百八十七話
(´・ω・`)三巻の表紙イラストがAmazonさんにて公開されました
朝に弱い自分を恨めしく思いながら、サラサラと肌心地の良いタオルケットの誘惑を振り払う。
眠い、とても眠い。けれども私は、心地よい反発を約束してくれるベッドからゆっくりと起き上がる。
「…………あれ……カイさん……」
彼のベッドはもぬけの殻。緩慢な身体をどうにか従えて、私は主を失ったベッドへと倒れ込む。
睡眠欲……ではなく、別な理由で。
「……良い、匂いですね……」
彼の残り香を抱きしめるようにしながら、再び襲ってくる睡魔を振り払う。
ああ、しかしでも、このまま彼の香りに抱かれて二度寝の誘惑に屈したら、どれだけ幸せだろうかと、そんな事を思ってしまう。
三大欲求の二つを同時に満たしてくれそうな、そんな飛び切り危険な誘惑。
私がそれにあと一歩で屈しようとしたその時、背後から彼女、リュエのうめき声が耳に届く。
「……私とした事が……起きませんと」
ベッドを整え直し、名残惜しくも立ち上がり、未だ夢の世界にいる愛しの姉、友、仲間である彼女を揺り動かす。
幸せそうに枕を抱きしめる姿を見ると、このまま大人しく寝かせておきたい気持ちになるけれども、それでも心を鬼にしてタオルケットを引き剥がす。
すると、白く透き通るような彼女の肌が、一糸まとわぬ姿で現れた。
カイさんがいなくてよかったですね……。
「リュエ、起きて下さい。今日はカイさんの試合ですよ。会場に一番のりするんだって言っていたでしょう?」
私はそんな白い姉を揺り動かし、自身に課せられた役目を果たそうとするのだった。
「お腹すいたねぇレイス……カイくんもこんなに早く出発するならなにか用意してくれてもよかったじゃないか……」
「昨日のうちにお弁当、作っておけばよかったですね。さすがにまだ屋台も開いていませんし」
会場への道すがら、空腹を訴える彼女に応えながら私も密かに自分のお腹をさする。
……不本意というべきか、認めたくないというべきか、私は人よりも少しだけ食欲が旺盛な方らしく、確かに彼女の言うとおり、朝食をどうにかするべきだと周囲を見渡す。
「仕方ない、ここは緊急用に普段あまり手をつけないとっておきを出そうじゃないか」
「とっておき? なにか持っているんですか?」
「ふふ、私のバッグから倉庫の食べ物を取り出すんだ。調理済みのものとかも結構入っているんだよね」
「なるほど、それは確かにとっておきですね」
私も、日頃からアイテムボックスに緊急用に食料を収納しておくべきだろうか。
リュエは食べ物を溜め込んだ小動物のように、いそいそとバッグをまさぐっている。
その姿が可愛らしく、カイさんではないけれど頭を撫で回したくなる衝動にかられる。
「じゃーん! パンにソーセージ挟んであるヤツ!」
「ホットドッグですね?」
「なるほど、ホットドッグって言うんだ。……ドッグ?」
突然、彼女が青ざめた顔でこちらを向く。……ああ、もう可愛いんですからうちの姉は。
ドッグ(犬)だと思ったのでしょう。どうしてこんな名前なのかは私も分かりませんが、間違いなくこれにドッグなんて入っていませんからね?
