらん、今にレイスが大きいの釣るからね。カイくんはいつも小さなお魚を釣っていたからね、これで驚かせてあげようかと」
「ふふ、では私は頑張ってマグロを釣ってみせますよ!」
「なんでもいいから釣ってくれはむー」
「ははは……さすがにマグロなんて釣れないだろう」
息巻いている三人が可愛くて、伝えねばならない事を忘れてしまいそうになる。
今はいいか。彼女達が楽しんでいるところに水を差すのも申し訳ない。
それに――俺も釣りがしたい。
俺はアイテムボックスから自分の道具を取り出し、すぐさま海へ向かい投げ入れる。
今回はルアーフィッシングだ。もうすぐ大陸に着くのなら、今のうちに沖でルアー釣りを体験しておかねば。
この温暖な気候。きっと魚も活発だろうし、いい戦いが楽しめそうだ。
「やはり、この釣り竿ではマグロは釣れないのですね……もう少し丈夫なものならば釣れるのでしょうか……」
「んー? たぶん生息地が違うんじゃないかな。寒い場所にいるって聞くからね」
「なるほど……」
冗談かと思ったのだが、割と本気でマグロを釣るつもりだったようだ。
少しだけ残念そうにリールを巻く姿が、なんとも可愛らしい。
そしてリュエもまた、そんな彼女を微笑ましそうに見つめていた。
ふむ……マグロは無理でも、それに近い魚はいるかもしれないな。
地球でも、温暖な海には『カジキ』が生息していたのだし――
「きゃ!?」
「レイス!?」
そう思った矢先の事だった。隣のレイスから小さな悲鳴が上がり、そして次の瞬間上半身を船から乗り出し、今も海に引きずり込まれそうな体勢になってしまっていた。
リュエが腰にしがみつき、彼女を引っ張り上げようとする。
「レイス、釣り竿を放すんだ!」
「だ、だめです! きっと、大きな獲物が……!」
「……分かった、任せろ!」
彼女の釣り竿の先を見ようと[五感強化]を自身に付与する。
細い糸の先をしっかりと捉え、海面へと視線を辿らせる。すると、僅かに光る魚影が海中で躍っていた。
大きい……二メートルは確実にある。俺はすかさず自分のルアーを巻き戻し、大物用のリールとルアーに付け替え、そして彼女の獲物がいる場所へ向かってキャスティングした。
もはや戦闘行為として認識しているのか、あり得ない距離、ありえない制度で飛んでいく疑似餌が、その魚影に確かに引っかかる。
「重さを半分受け持つ! リュエ、レイスと協力してあの魚を弱らせるんだ」
「わ、わかった!」
「カイさん、糸が巻き取れません、どうすれば!?」
「少し弱らせよう。今だいぶ暴れてる最中みたいだから、アイツの動く方向に合わせて竿を傾けるんだ」
「動く方向……分かりました」
彼女もまた魔眼を発動させ、糸の先を強く見つめる。
右へ左へと暴れる糸を切らさないように、彼女も竿を右へ左へと合わせていく。
そしてこちらも、彼女の動きに合わせるようにして、少しだけ竿を立てて引くようにしながら魚の体力を奪っていく。
「……本当に、カジキなのか」
彼女のマグロを釣りたいという気持ちに応えるような大きな魚体。
今度は[詳細鑑定]を発動させ、その影を観察する。
【種族】 ノーブル・グラディウス
【レベル】49
これは、魔物なのか、それとも魚の種類なのか。
しかしその種族名に含まれる『グラディウス』は、確かカジキの学名かなにかだったと記憶している。
ならば、これは本当にレイスが満足する魚なのではないだろうか。
「レイス、この魚は絶対に逃さないように! これ、マグロに似た魚だから」
「ほ、本当ですか! どうしましょう、早く釣り上げないと……」
「リュエ、近くまで引き寄せたら雷の魔術を頼む。こいつ、すごく危ない魚だから」
「りょ、了解!」
「はむは!? はむはなにしてたらいいはむ!?」
「はむちゃんは危ないから後ろで適当に踊ってて!」
「踊……踊ってるはむ」
ゆっくりと、けれども着実に巻き取られていく糸。
元々船で購入した道具なので、大物にも対応しているはずだが、なんとか保ってくれよ。
そうして、五分、一◯分と格闘を繰り広げていく。
二の腕に疲労感が蓄積されつつあるが、これはもはや戦闘。そんな疲れを吹き飛ばすように自身に[生命力極限強化]を付与する。
やがて肉眼でもその魚影を、日の光を反射する姿を捉えられる距離まで引き寄せられてきた。
もうすぐ、もうすぐだ。
「がんばれはむー! もう少しはむー!」
「カイさん……私のリールが……そろそろ限界みたいです」
「了解、後は俺が引き寄せるから、リュエは魔術の用意!」
「分かった! 魚の頭が見えたらそこにぶつけるよ」
やがて船体の真下までやってきた、その大きな魚体。
すっかり弱っているのか、ゆらゆらと動きながら、鼻の先端の尖った部分をこすりつけてくる。
