二百二十二話
「もうやだ。外に出たくない。レイス、俺に髪を染める方法を教えてくれないか。ああそうだ、髪型も変えよう。いっそ名前もかえよう」
「うーん……どうしましょうリュエ……カイさんがお布団から出てきません」
「うん? 変装したいならさせたらいいじゃないか。カイくん昔おかしなアクセサリーを付けたことがあっただろう? ほら、私と初めて会った時とか」
「あれはネタアクセだから却下。ああもう嫌だ嫌だ。自分が言いだしたとはいえ酷すぎるだろ色々と」
布団の中からこんにちは。みんなの魔王様ぼんぼんだよ。
もうここから出たくない。このままひっそりと隠れて暮らしていきたいという気持ちで一杯です。
結局、あの演説の後すぐに七星……を演じてたケーニッヒは空へと姿を消すこととなり、それを追うように俺も空高くへと舞い上がり、その後ひっそりと近くの森でオインクの部下に回収され戻ってきた訳だ。
恐らく、オインクを始めとするこの一連の茶番に係わった人間は今、多方面の状況説明、事態の収拾に努めている事だろう。
ブックさんにもオインクの補佐や、気候の変化についての報告等も任せてあるのだが、後で何かお返しをしなければならないだろうな。
「唯一の救いが二人に見られていなかった事だけれども……はぁぁぁぁぁぁぁ」
「え、そ、そうですね。残念です、私も是非見たかったのですが――」
「え? 一緒に見たじゃないか。このホテルの窓からもばっちり見えたし聞こえたよ?」
あ、ここにも俺の居場所がない。
なんだよぉぉぉぉぉ! せっかく起こさずに抜け出したのに見られていたのかよおお!
人のベッドの横で、リュエがしきりにこちらの演説の真似をし始める。
傷口に塩どころか唐辛子ぶち込んでくるのはやめなされ!
「……す、すみません。けれども素敵でしたよ! 本当に魔王然としていて、それでいて人々の平和を願う良き君主のような威厳が――」
「やめて、塩を塗り込むのは止めて。冷静に分析しないで忘れて!」
布団の中に再び潜り込む。
まぁ、いつまでもこうしてはいられないのは分かっているのだが、この後どうしたものだろうか。
恐らく、この情報はゆっくりと大陸全土へと広がっていくだろう。
その過程で誇張され、捻じ曲げられ、誤解を生み新たな争いの種になる事もあるだろう。
厄介な事に、イグゾウ氏もオインクも、情報の伝達という点においてはほとんど着手していない。報道機関というものが存在しないのだ。
行商人の噂話や、ギルド間のやり取りを冒険者が広める程度しか新たな情報が伝わる方法がないのが現状だ。
きっと、これを機会にオインクもこの情報や報道の重要性、必要性に気がつくはず。
今回俺が行った巨大投影魔導具を使った演説は、TVのワイドショーのような効果を生み出したと思っている。
そしてその効果、有用性に気がついたのはなにもオインクだけではないはずだ。
ここから先、また激動の時代の幕開けとなるかもしれない。面倒事と言えば面倒事だが、まぁこれも発展に必要な事だと思えば、恨まれる事もないだろうさ。
……もう少しここに残ってやりたいという気持ちも確かにある。
だが、そうもいくまいよ。俺が表舞台に立ってしまえば、余計な考えを持つ人間だって出るかもしれない。
なによりも……信仰がバラけるのは宜しくない。
なにせ俺は、古の魔王。魔族が最も信仰すべき存在だと自分で言ってしまったのだ。
七星を信仰する人間を見下したり、余計な確執を生まないと誰が言い切れる。
宗教戦争なんてまっぴらごめんだ。この大陸はもう、嫌って程血を流したろうに。
布団の暗闇の中、一人思考を働かせる。
ふむ。妙に頭が冴える気がするな。トイレにこもって考え事をするのといい勝負だ。
そんな『一人で考える時に都合のいい場所ランキング』を塗り替えていたところ、ついにこの最後の砦、安寧の地、我がガラスのハートを守ってくれるお布団シールドが奪われてしまう。
「カイさん、いい加減出てきてください。お客さんがお見えですよ?」
「分かった分かった……出来れば誰とも会いたくはないが、そうもいかないよなぁ」
あの演説は、勿論この都市を訪れていた多くの人間の耳に伝わることとなり、そして当日呼び出されていたレン君を探しに、あの三人娘も来ていた訳だ。
つまり何を言いたいかというと、あの子達もあの話を完全に信じ込んでしまった訳だ。
「で。なんでレン君までそんな調子なの」
「い、いやだって……俺がエンドレシアで七星を見つけられないのも……もしかしたら、暴走して――」
「あー……まぁ、うん。とりあえず七星が必ずしも平和の象徴、豊穣を約束してくれるものではないと知ってくれただけで大きな進歩だ。今は、もっと見識を広めな。せっかくこんな広い世界にやって来たんだ。仲間と一緒に旅をするのも良いんじゃないか?」
「そう……だよな。これから、この大陸は大きく変わっていくんだろう。それを、俺も自分の目で見てみたい」
やって来たのは、すっかり忘れてしまっていたが、レン君とその愉快な仲間達だ。
すっかり大人しくなってしまい、心なしか震えているようです。
大丈夫、お兄さん魔王だけど料理好きで悪戯好きな好青年だから。
好青年だよな。異論はないよな。
ひとまず彼らをリビングに通し、適当に座らせる。
さてさて、カレーライスだったな。ふむ、俺のカレーを食べたらもう後戻り出来ないぞ。
なにせ――――なにせ?
