天国までの攻防戦
宿の一室に、どやどやと人が入ってくる。一人は赤い鱗をしたリザード族。一人は水色の髪をしたエルフ族。後の二人は人族の少女と青年だ。旅装束の彼らは荷物を置き、思い思いにくつろぎ始める。そんな中、茶髪の少女、満月はごそごそと荷物を引っ張っていた。必要なものだけ取りだし、手提げ袋に入れる。
「それじゃ私、お風呂に入ってくるから」
そう言って、満月は部屋を出て行く。彼女を見送った後、男三人が残った部屋は静寂に包まれた。話す言葉もないまま時間が過ぎ、リザードの男がベッドから降りる。
「おや、アッグもどこか行くんですか?」
「ちょっと野暮用を思いだしたッス」
エルフの男性、ミシュエルが尋ねると、アッグと呼ばれた男はけらけらと笑った。曖昧に言葉を濁す彼を一瞥し、人族の青年、カイトが息を吐く。
「どうせ風呂を覗きに行くとかじゃねえのか?」
カイトの言葉に、アッグはぎくっと肩を震わせた。
「なな、何言ってるッスか。そんな訳ないッス」
「……図星か」
バレバレの演技に、カイトは眉根を寄せる。その横で、ミシュエルがきらりと目を光らせた。
「覗き? 少し説明してもらいましょうか、アッグ?」
「い、いや、その……」
ミシュエルは口元だけで笑った。もともと美形であるが故に恐ろしさが増している。その迫力に気圧され、アッグはたじろいだ。じりじりと両者の距離が縮まっていく。二人の緊張に、カイトの声が割り込んだ。
「アッグはデュライアの入浴を覗いたことがある。それも一度ではなかったらしい」
「へえ?」
「ちょっ、カイト! このタイミングで告げ口しないで欲しいッス!」
アッグは抗議の声を上げたが、もはや時既に遅しだ。ミシュエルは形のいい眉をつり上げ、アッグを睨み付けている。慌てたアッグは思い出したようにカイトを指さした。
「だ、だいたい、カイトだって一緒に覗きに行ったことあるじゃないッスか!」
「なっ!? あ、あれはお前が無理矢理――!」
ぎゃあぎゃあと言い合いになる。そんな二人に近づいて、ミシュエルはバキッと指を鳴らした。
「何はともあれ――アッグ、あなたには大人しくしてもらう必要がありそうですね」
二人は弾かれたようにミシュエルを見上げた。青色の瞳には本気の色が灯っている。実力行使も厭わないと言いたげに拳を握りしめていた。恐怖に耐えかね、アッグが走り出す。
「って、コラ、アッグ!」
「こういうときは逃げるが勝ちッス!」
勢いよく廊下に飛び出し、ばたばたと駆けていく。ミシュエルとカイトはその後を追った。
『束縛!』
「ぐえっ!?」
じゃらりと鎖がアッグの体に巻き付いた。アッグは手足の自由を失い、前のめりに倒れる。相手が動けなくなったのを確認し、ミシュエルは落ち着いた足どりで歩み寄る。だが、アッグは体を縛り付けられてもなお腹ばいで移動しようとしていた。
「ま、まだまだッス……!」
「往生際が悪いですね」
すっと手がかざされる。と、床の一部が盛り上がり壁となった。アッグは出現した壁に鼻をぶつけ、動きを止める。そうなってしまえばあとは簡単だった。縛られたままのアッグは部屋に連れ戻され、ベッドの上に固定されてしまう。
「なんで俺だけこうなるんスか! 前科の意味ではカイトも同類ッス!」
「私はカイトを信じていますから」
アッグが抗議したが、笑顔のミシュエルにあっさり流されてしまう。アッグがぐっと黙り込んだところで、ミシュエルはさらに続けた。
「それに、カイトに自分で女性の風呂場を覗きに行くような度胸があるとは思えませんし。なぁ、カイト。そうだろう?」
「……ミシュエル、お前はオレを褒めてるのか貶してるのか、どっちだ」
答えるカイトは仏頂面だ。不機嫌そうに睨まれても、ミシュエルはそのままの意味だと笑うだけ。そこへ、扉を開ける音が入ってきた。
「ただいま。いいお湯だったよ~。……って、アッグはどうしたの?」
バスローブをゆるりと巻いて、満月が帰ってきた。彼女は縛り付けられたアッグを見つけ、きょとんと首を傾げている。
「アッグが風呂場を覗きに行こうとしてたんだ」
「ああ、そういう」
カイトが答えると、彼女は納得して苦笑いを浮かべた。短くため息を吐いただけで、荷物を片付け出す。その様子に、ミシュエルは瞬いた。
「怒らないのですか?」
「前の時はちゃんと叱ったんだけどね。やっぱり直してくれないか」
満月は肩をすくめた。諦めたようにまなじりを下げる。
「アッグ、これでも直す気はないのか?」
「ないッス」
「なら、無理矢理にでも直していただきましょうか」
「って、ミシュエル顔が怖いッスよ!!」
カイトがため息を吐き、ミシュエルが拳に力を入れる。ぎゃあぎゃあと騒ぎ出した三人を、満月は困ったように笑って見つめていた。
黒藤紫音さんからのリクエストで、「アッグさんの覗きをミシュエルさん&カイトくんが妨害するお話」でした。
思ったよりドタバタ劇にはなりませんでした。が、満月ログアウト後の男三人の掛け合いは書いてて楽しかったです。
普段は主人公の一人称視点固定なので、こういう話は書けないから新鮮でもありました。
満足いただけたでしょうか? 楽しいリクエスト、ありがとうございました!