二百二十四話
きっと、私達が次にここを訪れる時は、何かに決着がついた時だから。
その時には、きっと彼の心は、私とリュエで埋まってしまっているから。
けれども――それでは不公平だ。彼を思う人間は、なにも私とリュエだけではないのだから。
「落としてみせます。貴女を……ただの一人の人間として、カイさんの前に立たせる為に」
告げずに終わる恋の辛さ。それを私は知らない。けれども、その辛さを味わった人間の表情、そしてその後悔の涙とその後の人生を、私は嫌というほど知っている。
『行かないで』『貴方が好きです』『私を連れて行って』その言葉を言えず、失意の道を歩んできた娘を、たくさん知っている。だから――友である貴女に、そんな道を、これから先長く険しい道を進む貴女に、失意の道までも歩かせる訳にはいかないから。
ずっと見せてきた彼女の親愛の表情。時折見え隠れする、諦めにも似た笑み。
達観したようでいて、どこか諦めきれない感情が潜む仕草。
上に立つ者の責任で隠そうとする、本当の気持ち。
……ダメなんですよ。その心は解き放たないと。
生物なんです。息もできない場所に押し込め封じていては、それは死んでしまうんです。
死んだものを抱いたまま、貴女はこの長い道を歩んでいくつもりですか。
死んだものは腐り落ち、やがて自らを蝕んでいく。
貴女の進む道は、そんな有様で歩んでいけるようなものではないはずでしょう。
私は言った。『未来永劫、この地を導いて』と。
それがどういう意味なのか、貴女はキチンと理解してくれたはず。
『思いに決着を付け、憂いなく自分の道を進んで欲しい』と。
「くっ……こっちもですか」
空から降り注ぐ、とてつもない破壊力を秘めた矢。
地面に大穴を作り、その破片がこちらの身体を削り取るように浴びせられる。
フォールスアロー……なぜここまで正確に私の前に降り注ぐのか。
これが、彼女の技量。単独で戦況をひっくり返す、英雄の力ですか。
その攻撃に気を取られていると、再び前方から死の気配が飛び込んでくる。
大木どころか城壁すら穿ちそうな技。私では使えない、最上の一矢。
「弓で防げないのならば――」
精神を統一する。
両手に纏うのは、魔力と魔導。
赤黒い炎を纏った両の腕を引き、彼女の一撃に向けて強く突き出す。
「ぐっ……クァア!」
手のひらが捻りきられそうな感覚を受けながら、その恐ろしい一撃を受け止め、逸らす。
……やはり、逸らすのが精一杯。そして一息つく暇も与えずに、頭上から無数の気配を感じ取る。
「予選で見せた技、ですか」
『地平穿“驟雨”』一発一発が今逸した一撃に匹敵する、恐怖の技。
すぐに範囲外に逃れようとするも、そこには弓を構えた彼女が待ち構えていた。
「……レイス。貴女は強い。弓に拘らなければ、私にも届きうるくらいに」
「……それでは意味がありません。同じ土俵で貴女に勝たないと、意味がない」
身体を逸らすと、私の背後から伸びる赤い閃光が彼女へと向かう。
先程、彼女の一撃を受け止めるために手放した弓から発射される一撃。
けれども――
「貴女が弓を持っていない段階で、読めていますよ」
「……随分と、余裕で弾いてくれますね」
「自慢ではありませんが、私はありとあらゆる装備を溜め込んでいますので」
軽く手を振るうだけで掻き消える私の一撃。
「戻れ! 穿て!」
「チッ、それも覚えていましたか」
離れた位置の弓が手元に現れ、そのまま目の前に向かい無数の光の粒を放つ。
戦闘離脱用の技『ラピットチャフ』。設置した弓を手元に召喚し、同時に光の粒を放出する技。
再び距離を取り、彼女の様子を見る。
「……なるほど。今の会話は攻撃後の反動をやり過ごすためのもですか」
なぜ、構えた弓をオインクさんは放たなかったのか。
それは恐らく、あの強大な技の反動だ。あそこまで強力な一撃を、なんの対価もなしに放つ事はさすがに出来ない、と。
……そして、彼女自身はそこまで動ける人間ではない。
「つい、技の圧力に負けていましたね。では、今度はこちらから」
魔弓に現れる九つの光。それをすぐさま打ち出し、そのまま二度、三度と連続して放ち続ける。
私の再生術は、技の発動すら速めてくれる。本来なら魔力を充填して放つまでに時間がかかる一撃も、再生術を併用する事によりノータイムで放つことが出来る。
もはや光の帯と化したそれが、彼女へと迫る。
迎え撃とうと彼女の最強の技が放たれても、自由に起動を操れる私の技を一撃で散らすことは叶わない。