それを説明すると、安心したように大きな口を開けて頬張りだす。
私も同じものを受け取り、一緒になって食べ歩く。
そうしているうちに会場へと到着した私達は、先日リュエの戦いを観戦した関係者用の特等席へと向かうのだった。
彼女の宣言通り、私達は一番乗りだった。観客席には大会運営に関わる人間が忙しそうに全ての席をチェックしているだけ。
過去に、観客席に爆発の魔導具を仕掛けられたという事件があったそうだ。
私も少しだけ不安になり席の下を確認してみる。けれども、そこにはなにもなかった。
「レイス、レイス、あの闘技場の周囲にあるポール、あそこから光が浮かび上がるのかい?」
「あ、投影の魔導具ですか? そうですね、あれが光って戦闘場の上に大きな光の玉が出来るんです」
「へぇ……凄く興味深いね。オインクに頼んだら解析させて貰えないかな?」
「難しいんじゃないんですか? 最新のものでしょうし機密事項かもしれませんよ」
「むむむ……そっかー」
知的好奇心を抑えきれないのか、客席の一番前に移動したリュエが身を乗り出し、魔導具のポールに手を伸ばし始める。
ふふ、残念ですが少し手の長さが足りないですね。
そうしているうちに、一人、また一人と会場に人が集まってくる。
そして席が一通り埋まる頃、会場にオインクさんが姿を表した。
『えー拡声魔導具のチェックです。あーあー、どんぐりころころどんぶりこ』
……なにを言っているんですかオインクさん。
『問題ありませんね? では、開会の挨拶は先日済ませましたので、簡略化させて頂きます』
「オインクが楽をしようとしてる。どうしよう、ここから氷の粒でも投げてみようか」
「だ、ダメです。いくらカイさんが普段その……いじめていますが、彼女は雲の上の人なんですからね、本来」
間違いなく会場中を敵にまわしてしまいますよ、それ。
彼女の挨拶が済み、本日の対戦カードについて語り始める。
観客席もまた、今日出場する人間が誰なのか気になっているからか、それとも既に出場が決まっているリシャル氏への期待からか、興奮した様子で投影された映像へと視線を向けている。
いよいよ、いよいよカイさんの晴れ舞台です。この目にしっかりと焼き付けなければ。
『すでに知っての通りですが、なんと今年はセミフィナル最強の冒険者と名高いリシャルの出場が決まっており、既にこの会場の控室で待機中です』
「そういえば、カイくんの相手って聖騎士らしいね。珍しいよね」
「そう、なんですか? 確かに見たことはありませんけど」
「剣の道を志しているにも拘わらず、途中で法術師や祈祷師、神に仕える神聖なる術者としての修行が必要とされるからね。神隷期の頃はどういう訳かよく見かけたんだけれど、創世期になる頃には殆ど見かけなかったよ。元々術士として育った人間を、特殊な任務につけるために国が育成するって形らしいよ、今だと」
「では、リュエはどうして聖騎士になろうとしたんですか?」
「私は元々魔法と剣術で戦っていたんだけれど、法術士とか聖職者のみんなが使う術式が気になって、門外不出だーって言うから入教して教わったんだよ」
「なるほど、術式への好奇心からだったんですね」
リュエと同じ職業である相手。最強と名高い相手。
けれども、私はカイさんが負けるとは微塵も思っていない。
『最強』それはきっと、冒険者の中での話なのだろう。私は少なくとも二人、更に強い人間を知っている。
一人は、私の……もしかしたらギルド全体の宿敵だったかもしれない男。
私は見た。戦争の最中、敵味方問わず全てを葬り去りながら、笑いながらこの身を手に入れようと襲撃を仕掛けてきたあの男を。
圧倒的な武力に物を言わせ、単身で団体を、一軍を容易く葬る規格外の存在。
そして、私が知るもう一人の強者。
長年私の脳裏に『最強』という二文字と共に刻まれていた男を、容易く葬り去った人。
その人の名前が、会場の中央から聞こえてくる。
『そしてその相手を務めるのは、先日この場で圧倒的な力を見せてくれた今年のミス・セミフィナルの仲間であり、私の懐刀と言っても過言ではない人物! カイ!』
その宣言と同時に、投影される二人の人物。