……なんだ、俺は今なにを考えていたんだ?
「そ、それでレンが約束していたモノってなんなの……よ」
「いつもの調子が出てきたな。まぁ有り体に言うと、彼の故郷の料理だ。結構彼の国の食文化と似通っているらしいが、どうやらそのお目当ての料理だけが見つからないらしくてな。それで俺が手を尽くして再現したって訳だ」
「再現って……あんた、料理出来るの!?」
もう毎度お馴染みなので、彼女達の浮かべる表情や反応については割愛します。
ともあれ、ここ数日調合に調合を重ね、そしてドーソンの奥さんに渡し、一般にも受けると判断を下した特製のスパイス、俗に言うカレー粉を取り出す。
ふむ、いい香りだ。ここ最近料理の隠し味に使ったりしていたのだが、今回はこいつをふんだんに使う訳だ。
リュエもレイスも初体験となる、記念すべき初カレーである。
「あの、カイヴォン様。私も多少心得があるのでお手伝いでも……」
「いや、我が家には優秀なアシスタントさんがいるので問題ないよ」
すると、自信満々な様子でリュエがすくと立ち上がる。
……残念、君じゃない。座っていなさい。
と、言うのもかわいそうなので、彼女にはカレー以外の事を手伝って貰いましょう。
個人的にカレーに合う料理で一押しである『マッシュポテト』を作ってもらおうか。
タルタルソース作りですっかり『ゆで卵クラッシャー』の称号を手にした彼女には、今回『ポテトマッシャー』に転職して頂きましょう。
「じゃあレン君達は適当に飲み物でも飲んで待ってな。冷蔵魔導具の中の飲み物、勝手に開けていいから」
「……私は眠っていたい。ここ、凄くいい部屋だからベッドも期待出来る」
「シルルちゃんったら……あの、大丈夫でしょうか、どうやら凄く眠いらしくて」
「一番手前のベッドを使いなされ」
毎度おなじみシルル嬢は、こちらの演説があった後でも変わらずに我道を行く様子。
いやもう逆にこういう反応の方が嬉しいですよお兄さんは。
さて、じゃあ今回も三人揃っている事ですし、恒例のあれいきましょうか。
「では第……何回だっけ? たぶん五回くらいのぼんぼんクッキングの始まりです」
やめろ、その変な人見るみたいな視線は。
「人が……あんなに駆けずり回っていたというのに……呑気に料理ですか」
「まぁ落ち着きなさいオインク。貴方また料理しているのね。嗅いだことのない香りだけれども、私も御相伴に与ってもいいかしら?」
大量の飴色玉ねぎを大鍋で作っていると、芳しい香りの充満するこの部屋へ新たな来客が現れた。
若干血走った目で、心なしか目尻をヒクヒクと痙攣させているオインクと、そんな彼女を宥めるイル。
つまりこの大陸のツートップだ。
そして彼女達の登場に、ギルド所属の苦労人レイナが完全に萎縮してしまい、ソファーの隅っこで小さくなってしまっている。
また、エンドレシアの貴族の娘だというアリナも、さすがに身分の違いについては過敏なのか、それとも自分以上にお嬢様気質であるイルに尻込みしてしまったのか、珍しく聞く側にまわっていた。
……じゃあなんで次期公爵の俺にはあんな程度なんですかね? 別に問題はないのだが。
「だが俺が大腕振って外を出歩くわけにもいかんだろう。部屋に篭もるのが最善じゃないか?」
「……それはそうですが……はぁぁぁぁぁ……これから先、この大陸はまた荒れますよ」
「けれどもそれは戦乱ではない。いや、戦乱にはさせない、だろ?」
「……勿論そうですけど。ぼんぼん、貴方、どこまで予測していましたか」
「今回に限っては、この大陸の行末まである程度は」
