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宇治で解かれる事件手帳  作者: 柏木弓依
~忘れ形見の章~(全8話)
33/54

七.

 「天谷さま、それは、犯人だということをお認めになるということですか」

舘内は顔を引きつらせながら、落ち葉の君を見つめたままの天谷に尋ねたが、天谷は動揺した様子を少しも見せなかった。変わらず、穏やかな表情のままでいたが、しかし、何を考えているのか読めないその表情に、少将は寒気を覚えたままだった。

 「私が犯人かどうかはひとまずおいておいて」

 天谷は意味ありげに舘内をちらりと見やると、また落ち葉の君に視線を戻した。

 「まず、あなたの考えをお聞かせいただきたい。あなたが今回の事件をどう捉えていらっしゃるのか、知りたいですから」

 少将も舘内も、隣に座る落ち葉の君に視線を向けた。確かに、天谷の言うとおり、今回の事件については素直に知りたかった。

 「舘内さま」 

 不意に、天谷が舘内の名前を呼んだ。

 「は、はい」

 「落ち葉の姫君さまが今回の事件を正しく捉えていらっしゃれば、私はあなたに従いましょう。罪を認めましょう」

 「もし、落ち葉の姫君さまが間違えていらっしゃたときは……?」

 答える代わりに、天谷はすっと唇の端をあげた。品のいいお顔立ちに、少しの影も感じさせることのない爽やかな微笑が漂って得体の知れない不安を感じた舘内と少将は、そのときになって初めて、天谷の少し後ろに刀が置かれているのに気づいた。少将も舘内も、刀は持ってきていない。

 「さあ、聞かせていただけませんか? 落ち葉の姫君さま、あなたのお考えを」

 わかりました、と落ち葉の君は小さく答えた。いつもどおり毅然としていた声を聞いて、少将はすこし、安心した。

 「今回の事件のそもそもの原因は、佳衣姫さまの死にあります」

 落ち葉の君は、その澄んだ漆黒の瞳を天谷に向けたまま話し始めた。

 「佳衣姫さまは三週間ほど前に病で亡くなられたとされていますが、しかし、実際は違います。本当は自殺されたのです」

 天谷は相変わらず微笑している。本当に天谷が犯人だとして、この追い詰められた状況で弁解しようともせずに笑みを浮かべていられる天谷のことが、少将には理解できなかった。

 「佳衣姫さまの死に疑問を抱いたきっかけは、橘少将と舘内少尉のお話を聞いたときです」

 その言葉に、少将と舘内は互いに顔を見合わせて、遠慮がちに舘内が口を挟んだ。

 「どういうことですか?」

 落ち葉の君は舘内と少将のほうを見て

 「三人で遺体のあった場所に行ったとき、お二人はこうおっしゃりました。『佳衣姫さまは突然亡くなられた。詳しいことは分からない』と。しかしこれはすこし奇妙です。佳衣姫さまは次期内大臣にとまで噂されている大納言の姫君さまで、京中の男性たちから求婚されていた方です。そのような方が死にいたるほどの病になられたのなら、まず病になられたときすでに京中の人々の話題になっているのが自然です。たとえ堤大納言がそのことを内密にしようとしていたとしても、それほどの重病でしたら薬師や祈祷の者たちが頻繁にお屋敷に出入りするでしょうから、噂になるでしょう。それなのにお二人とも、姫君さまが病にふせっているときのことを全くご存じなかった」

 落ち葉の君の話に少将は確かに、と思った。堤大納言のような力のある人の姫君が病になったとあれば、どのような病なのかなど京の人々の噂になるのが普通だ。それなのに、佳衣姫の亡くなる前に、佳衣姫が病にかかったという話は一度も聞かなかった。 

 落ち葉の君は再びその涼しげな視線を天谷に戻す。天谷は満足そうにうなずいて聞いている。

 「佳衣姫さまはなぜ亡くなられたのか――亡くなった原因は堤大納言にとって都合の悪いものであるはずです。人々の話題に上っては困るから、表向きは病死ということにしたのだと。そこで思い当たりました。佳衣姫さまの亡くなられた本当の原因は、自殺なのではないか、と。もし姫さまが自殺で亡くなられたことが京の人々の話題になってしまったなら、堤大納言が姫さまを自殺にまで追い詰めたのだと騒がれ、堤大納言に対する評価は落ちるでしょう。文のやり取りすら禁じられていた佳衣姫さまが接していた人は、表向きはあのお屋敷の中の人だけだったのですから、自殺してしまったとなれば、当然保護者である大納言の接しかたに問題があったとみなされます」