片や、白銀の鎧を身にまとい、同じ色の斧槍を携えた一人の騎士。
流れるような淡い金髪をなびかせ、物静かな様子で自身の相手を見据えていた。
そして――もう一人の姿を見て私は目を疑った。
『っ!? 何者です! 本日はエキシビジョンマッチ、関係者以外は立入禁止です、即刻去りなさい!』
オインクさんがその現れた人物の姿を見た瞬間に声を張り上げる。
現れたのは、リシャルさんと対をなすかのような漆黒の全身鎧を着込んだ一人の剣士。
ヘルムで顔が隠れたその相手は、私も見知った人物だった。
『ネームレス』それが彼の登録名。けれども――こんな大胆不敵に、衆目に晒される形で現れるなんて。
オインクさんも、そしてリシャルさんもいるというのに……。
「うーん、ここからだと魔導具の所為で上手く解析出来ないけれど……たぶん――」
『いや、俺は関係者だ。しっかりとここに呼ばれ、ここで戦うように言われている』
『……誰に依頼されたのですか』
観客席にいるにも関わらず、張り詰めた弓を突きつけられるかのような鋭い殺気を過敏に感じ取る。
オインクさんから放たれているそれを真正面から受けているにも拘わらず、ネームレスはその余裕の態度を崩そうともしない。
けれども、ここにきてようやく彼の両腕が動き出す。
ゆっくりと、自身のヘルムへと伸びた腕が、ガシリとそれをつかみ取り、グリグリと動かしている。
……少々キツそうですね。
『あれ……ちょっと待って、外れない。これネジ式だったっけ? あ、こっちか』
とその時、勢い良くヘルムが外れ、彼の手からすっぽ抜けて地面に転がる。
現れたのは――
「あ、やっぱりそうだ。カイくんだカイくん。新しい鎧買ったんだね」
「……そうみたいですね。いつの間にあんなもの用意したんでしょうね……」
「む? レイスどうしたんだい? 無駄遣いをしたから怒っているのかい?」
『んな!?』
『いやぁ誰に依頼されたのって言われても、お前さんにとしか答えようがないんですけどね?』
現れたのは、ヘルムの下から現れたのは……カイさんでした。
おかしいですね、私はカイさんに『出たらダメです』と難度も釘を刺したはずなのに。
おかしいですね、まさかあんな鎧で正体を隠して……しかも私と会話もしましたよね。
これは、少しだけ面白くありません。色々と恥ずかしい事を言ってしまったような気もします。
そしてなによりも――
「リュエはこの距離からでも気が付きましたか?」
「この距離だとじっくり注視しないと分からないかな。あれ、たぶん普通の鎧じゃないよ」
「では近くだったらどうです?」
「あはは、さすがにすぐ分かるよ。魔力の波形を読み取るのは私の得意分野だからね」
気がつけなかった。カイさんだと気がつけなかった。平然と弓を向け射ってしまった。
その事実が、ズシンと私に重く伸し掛かる。
カイさん……試合が終わったら少しだけ、八つ当たりさせてくださいね。
「というわけで、謎の黒騎士の正体は俺、カイさんでしたー。いえーいみんな見てるー?」
「ぼんぼん! どうしてそういうことするんですか!」
「いやぁつい。けどまぁ……さすがに本気で勝ち上がってきた人間を馬鹿にするような真似はこれ以上したくなかったからな。ここでネタバラシさせてもらったよ」
どうも、数千の観客の前で盛大におふざけ中のぼんぼんです。
まってリシャルさん、そんな呆れたような顔しないでください。
「とりあえず、俺の試合前の挨拶はこのサプライズって事で」
「……後ほど、私の部屋に来るように」
「あいよ」
そして次にマイク型の魔導具を渡されたリシャルさんが、ゆっくりとその閉ざされた口を開き始めた。
「私は、どういう経緯があったのかは分からないが……今日の試合はオインク様、そしてイル様に乞われて引き受けた大一番とも言える一戦。ならば、全力を持って臨み、そして勝利を収めるとこの槍に誓おう」
静かな、だが確かな凄みを感じさせる声で簡潔にそう宣言をするリシャルさん。
さて、じゃあこっちも久々に真面目に、大真面目にいかせてもらうとしよう。
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