百九話
(´゜ω。`)オマタセ
鍋の中で、バニラビーンズを浮かべた牛乳を弱火で加熱しながら、横でリュエが包丁を握るのをハラハラしながら見ています。
これ、世のお母さん方が小さなお子さんに初めて包丁を使った手伝いをさせた時と同じ心境なんじゃないかね?
「大丈夫だよカイくん。私だって長い間一人で暮らしてきたんだ、これくらいどうってことないよ」
「でもパンを切り分けるのは初めてだろ? 結構固いから気をつけな」
現在、三種類のパンを用意しております。
一般的な白パンは今回はパス。
気泡の大きそうなバケットを三種、彼女に厚さをかえてスライスしてもらっている所です。
「カイさん、牛乳が沸き始めるところですよ」
「ん、了解」
指摘され、火を止め冷ましておく。
濃いバニラの香りを移した牛乳の完成だ。
これはご飯と牛乳を一緒に煮詰めて作る予定のシロップとは別にしておく。
最後の最後で混ぜ合わせ、香りが飛んでしまうのを防ぐというわけだ。
しっかしこの牛乳もただの牛乳じゃなさそうだな、ジャージー乳も逃げ出すレベルの濃厚さですよ。
「カイさん、ご飯が蒸しあがりましたよ」
「よしきた。じゃあこっちの鍋に入れてくれ」
そして今回は炊くのではなく、蒸したご飯を使わせてもらいます。
必要以上の水分を入れたくないので、まずはこれで実験だ。
ううむ、こんな風に実験的な料理をするのって、なんでこう楽しいのだろうか。
ゆっくりと牛乳とご飯を煮込みながら、そんなことをしみじみと考えてしまう。
「カイくん出来たよ。種類と厚さごとにならべておいたから、間違えないようにね」
「おー、上出来上出来。じゃあレイスとリュエは休憩してていいよ。シャワールームもあるから浴びてもいいし」
「おー! じゃあ行こうか」
あれだ『先にシャワー浴びてこいよ』って奴です。
いいよね、言ってみたいセリフベスト一○に入るよね。
なお先に浴びているうちにサイフを抜いてトンズラする人間もいますので、信頼のおける人間とじゃないとアウトです。
……信頼のおけない人間とそんな状況になる段階でアウトだと思うのですがそれは。
「しかしさすがだな、最初から煮崩れしやすいように米にひびが入るように磨いだのか」
今回はあらかじめ蒸して作ると伝えたから、あえてそうしたのだろう。
普通の炊飯でひびを入れ過ぎるとドロッドロになっちゃうからね。
うむ、我が家のレイスさんの女子力は天井知らずです。
そして何故かトイレットペーパーでもないのに服を三角に折るもう一人の娘さんの謎力も天井知らずです。
「なーんで自分の服まで三角にたたんじゃうのかね」
そう思って落ちているそれを拾い上げる。
あ、違った。これは元々三角の布だ。
……ここで脱いでいったのか君。
少しすると、鍋の中身もいい感じに煮詰まり、だいぶ米の粒も崩れてきた。
一先ず味見をし、砂糖を加えるか悩んでいた時、部屋の中にノックと音が響く。
火を止めドアの除き口から外を伺うと、ギルド職員の制服に身を包んだ女性が一人、緊張した面持ちで立っていた。
「はい、どうかなさいましたか?」
「あひゃ! え、ええとその、オインク様よりお手紙をあずかっ、あずかってまいりました」
「なるほど、ありがとうございます。今すぐ確認した方がいいですか?」
「お、おねがいします……あの、お料理をなさっていたのでしょうか?」
手紙を受け取りつつ、女性と軽くやり取りをする。
随分緊張しているようなので、ここはウィットで小粋なジョークでも。
……駄目だ、思いつかない。
「美味しそうなものがあるとね、つい手が出てしまうんだよ」
しかし、ここで最悪な事態が起きてしまう。
この、今まさにこの発言をした直後に、シャワールームから声が響いてきたのだった。
「カイくーん! 私のパンツそっちに落ちていなかったー?」
「………………」
『美味しそうなものがあるとね、つい手が出てしまうんだよ』
……ド下ネタじゃないですか!!!