貴女が私を誘導したように、私も――
その瞬間、強い爆風を受けて身体が地面に転がる。
魔矢の制御が私から離れ、その一瞬で全ての反応が消えてしまう。
何が起きたのかと周囲を見渡せば、そこには草をえぐり、地面を掘り返すような爆発痕が残されていた。
「言ったでしょう。私はありとあらゆる装備を溜め込んでいると。私が使っている矢、全てが爆裂術式の刻まれた最高級品ですよ。今に至るまで貴女は、私の仕掛けた爆弾の中を駆け回っていたんです」
「……カイさんが貴女をブルジョワと言っていた意味、ようやく理解出来ました」
……なんという事でしょう。一本で一般の人間の一ヶ月分の食費を賄える高価な品を、そんな湯水のように使っていたなんて。
……魔弓よりも酷いんじゃないんですか、それ。
「ちなみに、後数千万本私はこれを所持しています。レイス、諦めなさい。貴女では私に勝てない」
「……それは、どうでしょうか」
左手に魔力を込め、彼女に投げつける。
再び彼女は手を振り払い、それをかき消す。
「また目くらましですか」
閃光。これで彼女が私の位置を掴めなくなれば、それは彼女の目が私と同じ魔眼だという事になる。
けれども――
「正確にこちらの位置を知るすべがあるようですね」
「無駄ですよ」
頬を掠める矢に、冷や汗を流す。
彼女は、自分の目を、自分の目以外の場所に設置出来る。
そしてそれは、この閃光の範囲外……。
となると――私の動きをすぐに確認出来て、なおかつ光が届かない場所は限られるはず。
私の誘導を行うことが出来る以上、全てを見渡せる場所。
そして、今の閃光の影響を受けないとなると――
「間欠穿!」
私が今使える技で、もっとも強力な一撃を大地に向けて放つ。
地面から巻き上がる無数の光が、こちらの姿を覆い隠しながら、土煙を上げる。
そしてそのまま私は、この視界の悪い中をものともせずに駆け抜ける。
魔眼では、目の光でこちらの居場所がばれてしまう。けれども私には、もう一つ視界を確保できる理由がある。
『サジタリウスの指針』
旧世界の遺産 製作者 ※※ニー・※※アリス
命中力+15%
攻撃力+15%
遠距離攻撃飛距離+50%
部位破壊率上昇
衝撃抵抗
視界保護
自分の指にはめてあるアーマーリングをそっと撫でる。
この贈り物が、私に先を見通す力を与えてくれる。
そして確かに映る、焦りを見せる彼女の姿。
……やはり、空からこちらを見下ろしていましたか。
その絶対的な神の視点を奪われた彼女は、恐らく初めてであろう恐怖を味わう。
先の見えない恐ろしさ。周囲を見渡すことが出来ない恐ろしさを。
煙が晴れるまで、私はただじっと待つ。
彼女のすぐ横で魔力の矢ではなく、ただの矢を構えながら。
けれども、それが晴れる前に――
「私の力に気がついた以上、既に私は命を握られているのでしょうね」
こちらの姿がまだ確認できていないというのに、ゆっくりと弓をしまい、両手を上げる。
「油断しましたよ。まさか視界を塞がれるとは思ってもみませんでした」
自嘲気味に笑い、そしてため息をつく。
「私の負けです」
煙が晴れる。
そしてようやく、私の居場所を捉えた彼女がこちらに振り向き――
「私よりも良い装備を持っているみたいですね。装備に頼る性質上、私より性能のいいものには勝てないのです」
「ええ、私は最高の品を持っています。カイさんに、買ってもらったものです」
「……二つの意味で私を敗北させますか。意地悪ですね」
……そう、これは意地悪だ。
そして嫉妬だ。
これまでひた隠しにしてきた気持ちを、彼女に白状しようと決意する。
こちらも弓をしまい、姿勢を正し彼女をじっと見つめる。
「……私は」
「……私は」
その時、互いの口が同時に開いた。
同じ言葉が紡がれた事実に、一瞬、お互いに虚を突かれたような、そんな気持ちにさせられる。
そして――
「私は、貴女が羨ましい」
「私は、貴女が羨ましい」
続く言葉も、同じもの。
見つめ合う瞳もきっと、同じものなのだろう。
「私は、他の誰にも見せない表情を向けられる貴女が、とても羨ましいと思っていました。私やリュエも知らないカイさんを知る貴女を、妬ましいとも思っていました」
ずっと燻っていた私の思いを告げる。
初めて合った時から、この美しい女性を、容易く彼の心に入り込むこの人を、私は警戒してしまっていた。
比べる必要などないと、私だけに見える景色を隣で教える事の大切さを学んだ。
