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宇治で解かれる事件手帳  作者: 柏木弓依
~忘れ形見の章~(全8話)
34/54

八.

 しばらくの間、落ち葉の君の涼しげな視線と、天谷の狂気をはらんだ鋭い視線がぶつかり合っていた。互いに何も言わず、瞳だけで、互いに相手をねじ伏せようとしているかのようだった。やがて、天谷の品のある顔が不吉に歪んだ。唇の片端をあげて――拍手した。

 「さすがですね。ご明察のとおりですよ」

 「一人の命を残酷に奪っておきながら……」

 まるで勝者のように勝ち誇った天谷の態度に、舘内の声は怒りのあまり、震えていた。

 「あなたには、罪の意識というものはないのですか!」

 「罪の意識?」

 天谷は鼻で笑った。

 「自分の娘に妻の代わりを強要したあげく死に追いやった獣を排除することのどこが悪いというのですか。大納言はもう八年間近く佳衣姫さまを北の方の代わりにしていた……八年間もです。屋敷の外から一歩も出さずに、一番奥の部屋にまるで鳥のように閉じ込めていたんですよ。姫君はいつもあの屋敷から出たがっていらっしゃった……。だからわたしは姫君とどこか遠いところでひっそりと暮らそうって約束もしたんです。息苦しいあの場所から遠い、どこか空気の澄んだ落ち着くところで過ごそうと。それなのに……大納言はとうとうわたしと姫君の関係に気づいて、前よりいっそう厳しく姫君を監視するようになりました。少しでも姫君がいうことを聞かないと、さんざん罵って暴力まで振るっていたんです。亡骸にはそれはもう……数え切れないくらいの痛ましい痣が残っていましたよ」

 天谷の目元に、小さな涙が浮かぶ。

 「なんの罪もない一人の姫君をそこまで追い込んだ男に罰を与えて、何が悪いのですか! 殿上人てんじょうびと(宮中に上がることを許された五位以上の貴族)でもないわたしが大納言を相手にするには、ああするしかなかったんです!」

 すぐそこまでせりあがってくる怒りを圧しとどめるように、品のあった瞳に怒りを滲ませながら天谷は言い放った。

 深い悲しみを滲ませた天谷に、舘内はなにも言い返せない。

 静まった室内に、いつの間にか降り始めた雨の音が響き渡る。まるで、京中にはびこる罪を洗い流すように、しずしずと降りしきり、室内は雨音にのみこまれていった。

 「あの」

 重たい沈黙を穏やかな声で破ったのは、少将だった。

 「あなたは先ほど、大納言が殺害された日の行動を聞かれたとき、わたしたちが想像しているとおりだと言いました。落葉の姫君さまの考えが正しければ罪を認めるとまで。大抵の殺人犯が最後まで言い逃れをしようとするのに、あなたはそのようなそぶりを全く見せなかった。それは……なぜですか?」

 少将の静かな瞳に見つめられた天谷はうつむけた顔を上げた。さっきまでの不吉な笑みとは全く違う、かすかな寂しさを漂わせた表情で少将に小さく微笑んだ。それから射抜くような冷たいまなざしを向けて黙っている落ち葉の君を見て

 「わかっていらっしゃるのでしょう?」

 落ち葉の君はうなずいた。

 「あなたにとって、大納言への復讐は大納言を殺害しただけでは不十分だからです」

 「どういうことですか」

 舘内が良くわからないというふうに首をかしげる。

 落ち葉の君は薄暗い空に明かりを灯すような声で淡々と話した。

 「呉羽女房と違い、あなたの本当の目的は大納言の殺害ではなく、大納言の犯した罪を世の中に知らしめ、大納言に一生涯拭い去ることのできない辱めを与えることです。そのためにまず、あなたは京中の注目が集まるような残虐な方法で大納言を殺害しました。大納言の体に『我罪人也』と刻み込んだのもそのためです。実際、あなたの予想通りに京中には大納言の死が知れ渡り、同時に次期内大臣とまで目されていた人物が犯した罪はいったい何かとさまざまな憶測が流れています。しかし、大納言の犯した罪を世の中に知らしめるためには最終的にあなたが検非違使に捕らえられなくてはならなかった。そうでなければ事件の真相が永遠に分からないままになるからです。あなたが検非違使に捕らえられ大納言を殺害した動機をあなた自身が話すことで、初めて大納言の犯した罪は京中に知れ渡ることになります。だから、初めからあなたには殺人犯であることを隠すつもりはなかったのです」

 天谷は深くうなずいた。それを確認して、落ち葉の君は静かにつづける。

 「ただし堤大納言の殺害の仕方には、人々の注目を集めるという目的以外にもう一つ意味が含まれています」

 「もう一つの意味ですか?」

 「はい」

 落ち葉の君は再び天谷に視線を移して

 「大納言の亡くなり方を佳衣姫さまの亡くなり方と似せることです。そうすることで、あなたと呉羽女房は大納言に佳衣姫さまの受けていた苦しみを実感させることができると考えたのでしょう。大納言が佳衣姫さまにしていたようにあなた方は大納言を暴行した後、罪の象徴を切断して首を絞め、見せしめとして佳衣姫さまのお墓から見える宇治のあの場所にまるで自分で首を吊って自殺したかのようなかたちで遺体を遺棄した――そうですよね」