目の前の女性もそれに思い当たってしまったのか、顔をよりいっそう赤く染め、半歩下がってしまう。
ああ、違うんです、そんなんじゃないんです。
しかし、ここで更なる追い討ちが。
「もう、あわてるからですよ? 私が取ってきます。男性に下着を取らせるなんて……」
振り向けば、バスタオルを巻いたレイスがパンツを回収して戻るところだった。
オウフ。止め刺されたよこれ。
いいよもう、読むよもう。
『(´・ω・`)この手紙が届いてから、一時間くらいしたら三つ下の階のレストランまで来て?
(´・ω・`)紹介したい人がいるので、場所をセッティングしました。出来れば正装でお願いします
(´・ω・`)追伸 たぶんご飯も食べるから、何も食べないでおいた方がいいと思うわよー
(´・ω・`)トーテムポーク』
「なるほど。確かに内容、確認しました。オインクには出席すると伝えておいてください」
「……わかりました」
去り際、彼女の瞳に浮かんでいたのは、若干の軽蔑の色でした。
そうだよなあああああ! 女の手紙を届けにいったら、その先でこれだからなあああ!
女の敵だって思われても仕方ないですよね。
「いいや、アイス液仕上げちゃお」
ビバ現実逃避。
リュエとレイスに事情を伝え、二人ともしっかりと正装に着替える。
レイスは俺が[カースギフト]で付与をした赤いドレスに身を包み、リュエはあの時のパンツルックに着替えていた。
俺の中でのリュエの正装はドレスアーマーだっただけに少し意外だった。
で、俺の正装だが、魔王ルックはもうこの大陸で使うつもりがないので、今回は領主の館の中で着ていた儀礼服を着る事に。
もちろん、角も翼も仮面もなし。瞳もいつも通りでございます。
「それじゃあそろそろ行こうか。たしかここから三階下だったか」
「もう騙されないからね。ここから三つ下に、あの箱のような部屋が下がっていく。うん、大丈夫理解したから」
「ふふふ、可愛いですね」
俺もそう思います。
そうして、無事に昇降機が移動した先、扉が開くとそこには最上階と同じような廊下が現れたのだが、違う点がいくつか。
まず、降りた瞬間廊下がまっすぐに一本伸びている。
そして途中に黒服の執事……いや、恐らく体格的にSPか何かだろう。
そんな黒服さんが三人並んで通路に待機し、俺達の到着に軽く視線を動かし、互いに視線を合わせ、そのうち一人がこちらへと向かってきた。
「失礼します。身分証明書を拝見しても」
「どうぞ」
懐から取り出しましたは毎度おなじみブルーカード。
正確にはブルーダイヤを加工した、とんでもなく高そうな一品です。
それを恭しく両手で受け取った男は、しっかりと内容を確認したあとこちらへと返却し、丁寧なお辞儀をしてくれた。
「失礼しました。どうぞお通り下さい」
「後ろの二人の連れも大丈夫ですか?」
「もちろんでございます。どうぞあちらへ」
まっすぐな廊下の先には、まるでキャラメルのような模様の、木製の大きな両開きの扉が待ち構えていた。
ドアマンまで待機しており、こちらのタイミングにあわせて扉を開く。
……ここまでくると、逆に開き直って尊大に振舞いたくなってしまう。
「お客人がお見えです。オインク様、イル様」
「来ましたね、カイ……いえ、この場ではカイヴォンと」
「随分と大げさなおもてなしだな」
そこは、巨大なホールだった。
恐らくワンフロアをそのまま使ったであろう、巨大なパーティ会場のような大広間の中央に、純白のテーブルクロスがかけられた長テーブルが設置されている。
扉から見て奥、つまり上座に座るのが我らが豚ちゃんで、そのすぐ隣にもう一人、若い女性が腰掛けていた。