 落ち葉の君は言葉を切った。舘内も少将も、落ち葉の君の話に聞き入っていた。

 「佳衣姫さまが病死されたという話に疑問を抱いたわたくしは、舘内少尉に佳衣姫さまのところに薬師や祈祷の者たちが出入りしていなかったか調べていただくことにしました。そしてその一方で実際に佳衣姫さまの亡くなられたお部屋を見に、堤大納言のお屋敷を訪ねました。そして姫君さまのお部屋の、不自然に真新しく張り替えられた畳や、梁に残っていた縄のようなものがこすれた後、そして香月女房の証言などから佳衣姫さまは自殺されたのだと確信しました。ではなぜ、佳衣姫さまは自殺してしまったのか。香月女房は佳衣姫さまが手首に刃物を当てているところも見ていらっしゃいます。そこまで佳衣姫さまを追い詰めたものは一体何か――」

 落ち葉の君の白くて美しく整ったお顔が、深い闇に沈んだ。重たい影を落とした重苦しい空気が辺りを締め付ける。

 「佳衣姫さまは亡き北の方さまの代わりとして、堤大納言のお相手をさせられていらっしゃったのです。おそらく、北の方さまが亡くなられた翌年から」

 「そんな……」

 舘内は愕然とした。

 「堤大納言は北の方さまだけを想い続けていらしたのに……」

 落ち葉の君は舘内の言葉に小さくうなずくと

 「北の方さまのことをあまりにも強く想っていたからこそ、成長するにつれてますます北の方さまそっくりになられる佳衣姫さまを北の方さまの面影と重ねてしまったのです。そうすることで、大納言は悲しみの埋め合わせをしたのです」

 少将は、呉羽女房の話を思い出していた。佳衣のことを話しているとき、呉羽女房の両手は無意識のうちに強く握られていたが、あれはきっと佳衣姫さまを亡くした悲しみのせいだけではなかったのかもしれない。北の方さまの代わりをさせられていた佳衣姫を守れなかった、自責の念が強かったのではないか――。

 「香月女房の話では、北の方さまが亡くなられた翌年から、呉羽女房以外の付き人や女房は夕刻になったら帰るよう堤大納言から言いつけられたということでしたが、佳衣姫さまが北の方さまの代わりとなったのが北の方さまの亡くなられた翌年からと考えれば、説明がつきます。大納言は佳衣姫さまとの関係を秘密にするため、一番古くから仕えていてまたもっとも信頼を置いていた呉羽女房以外の者を夕刻のうちに全員帰したのです。また佳衣姫さまは北の方さまの死後ほとんど笑うこともなく暗い性格に変わられたということでしたが、これも母の死だけではなく母の代わりをしていたからと考えればつじつまがあいます。一方で、堤大納言も自身の行いの罪深さを十分感じていました。急に熱心に仏に祈り始めたことがその証明です。堤大納言自身も、深く傷ついていたのでしょう」

 そこまで話したとき、天谷が声を押し殺したように笑った。品のあるお顔には陰湿さが漂い、瞳には狂気が見え隠れしてる。少将は思わず背筋が寒くなり不安げに落葉の君を見たがしかし、落葉の君は天谷を一瞥しただけで気にせずに続けた。

 「さて、今回の事件が佳衣姫さまの死への復讐だとするなら、犯人は姫さまととても親しい関係にあった人物となります。遺体の発見された場所には女性と男性の二人の犯人の残像が残されていました。堤大納言のお部屋の畳がごく最近張り替えられていたことから、大納言が殺害された場所は大納言自身のお部屋だと考えられます。そうなると、犯人の一人は呉羽女房以外にありえません。佳衣姫さまと堤大納言の関係を知っていて、かつ誰にも気づかれずにお屋敷の中で堤大納言の殺害することができるのは、呉羽女房しかいないからです。ではもう一人の犯人は誰か。佳衣姫さまと堤大納言との関係を知っており、殺人を犯すほどまで姫さまのことを大切に考えている人物となると、佳衣姫さまの恋人と考えるのが自然です。そしてその恋人は、近衛府に勤めていて、一人の男性を木に吊るせるほどの力があり、堤大納言の殺害された夜から翌日にかけての行動がはっきりしていない男性――つまり、天谷さま、あなたです」



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