 天谷は弱々しげに微笑んだ。それから一つため息をついた。

 「あなたは本当に、何でもお見通しなのですね」

 それからゆっくり立ち上がると庭側の御簾みすを持ち上げて激しく雨の降る外をのぞいた。

 堤大納言のお屋敷の華やかな庭とは違い、身分の低い天谷のお屋敷の庭は殺風景で、ところどころに小さな花がこぢんまりと咲いているだけだった。

 「重たい、雨ですね。まるで、雨が泣いているような……」

 背を向けて佇む天谷の背中に、少将は穏やかな声をかけた。

 悲しげな静寂が雨音とともに満ちていく。 

 やがて舘内が

 「呉羽女房は……自殺する必要があったのでしょうか……」

誰に言うともなくそうつぶやいた。

 「あのような遺書まで残して、逮捕されるつもりだった天谷さまをかばおうとしました……」

 さめざめと降る雨に紛れて、少将が慎重に言葉を選びながら答えた。

 「おそらく……守りたかったのだと思います。遠縁にあたる、天谷さまを」 

 そう言いながら、呉羽女房と会ったときのことを思い出していた。

 呉羽女房が、涙を頬に伝わせながら強く握っていたあの手が、少将の頭から離れなかった。

 「きっと、呉羽女房は強い罪悪感を感じていたのだと思うんです。常にそばにいたのに佳衣さまを守れず、おまけに遠縁とはいえ血のつながった天谷さまを殺人犯にしてしまったことに。だからきっと――最後に、守りたかったのではないでしょうか」

 天谷は三人に背を向けたまま、答えない。

 四人は、しばらく黙ったまま、深い悲しみを含んだ雨音を、いつまでも聞いていた。




 それから数日後――。

 数週間にわたって降り続いた雨はやみ、爽やかな青空が広がっている。

 暑すぎず寒すぎない爽やかな風がときおり通り過ぎるなか、宇治にひっそりと佇む落ち葉の君の小さなお屋敷に、真っ白な狩衣をふうわりと身に纏った一人の若い男がやって来ていた。

 お屋敷の中に通されたその男は、いつになく顔をこわばらせながら、落ち葉の君と向かい合って座っている。狐のような切れ長の目には、真剣さがこもっていた。

 「今日は、落ち葉の姫君さまに直接お伺いしたいことがございまして、一人で参りました」

 陰陽師の滋川清行が、静かに言った。

 ぴんと張り詰めた糸のような緊張感が二人の間に張り巡らされていくのを感じているのか、落葉の君のすこし後ろでは、右近が不安そうに控えている。

 落ち葉の君は、透き通るような色白のお顔を優雅に扇で隠し、墨を流したようにつややかな漆黒の髪をたらして脇息にもたれかかっている。

 清行は落ち葉の君の前に、二冊の本を一冊はページを開いて、もう一冊は閉じたままそっと置いた。どちらとも相当古い本だったが、ページが開かれたほうには落ち葉の君そっくりの女人が描かれている。もう一冊は黒ずんだ萌黄色の表紙のついた日記のようだった。

 右近がすこし前にいざってその二冊を見たとたん、小さく息をのんだ。

 不安げなお顔に、一瞬、恐怖の色が滲む。

 落ち葉の君はただ一瞥しただけで、緊張して座っている陰陽師に凛としたまなざしを向けた。

 「右は滋川家の当主が書き留めてきた記録、左は今から百五十年前に加茂家の当主だった陰陽師、加茂忠広が書き残した日記です」

 清行の声は静かだったが、問い詰めるような力がこもっていた。

 切れ長の瞳が、すぐ正面に座る氷の面のような美しい女人の顔を見つめる。

 恐ろしい静寂が、ほのかな墨の香りの漂う部屋を塗りつぶしていくなかで、右近が口火を切った。

 「おかたさま、滋川さまにはもうお帰りいただきましょう。そもそもお部屋に通すなどいつものおかたさまなら絶対になさらないことではありませんか」 

 落ち葉の君は何も言わずに、緊張した面持ちで目の前に座る京一の陰陽師を見据えていた。

 清行の切れ長の目には、一歩も引かない意思がこもっている。

 「おかたさま!」

 まるで刃物を向け合っているかのような緊張感を緩めたのは、落ち葉の君だった。

 小さなため息をつくと、細くて華奢な左手を伸ばし、くすんだ萌黄色の日記を引き寄せた。それから、かすかに震える指先で、ゆっくりとページをめくる。

 どのページにも、小さくて細かな文字が、流れるように優雅に書き連ねられていた。

 「これを、どちらで?」

 いつもどおりの涼しげな声でそう尋ねる落ち葉の君の声には、わずかな懐かしさがこもっていた。

 「加茂友平さまから、いただきました」

 そうですか――と小さく答えると、また視線を日記に戻す。

 丁寧に、はらり、はらりとページをめくりつづけ、やがて、落葉の君はそっと日記を閉じた。

 そして透明感のある穏やかな声ではっきりと尋ねた。

 「わたくしたちを祓いますか」

 清行の苦しそうな瞳と、落ち葉の君の漆黒の澄んだ瞳がみつめあう。

 一瞬で夕暮れになってしまったような雰囲気のなかで、三人は沈黙していた――。 


―完―

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