けれども、どうしても、この私にはないものを持つ彼女を羨ましいと思ってしまう。
そしてなによりも――同じ人を愛する身でありながら、最初から身を引く彼女が気に入らなかった。
誰よりも近くに立つ事が出来るのに、それをしない彼女。
そして今、その思いを最後まで告げずに見送ろうとする彼女が、少しだけ憎たらしかった。
「……そうでしたか。では――私こそ、貴女達二人が羨ましかった。私には決して向けない表情を向けられている二人が堪らなく羨ましかった。私が、ずっと探し求めてきた人の隣に立ち、共に歩んでいける貴女達が、私はたまらなく羨ましかった」
彼女は語る。
思いの丈を、秘めていた気持ちを。
「何故、私ではないのか。どうしてリュエの元に現れたんですか! 探していたのは私なのに! 私は、待っていたわけでも、知らずに過ごしていた訳でもない! 居ると信じて、ずっと探し続けていたのに、それが……なんで!」
悲痛な叫びが、突き刺さる。
何も知らず、ただ孤独の中耐えていたリュエ。
いつか迎えに来ると信じて、ただ待ち続けていた私。
そして――彼がきっとどこかに居ると信じて、自らの足で探し求めた彼女。
……譲るつもりはない。けれども、報われないのはあまりにも不公平だ。
そんな彼女がただ、その気持ちを覆い隠すなんてあってはならない事だ。
……そして彼自身にも、背負ってもらわないと公平ではない。
彼女の思いを知り、その上で選択を迫られるべきなのです。
「……オインクさん。カイさんに思いを告げてください。絶対に、今を逃すと後悔します」
「……断られると分かりきっていてもですか。随分と残酷な事を言いますね」
「私の立場では『そうとは限らない』とは言えません。けれども、先に進むためにも必要です」
そしてなによりも――カイさん自身が、ここを発つ為にも、必要な事だから。
あの人は、本当はどこまでも人の事を考えられる人だから。
知らないふりを、気が付かないふりが得意な人だから。
きっと、本当は気がついているはずなんです。
そしてそれは……オインクさんだって気がついているはずなんです。
今のまま旅立ってしまっては、互いに凝りが残ってしまう。それはきっと、いつか大きな歪みへと繋がるから。
「……私と、英雄ではなく一人の女として向かい合う為に、挑んだのですね」
「はい。気がついていましたよね、私のあの試合の後の言葉で」
「……本当に、貴女は残酷な人です。けれども……いいでしょう。敗者は勝者に従います。それに――ああ、確かに少しだけ、気分が晴れました」
星空の下、彼女は少しだけ自嘲気味に語る。
「彼を探していた頃に比べて、少々今の私はたるんでいるとは思っていましたからね。あまりに心地よくて、ついそのぬるま湯のような関係に甘んじて、色々と鈍っていました」
「……これから先、この大陸を導いていく為にも、このようなお節介を焼かせて頂きました」
「……まったく。厄介なのは彼だけだと思っていましたが……貴女はその数倍、厄介な人です。本当ならば、貴女は憎い恋敵のはずなのに……憎めないんですよ」
悔しそうに笑いながら、彼女が静かに歩み寄る。
そして、ゆっくりと彼女は手を伸ばし、私の頬に触れる。
慈しむように、まるで、私が娘にそうするように。
「貴女は、私に夢を見せてくれた。そして私は、貴女を通じて彼の奥底に触れる事が出来た。意味はわからないかもしれませんが、私は貴女を、自分の娘のように見ていたんですよ?」
「神隷期……のお話ですか?」
「ええ、そうです。日に日に美しくなっていく姿を、ワクワクしながら見守っていたのですからね……そうですね、仕方ない事なんです。私はどこまでいっても、彼の友人。きっと、その友人としても私は一番にはなれないけれど、それでも満足です」
そんな事はないと、言いたかった。
けれども彼女をしてそう言うのならば、きっと私の知らない何かが、まだカイさんにはあるのだろう。
彼は、友人を探し求めていると聞いた。
でも、それでも私はこう思う。
『きっと、今この瞬間、貴女は一番彼を思っている』と。
「すっかり暗くなってしまいましたね。今夜はあの小屋に泊まりましょう。ベッドは広いですからね、少々私の愚痴に付き合ってもらいます」
「ええ、喜んでオインクさん」
「もう、さんは必要ありませんよ。貴女は、私と対等ですから」
それが、とても嬉しかった。
認められたのだと、そして、私も彼女を心の底から認める事が出来たと、感じる事が出来たから――