そして、給仕さんが下座にあたる席を三つ引いたところで、オインクが苦虫でも噛み潰したかのような顔をした。
豚ちゃん、これは君の意思ではないと見ていいんだね? ……そうだな、用意するなら円卓にするべきだったな。
小難しいことをいちいち考えて面倒な奴だな、と自分でも思うが、俺は組織にこそ所属しているが、豚ちゃんとは対等の仲間だと互いに思っている。
もちろん、恩義はあるが、それはお互い様でございます。
少しだけ笑顔を浮かべて豚ちゃんへと視線を向けると、ほっとしたような安堵の色を浮かべた。
そのままとりあえず親指だけを立てて首をかき切るジェスチャーをひとつ。
「……今すぐ、テーブルを円卓にかえてください、お願いします」
「どうしたのよオインク、客人を立たせたまま」
「イル、紹介したいのでこちらへ」
「……いいでしょう」
本当、性格悪いね俺。
けどやっぱりここで納得したらいかんのです。
それにどうやらオインクの表情も硬く、何かを俺に伝えようとしている。
そこで何かを思い出したのか、傍にいる女性に気付かれないように手を動かし始めた。
その間もこちらも一歩歩み寄り、まずは一言。
「待たせたな、ちょっと部屋で色々試作していた」
「そのようですね。少し甘い香りがします」
「気になるなら後で部屋に来るかね?」
「いえ、私は実行委員会側ですからね、それは出来ませんよ」
「なるほど。それで、こちらの方が紹介したいという?」
色白の、オインクと同じく黒い髪に、やや青みがかった黒い瞳の若い女性。
二○かそこらだろうか?
どことなくオインクと同じ、日本人的な顔立ちだ。
「はじめまして、イル・ヨシダよ。よく来てくれたわね」
「はじめまして、先に呼ばれてしまったがカイヴォンだ。ヨシダと言うと、イグゾウ氏の血縁の?」
たしか、オインク、アーカムに並ぶもう一人の議員だったか。
若いとは聞いていたが、まさかここまでとは……。
「孫よ。三大……今ではもう二人だけど、議長の一人として議席に着いている身よ」
「私の数少ない友人でもあるんですよ。是非、一度カイヴォンにも会って頂ければな、と思っていたのですが……」
若干表情の硬いオインクがそう告げると同時に、脳内に電子音が鳴り響く。
気付かれないようにそのメールを開き内容を確認してから、こちらも答える。
「なるほど。じゃあせっかくだし連れの紹介もしていいかな?」
「ええ、是非お願い致します」
後ろで二人が、口を挟まないように一歩下がって控えている。
このあたりはやはりレイスのおかげだろうか?
……リュエさん、君前に一国の王様にむかって君づけで呼んだことあったよね?
頼むぞ、本当に頼むぞ?
「ご紹介に与りました。カイさんと共に旅をしております、レイス・レストと申します。三大議長の一席であらせられるイル様におかれましては――」
だが、そんなレイスの挨拶は途中で遮られることとなる。
「挨拶は結構よ。オインク、本題に入りたいのだけど」
「……せめて自己紹介くらいはいいでしょう?」
「カイヴォンと言ったかしら? 私が呼んだのは貴方よ。従者に自己紹介をさせる人なんて、普通いないわ」
「……俺も本題に入らせてもらいたい。とっとと部屋に戻りたいからな」
今のやり取りだけでもうテンションがガクっと下がってしまいました。
豚ちゃんのメールがなければこんな場所、一瞬だっていたくない。
遮られたレイスが、そしてそんな彼女を見たリュエが、どんな気持ちか。
そして、自分の友人を軽んじられたオインクまでもが、表情を歪めている。
すげぇなイグゾウさん、アンタの偉業が孫娘一人で霞んで見えちまうよ。
「どうせ、俺にしかわからないであろう遺書かなんかがあるんだろ? とっとと見せろ」
(´癶ω癶`)