―追憶2―
――夜。
豪奢、とは言えないこぢんまりとしたお屋敷に、一人の女の童と、一組の男女がいた。女の童は、その格好からまだ裳着を済ませていないらしい。物陰に隠れるようにして、お部屋の向こうにいる母親と父親の様子を、不安げにうかがっている。
母親のほうは、ひたすら泣きながら謝っていた。その横顔のあまりのやつれようといったら。とてもここ二、三日の悩み事でできたものでないことは明らかだった。
父親のほうは、声を荒げて、母親を激しく責めたてていた。しかし、苦悶したその横顔は、やり場のない怒りをどこにぶつけたらいいのか分からないでいるようでもあった。もとはそれなりな美男子だったのだろうが、頬がげっそりとこけて、目の周りには隈ができている。
女の童は、父親が度々の宿直のせいで、近頃はめっきり家に帰れなくなっていたのを、知っていた。そして、その時を狙って、あの男がいそいそと母親のもとへ通ってきていたことも。
――それから数日後。
川の土手に横たえられた遺体に、例の女の童がしがみつくようにして泣いていた。
「母上、母上」
大粒の涙を流す女の童にそう呼ばれている遺体となった女は、全身が水浸しで、冷たくなっていた。
川に、身を投げたらしい。
新しい命を宿していたのか、お腹の大きいまま冷たくなった母親にしがみついて泣いていた女の童の後ろに、男が、静かに近寄ってきた。小豆色の直衣に身を包んでいるその男の顔は、横たえられた女と同じように蒼白だった。
「紅梅の上」
川底の砂利がみえるほど澄んだ水のなかで冷たくなった女を、力なくそう呼び、男もまた、女のそばへ寄ろうとした。
しかし。
「人殺し」
女の童が、涙でぐしょぐしょになった顔で振り返り、直衣姿の男にそう吐き捨てた。
男の顔が、これ以上ないほどの深い絶望と悲しみにゆがんだ。
「この人殺し」
「父上の、人殺し」
闇のように暗い表情を浮かべる男を追い詰めるように、女の童は嗚咽の混じった声でそう、繰り返す。
「人殺し」
「父上のせいよ」
「母上を、返して」
男は、女の童になにも言い返さなかった。
謝罪の言葉も、弁解の言葉も、一言も、言うことができなかった。
女の童のように、大声をあげて、涙を流すことすら、許されなかった。
女の童は視線をはずすと、二度と起き上がることのない母親の身体にしがみついて泣いた。
その少し後ろで、肩を震わせ、嗚咽をこらえ、最愛の娘に「人殺し」と呼ばれ続ける父親は、妻の遺体を目の前にして、ただその場に、佇むことしかできなかった。