予測というよりは、これは信頼してるが故の願望の押し付けだ。
俺はオインクに、この先待ち受けているであろう問題と、それを乗り切った先に待っている世界のヴィジョンを語って聞かせる。
そうなるように、頑張って欲しい。応援していると言外に込めながら。
……そして、こちらの意図をどこまでも汲み取る彼女は、その表情から怒りの色を消し、どこか諦めのような顔をし――
「本当に……貴方は厄介な人、ですね」
そう、答えるに留まるのだった。
「レイス、そろそろ俺が交代するよ」
「お願いします。少々、神経をすり減らしますね、この作業は」
「案外難しいだろう? ここまで色が濃くなるまで玉ねぎを炒めるのは」
「途中で加水するタイミングや火加減、鍋底や側面に常に気を配らないと、あっという間に焦げてしまいますからね……」
「まぁ今回はちょいと裏技を使って色が変わりやすくなっているってのもあるんだけれどね」
調理開始から一時間。
レイスと交代で玉ねぎを炒めながら他の具材の下準備をしていた訳なのだが、ここでちょっとした問題が発生。
それは『なにカレーにするか』というものだ。
ポーク、チキン、ビーフ、キーマ、シーフード、夏野菜と、カレーと一口に言ってもその種類は多岐にわたる。
勿論俺としては『ポーク』一択なんですけれどね? 豚ちゃんいるし。
だがしかし、今回リクエストしたレン君はと言うと――
「……そ、ソーセージ」
「……表出ようか」
「な、なんで急に」
「ああごめんなんでもない。じゃあソーセージはトッピングとして用意するよ。メインを頼む」
一瞬怒りそうになりましたよ。
たしかにうまいがあれはトッピングだ。断じてメインを張れる器じゃないと思います!
と、心の中で言いながら、彼の判断を仰ぐ。
具材次第で、ここからの味の調整も変わってくるのだから。
「……じゃ、じゃあ」
心の中で祈る。『豚と言ってくれ』と。
そして恐らく、俺同様真剣な様子で彼の顔色を伺うオインクは『豚以外と言って』と祈っている事だろう。
そしてレイスは恐らく『お肉ならなんでも歓迎です』といったところだろうか。
リュエ? 彼女なら一生懸命ジャガイモ潰していますよ。
「カイくん、どこまで潰す? 少し塊残そうか?」
「そうだな、今回はカレーにジャガイモを入れない予定だから、少し食感を残すかな」
「よし。じゃあ後は味付けだね? この器に入っているのを入れたらいいんだね」
せっせと芋を潰し、まぜまぜする姿に癒やされます。
ああかわいい。うちの子かわいい。
ちなみにマッシュポテトの味付けは、パルメザンチーズ少々と黒胡椒、塩少々に、細かく切ってカリカリに焼いたベーコンだ。
他にも、レタスやトマトを使ったサラダも既にスタンバイ済みである。
あとはカレーを煮込む段階に入るだけという状態だ。
「……牛肉、で頼む」
「ここぞとばかりに一番単価の高い牛肉を選ぶとはなかなか強かじゃないか」
「う……いや、その……俺の所属していた剣道部……チームみたいな場所では、いい成績を残すと、それだけ高い具を入れてくれたんだ。だから――」
「……くく、冗談だ。じゃあそうだな……とっておきの肉、出すとしようか」
いい成績を残した君になら。
結局、あの騒ぎで有耶無耶になってしまったのだが、彼はベスト4に残った訳だ。
本当ならばドーソンと戦い、三位を決めるはずだったのだが、今年はそれも出来そうにない、と。
……ふむ、なにか忘れているような。
「よし、じゃあ仕上げるとするかな」
(´・ω・`)次回は色々と決着がつきます。