……糸を切るつもりか、油断ならないな。
が、その一瞬の隙を狙い、大きく竿を立て、鼻の先端を含む頭部を一気に海面から引きずり出してやる。
その瞬間、一筋の閃光が魚に当たり、一瞬だけビクリと暴れた後に、静かに水中に漂うように浮かび上がる。
……勝負ありだ。ここまで引き寄せたのだから、魔術を使っても許されるだろう。
地球でも、確か電気を流して大人しくさせてから引き上げていたのだし。
「さすがに持ち上げるのにこの糸じゃあ無理、だよな」
フックつきの縄でも借りられないかと、甲板へと振り返る。
するとそこには、いつのまにか大勢のギャラリーが出来、固唾を飲んでこちらを見守っていた。
やはり、海で生きる人間として興味があったのだろう。
「誰か、引き上げる為の道具を貸してくれませんか」
「も、もう用意してある。ほら」
「ありがとうございます」
おずおずと、引き上げ用のワイヤーを手渡す船員。
それをすかさず海に投げ込み、魚の口に引っ掛ける。そして――
「せーの……よいしょお!」
水しぶきを上げながら、海から飛び出してくるその大きな、想像よりも遥かに大きな魚体に、俺も含めて全員の口から驚愕の声が上がる。
ええ……まってこれ、本当に釣れたのかよ。
「う、うわあ! 魚の化物だ!」
「す、すごい……」
「お、おっかねーはむ! はむ食われちまうはむ!」
体長二メートル? いいえ、三メートルは優に越えています。
流線型を少しだけシャープにしたようなシルエットに、美しい銀と黒のボディ。
まるで水を切り裂くような鋭いヒレと、磨き上げられた剣のような鼻。
そして、身体をうっすらと覆う、水色のオーラのようなもの。
まさか本当に魔物だったのか……。
「グラディウスだ……しかも、青く光ってる……すげえ」
「本当にいたのか……」
「せ、船長呼んでこい! こんなん、何十年も船にのってもお目にかかれねぇぞ!」
船員の反応に、やはりこの魚は規格外の大物だったという事が伺い知れる。
だが、俺はそれよりも気になる事があった。
それは勿論、今も魚を興味深そうに見ているレイス。つまり、食べられるか否か。
地球のカジキならば、刺し身にしてもあっさりとしたマグロのような味で美味しいし、火を通してムニエル、ステーキ、オイル漬けにしても美味しい魚だ。
そう思い彼女に『マグロに似た魚』と説明した。
だがもし食べられないとしたら……。
「凄い……私が昔見たマグロよりも、遥かに大きいです……お腹いっぱい食べられますね」
「そうだねぇレイス! やったね、本当に大きな魚、それもマグロみたいなヤツだ!」
嬉しそうに笑う二人の為にも、食べられる魚であってくれよ?
そう祈っていると、集まっていた船員が左右に割れて、先程別れた船長がやってきた。
そして、甲板に横たわる巨大なノーブル・グラディウスを目にした瞬間、腰を抜かしてしまった。
はっはっは、どうだ船長。さすがにぐうの音も出ないか!
「な……まさか、本当に、ノーブルだと!? そんな、こんな大物……なぁ、兄さん。こいつ、譲ってくれないか!? こんな魚、未だかつて誰も釣り上げた事がないんだ、これをもし王家に献上出来れば――」
瞬間的に頭が冷える。心が静まる。
「断る。悪いがいくら金を積んでも無駄だ。俺が乗船する為に支払った金額、分かっているだろう?」
「くっ……だが、間違いなく王家の憶えも良くなるぞ!? 国王は無類の魚好きだ。そして釣りも大好きなんだ。もしも献上出来れば、格別の待遇で――」
そこまで言われて、少しだけ考える。
俺の目的は、ダリアとシュンに会う事以外にも、王家に接触するというものもある。
確かに足がかりにはなりそうだ。だが――視界の隅で我が家のお姉さん二人がしょんぼりしているんですよね。
いやぁ無理でしょう、これで献上とか絶対に無理でしょう。
「悪いな。これは俺達が腹いっぱい食うと決めているんだ」
「ぐっ……仕方ない。俺も海の人間だ。他人の獲物にいつまでもたかるなんて真似、本当はしたくない。いや、良い物見させてもらった。もし調理が難しいならうちの人間を使っていいぞ」
「ああ、じゃあ場所だけ貸してくれないか? いや、甲板で捌いたほうがいいか……ここに道具を出す許可をもらえたらそれでいい」
「分かった。ただ、少し見学させてくれ。それと――王家献上用の貨物コンテナに一つ空きを作っておく。そこなら無闇に探られはしない。意味、分かるな」
「……なんだ、急に」
「アンタ達みんなで釣り上げたんだろ。そいつに敬意を表したくなっただけだ」
そう言いながら、船員に指示を出し始める船長。
……ははは、話せば分かるじゃないか。
別に、全てのエルフが敵という訳ではないんだな。
(´・ω・⊂彡☆))ω;`)) パーン