九十五話
(´・ω・`)あともう少しだけ続くんじゃよ
静まり返る式場。
誰も一言も発さず、ただ俺の蛮行を見届けただけだった。
中には歓声を上げようとした者もいたが、周りに押し留められていた。
そんな最中、ようやく俺はアーカムの始末という些事に邪魔された本来の目的を果たすために歩き出す。
多くの視線を背に受けながら、一歩、また一歩と俺は彼女へと近づき、ようやく大切な家族の前へと辿り着いた。
間近で見る、約二週間ぶりの彼女を目に焼き付けるようにしながら、声をかける。
「迎えに来た、レイス」
「……はい、カイさん」
まだ夢うつつにいるかのような表情のまま、彼女も一歩踏み出した。
そりゃそうだ。彼女はこれまで四○年以上、ヤツの影に怯えて暮らしてきたんだ。
それが急に取り除かれたと言われても、まだ実感が湧かないのだろう。
例えるならそう、常に付きまとっていた不治の病から、突然開放されたかのように。
「あ」
足元がふらついたのか、彼女が躓きそうになり、それを抱きとめるように大きく踏み出す。
トスンと、胸に収まるレイスの頭。離れる気配もなく、そのまま背中に回される腕を黙って受け入れる。
親にしがみつく子供のように、強く強く抱きしめる彼女の身体が、微かに震えているのが伝わってきた。
「恐かったか?」
「……はい」
「まだ、恐いか?」
「……はい」
「どうして?」
「それは……」
胸に額を押し当てたままの彼女に問う。
……やり過ぎたのか、俺は。
もし俺が恐いと言われたら、暫く立ち直れそうにないのですが。
だが、そんな心配も杞憂に終わる。
「もし、これが夢だったら。まだ私がウィングレストで待っているだけだったら。もしこれがアーカムの屋敷で暮らす私の夢だったら……」
……余りにも、待ちすぎたが故に現実を現実として受け入れきれない部分がまだ彼女にはあった。
その上でまた、待たせる事になってしまったが故の弊害だろうか。
俺は今回、彼女に無理をさせてしまったのだろうか。
勝手に彼女が強い女性だと、決めつけてしまっていたのだろうか。
ふと誰かの視線を感じ、レイスを見下ろしていた顔を上げる。
そこにはリュエがいた。無言のまま、目を瞑り首を縦に振る。
リュエが背中を後押ししてくれたように感じた俺は、ようやく一歩踏み出す。
「レイス、これは現実だ、ほら」
そういえば俺、抱きしめられてばかりだ。
だからこそ、少しだけ力を込めて彼女を抱きしめる。
この微かな痛みが現実だと刻みこむように、もう離さないと言う意思を伝えるように。
想像以上に細く、折れてしまいそうなその背中を抱きしめる。
……こんなに、小さかったんだな。
「もう、誰にも渡さないし、これからも一緒だ。もう安心していい」
返事はなく、かすかに彼女の泣き声が大きくなる。
すると、リュエもまたほっとしたような笑みを浮かべ、こちらへと近づいてきた。
「今回、レイスもだけどカイくんも無理をしたみたいだしね、よく頑張ったね」
「ちょ、やめ」
一番小さな身体の我が家の長女が、俺とレイスをまるごと抱きしめる。
その小さな両腕が、今日までの心労と苦悩を全て洗い流してくれるような、そんな確かな充実感を与えてくれた。
……そうか、そうだよな。
何せ、レイスが待った時間と、俺が生きてきた時間。
それらの時間を安々と飲み込んでしまうような膨大な時間を、彼女は生きてきたのだから。
……敵うわけないんだよな。
溢れ出しそうな思いを隠すように、この場を離れる提案をする。
「レイス、リュエ、帰ろう。まだまだやらなきゃいけない事は山程あるかもしれないけど、今日の所は、な?」
「……はい」
「そうだね。ねぇオインク、良いよね」
呆気にとられるようにこちらを見ていたギャラリーの中にいたオインクへと、リュエは懇願するようにそう提案する。
オインクもまた『仕方ありませんね』とでも言いたげな表情で頷いてくれた。
未だ俺への恐怖を拭い切れない魔族達の視線の中、俺たち三人は一先ず宿へと戻るのであった。
宿へと戻り、改めて俺は二人を労う。
自ら最も恐怖する相手へと飛び込んだレイスと、ただ一人敵地に誰よりも早く乗り込んだリュエ。
俺なんて、街の中で好き勝手動きまわっただけにすぎない。本当に苦労したのはこの二人だ。
だからこそ俺はもう一度、彼女たちを抱きしめる。
一度やったら二度も三度も変わらないんです。
もうね、確かに俺は直接的な危機に瀕する事はなかったんですがね、それでも……俺もここ数日、満足に眠れなかったんですよ。
毎晩自分の剣を側に置き、自分のHPが減っていないか、レイスが何か危険な目にあっていないかずっと確認していたんです。
もし少しでも俺のHPバーが減ろうものなら、すぐさま屋敷ごと吹き飛ばしてやるつもりでしたとも。
もしもレイスが自分で転んだり指を切ったりした結果だとしたら、その時はまぁドンマイって感じで。
「あの、カイさん?」
「カイくんもすっかりダメになってしまったのかな?」
「うるさい茶化すな。改めて俺は過保護で考えなしの馬鹿だって痛感してる所なんだから」
「カイさんも、やはり恐かったのですか?」
「二人の身に何か起きたらと思うと、夜も眠れず昼に寝るくらい心配だった」
「それはただの昼夜逆転生活ですよ……本当に、お疲れ様でした」
ああ、本当に疲れた。
誰かを心配し続けるのも、誰かを憎み続けるのも、同じくらい疲れるものなのだと初めて知った。
そして、二人がどれほど大切なのかという事も改めて。
そうだ、何か二人を労うためにしてあげられる事はないだろうか?
