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宇治で解かれる事件手帳  作者: 柏木弓依
~禁忌の章~(全5話)
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第三話


 時刻はお昼を過ぎた頃になっていた。食い入るように右近の話を聞いていた滋川清行のお顔には、いくつかの感情が混ざったような複雑な表情が浮かんでいた。人間を造れたことへの驚愕、禁忌に手を出したことへの嫌悪、そして、そこまで自らを追い詰めた加茂忠広への同情。

 清行は、目の前で脇息きょうそくにもたれている女人を改めて見つめた。墨を流したようなつややかな髪、透き通るような色白の肌、夜の海のように深い闇色の瞳――。これまでいくつもの事件を解決し、そしてなにより、人間の感情を誰よりも深く理解しているこの女人が、ひとりの人間によって造られたものだとは、にわかに信じられなかった。

 「壬生みぶ中納言の亡き一の君さまの代わりとして、この世に造り出されたわたくしに、殿は落ち葉という名前をお与えになり、お仕事の合間に、和歌や和琴、絵をお教えになりました。和琴も絵も、亡き美代姫さまは名手だったからです。」

 落ち葉の君のあの凛とした、亡き美代姫と全く同じだという声が、お部屋に響いた。漆黒の瞳は、おそらく遠い昔を見ているのだろう、目の前に正座する清行を見てはいない。話し方も、いつもの滔々とした話し方ではなく、女人らしい、ゆっくりとした話し方だった。

 「あのころ、わたくしは本当に幸せでした。わたくしが、右近や、殿と違うものであるなど、思いもしませんでしたし、なんのために自分がこの世に生命いのちを受けたのかなど、考えようとすら思いませんでした。ただ、和琴や絵を殿に教わり、それが教わったとおりにできれば、殿が喜んでくださる――それが、純粋に嬉しかったのです。」

 落ち葉の君は、忠広の教えを瞬く間に吸収していったのだった。まさか、自分が別の誰かに重ねられているなど、このときはまだ、知る由もなかった。自分の絵が、描いたそばから紙を離れ、まるで生き物のように動き出したときも、そういうものなのだと思っていた。

 だから、自分の描いたからすが、紙からすっと浮き上がって屋敷のそとへ飛び立っていったとき、忠広の澄んだ泉のような瞳に、なぜ戸惑いと悲しみの色が一瞬にじんだのか、わからなかった。

 今ならわかる。忠広は再認識したのだ。亡き美代姫と同じ着物を着せ、どれほど教育をほどこしても、結局落ち葉の君は、美代姫ではないのだと。人間では、ないのだと。

 「描いた絵に、術者が生存している間だけつかぬ間の生命を与える――それは、加茂忠広さましかお使いになれなかった、式神術です。」

 清行は、以前に落ち葉の君のお屋敷へ行く途中に遭遇した漆黒のウグイスを思い出していた。目の前でぱしゃんと墨を飛び散らせて破裂したあの鳥は、やはり落ち葉の君の描いたものだった。

 清行の言葉に、落ち葉の君がうなづく。

 「もともと、わたくし自身が、術者が亡くなった後も存在し続ける式神のようなもの。だから、わたくしが描いた絵は、全て、式神になってしまうようなのです」

 忠広によって命を与えられた落ち葉の君は、しかし、着実にこの世に馴染んでいった。忠広に教わった和歌も和琴も絵も、瞬く間に上達し、高貴な家柄の姫君と充分に張り合えるほどにまで上達した。生前の美代姫を知っている右近ですら、ときおり落ち葉の君を「美代さま」と呼びそうになるほどに、落ち葉の君は見た目も内面も、亡き美代姫の生き写しとなった。

 そして、忠広もまた、落ち葉の君がお屋敷に来てから、明らかに変わった。あの、思いつめたようなやつれた様子は、ほとんど見せることがなくなっていた。かわりに笑うことが多くなり、しばらく空気の重たかったお屋敷に、活気が戻ったのであった。

 「しかし、穏やかな日々も、長くは続きませんでした。わたくしがお屋敷で過ごして、一年半ほど経ったころ、あのかたが、突然、やってこられたのです」

 落ち葉の君のお顔がかげった。あの、射抜くような、冷ややかな視線が清行に向けられる。

 「滋川是人さまが、わたくしの存在に気づき、もう一人のわたくしを、求めたのです。」


  忠広は、落ち葉の君を造ってすぐ、小さなお屋敷をもう一つ、あまり人のよりつかない山の近くに設けて、そこに落ち葉の君と右近を住まわせていた。そして、決して二人の暮らすお屋敷が他の人に見つからないよう、常に注意を払っていたが、加茂家の弱みを探していた滋川家の当時の当主、滋川是人に、ついに見つかってしまったのである。

 滋川是人が落ち葉の君の目の前に現れたのは、右近も忠広も出かけていた日の、ちらちらと雪の降る、お昼をすこしすぎた頃だった。御簾みす越しに「忠広の友人」と名乗った是人は、落ち葉の君が警戒せずに御簾のそばへいざりよると、御簾の隙間から突然、落ち葉の君の手首を掴み、御簾を跳ね上げたのだった。

 「なんてことだ」

 細い目をした狩衣姿のその陰陽師は、雪に反射した陽の光に照らされた落ち葉の君のお顔をみて一言だけそうつぶやくと、不吉な笑みを浮かべて、帰っていった。

 あまりに一瞬の出来事だった。

 

 「この頃、加茂家は忠広さまのもとで全盛期を迎えており、名家と謳われた滋川家でさえ、とても及ばないほどの力をもっていました。滋川家の当主だった是人さまは、なんとかして、加茂家の勢いをとめようと、加茂家の弱みを探していたのです。そんなときに、わたくしの存在は、まさに是人さまにとって好機でした。」

 ――ちょっと待ってください、と清行がさえぎった。

 清行の色白なお顔は、青ざめている。

 「加茂家の勢力をそぐために、加茂家の弱みを探していたというのは分かります。けれど、その滋川家の者が、もう一人の落ち葉の君さまを求めたというのは、一体……」

 どういうことなのですか、という言葉は声にならなかった。滋川の者も禁忌を犯そうとしていた、その事実を聞くことを、恐れるように、清行の唇は青白く染まり、震えていた。

 「是人さまは忠広さまに取引をもちかけたのです。おかたさまのことを黙っている代わりに、その口止めとして、もう一人の美代さまを造るよう、迫ったのです。そして、忠広さまと同じように美代さまを亡くされて悲しみにくれている主上に、美代さまをさしだしてご恩を売ることで、滋川家の権威を強めることができると、考えたのです。」

 右近の言葉に、清行は絶句し、そのお顔は苦痛に歪んだ。いままで清行は、滋川一族のことを誇りに思っていた。現在の滋川家を築いてきた先人たちを、心から尊敬していた。滋川の一族は加茂家とは違い、常に正しいことをしてきたのだと、信じていた。それが――実際は違っていた。

 「是人さまは、あらゆる方法で忠広さまに度々取引を持ちかけました。術のやり方を教えてくれればご自分で美代さまを蘇らせるとも、おっしゃいました。私にも、取引を持ちかけてきました。今のまま平穏に過ごしたければ、忠広さまがどうやっておかたさまを造ったのかを教えるように、と。けれども、忠広さまは決して、もう一度禁忌を犯そうとはしませんでしたし、方法を教えようともなさりませんでした。かたくなに取引を断る忠広さまに見切りをつけた是人さまは、加茂家を失墜させるため、おかたさまのことを、主上に報告したのです。」

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