今なら俺、ご褒美になんでもあげられそうだ。
二人を解放し、俺は問う。
「頑張った二人に、ご褒美をあげたいと思います。労いをこめて、なんでも一つ言うことを聞くと約束しよう」
「あ、久しぶりに聞いたよそれ。前回は一緒に寝るってお願いしたっけ」
「そ、そんなお願いを……あの、私はお礼をする立場ですので、そんな事言われてしまっても……」
「いや、レイスがいたからこそ、こうして街を解放出来て、俺も思いっきり憎たらしいアレをどん底まで叩き落とす事が出来たんだ」
ただ殺すだけじゃ満足しきれないくらい、俺もあいつが憎かった。
初めはただレイスのため、彼女が不安を感じながら旅をする原因を取り除きたい一心で動いていた。
だが、街の住人と触れ合い、その歪な在り方を目の当りにする度に、憎しみが、義務感が蓄積されていった。
正直偽善もいいところだし、既に悲しい末路を辿った住人も数えきれないくらいいるだろう。
ただ、やっぱりここで優先されるのは『俺がやりたいからやった』という思いだ。
既に俺自身、アーカムの他に何人かの魔族を手にかけている。
それを悔いては居ないし、今でも間違ったとは思っていない。
『死んだ連中が悪い、この流れに従わなかったから殺した』という独善的な思いもないと言えば嘘になる。
大いに結構。よりよい未来のため、邪魔な人間を消す力があるのなら。
そしてそれが大多数のためになるのなら、俺は喜んで力を使おう。
それで住人の未来が少しでも晴れるのなら。
それで少しでも住人の気が晴れるなら。
それで、俺の中に眠る残虐性が治まるのなら。
危険な思想だというのは理解している。
だが、それがこの世界だ。
一見平和に見えても、その実アーカムのような人間がいて、それぞれの思惑、目的のために手段を選ばずに暗躍している。
そんな世界だからこそ、俺は今よりも少しだけ、魔王になろうと思う。
見た目じゃなくて内面の話ですけどね? これ以上外見をどう変えろと申すのか。
「一つだけ、お願いがあります」
「ん? 俺が出来る事でお願いします」
「で、では……あの……その……」
レイスのお願いに、思考の海から引き上げられる。
そしてこのお姉さん、明らかに挙動不審な様子で胸元で指を組んだり放したり繰り返している。なにこれ可愛い。
そしてもう一人の娘さんはしきりにブツブツと『あのお肉はなんていう料理なんだろう……』と呟いている。
こっちはこっちでお願いが単純明快そうで『カワイイ』ですね。頭にバがつく方ですが。
「あの、私を抱――」
「そうだ、ローストビーフだ! 大きな大きなローストビーフを作ってくれないかい? それを自分で切り分けて、好きなソースや野菜と一緒に食べるんだ」
「お、珍しいな料理を指定してくるなんて」
「アイツの屋敷で働いていた時に出てきたんだ。ずっと私も食べたかったんだけど、余った分は厨房に戻されてね」
なるほどなるほど。
そういえば、あの屋敷で働いていた人間はどうなるのだろうか?
ジニアとリネアの母親も、自分の子供を捨ててまでアーカムの傍にいたくらいだ、これからまた一波乱ありそうだ。
「レイス、聞きそびれたけどお願いはなんだって?」
「……いえ、そうですね、でしたら今晩は、私を抱きしめて寝て下さい。それで満足です」
「よし、男に二言はない、不束者ですがよろしくお願いします」
なかなか難易度の高いお願いが。
今こそ限界を超えよ! 我が理性!
「自分からっていうのも、はしたないですからね……いつかきっと……」
「レイスレイス、アーカムの所ではいつもお腹空かせていただろう? いっぱい食べるといい!」
「……えい」
「はにふるんはー」
何故かレイスがリュエのほっぺを引っ張っておりました。
よく伸びるね君。
そしてその晩、仰向けの俺の上にうつ伏せで重なる彼女に一晩中血走った目で見つめられながら眠れぬ夜を過ごす事になりました。
抱きしめるって言いましたが、さすがにこの体勢は色々と厳しいですお姉さん。
(´・ω・`)よかった、ポークは無事だったんだ