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宇治で解かれる事件手帳  作者: 柏木弓依
~忘れ形見の章~(全8話)
32/54

六.

 佳衣のところを出た三人は、今度は堤大納言のお部屋に来ていた。ここも、同じようにきれいに片付けられている。

 「この部屋も、畳が張り替えられているんですね」

 少将の言うとおり、室内の全ての畳が張り替えられたばかりのようだった。

 「たしか、堤さまが失踪された日に張り替えられていたと思います」

 「それは確かですか?」

 香月の言葉に、落ち葉の君は鋭く尋ねた。

 「はい。わたしたちがそれぞれ帰った後に張り替えられたみたいです。ずいぶん急だなってちょっと変な感じがしました」

 落ち葉の君は注意深く部屋を見回しながら

 「他に、堤大納言が失踪された日にお気づきになられたことはありますか?」

 「他に、ですか……」

 香月も部屋を見渡す。

 「たとえば、いつもよりもお部屋がきれいになっていた、ということはありませんでしたか?」

 「そういえば……確かにそうでした」

 表情をはっきりとさせて、落ち葉の君を振り返る。

 「畳が張り替えられていたからかと思っていたのですけど、それでも掃除されたようにきれいになってました」

 その答えに落ち葉の君は満足そうにうなずく。その整った色白の横顔は、真冬の雨粒のような冷たさを含んでいた。

 「堤大納言はどのような方でしたか?」

 その質問に、香月は困ったような表情を浮かべる。

 「おかたさまがいらっしゃったときは、快活としていてお優しくて、楽しくて、わたしも好きでした。でもおかたさまを亡くされてからすっかり変わってしまったんです。笑うことが無くなって、いつも思い悩んでいるようなお顔をされて、急に仏様にお祈りするようになったりして。それまで住み込みだった私たちが毎晩帰るように言われたのはおかたさまが亡くなられたその翌年です」

 落ち葉の君も少将も、静かに香月の話を聞いていた。主を亡くしたその部屋に、静かな沈黙がおとづれる。

 やがて香月がつぶやいた。

 「このお屋敷は、おかたさまが亡くなってしまってからすっかり変わってしまったんです。もう、昔にはもどれないんです」 

 寂しげな女房の心の中を映すように、外では静かに雨が降り続いていた。




 「橘少将にお願いがあるのですが」

 お屋敷を出てすぐ、落ち葉の君は言った。

 「近衛府内の人で、堤大納言の失踪された日の翌日に、どこで何をしていたかはっきりしていない人を探していただきたいのです」

 「その人が、佳衣さまの恋人なのでしょうか?」

 「おそらく。そして、堤大納言殺害の疑いがあります」

 その冷たい言葉で、少将のお顔に亀裂がはいる。

 「あのなかに、犯人が……」

 近衛府は少将が勤めている場所でもあった。いつも顔を合わせているあの中に、今回のおぞましい事件の犯人がいるとは、思いたくなかった。

 「佳衣さまの恋人が犯人ということは、大納言を殺害した原因は、大納言が佳衣さまとの結婚を許さなかったからしょうか?」

 ぽつぽつと降る雨を受けながら、少将は言った。雨はほぼ止みかけている。

 「今回の事件は、それほど単純ではないでしょう」 

 落ち葉の君が傘をたたみながらやんわりと否定した。

 「今回の犯人は、堤大納言に対して激しい憎悪を抱いており、佳衣姫さまの復讐として大納言を殺害しました」

 「佳衣さまの復讐? それでは、大納言が佳衣さまを殺害したのですか……?」

 少将の言葉に落ち葉の君は首を振る。

 「いえ、それは違います。橘少将のお話や香月女房のお話では堤大納言は恋文を佳衣姫さまに触れさせないようにするほど、佳衣姫さまを大事にしていました。堤大納言は直接手を下してはいないでしょう。むしろ、誰の目にも触れないようにお屋敷の一番奥のお部屋に佳衣姫さまをしまいこんでいたのです」

 「どういうことですか?」

 少将には落ち葉の君の話していることが良くわからない。

 「それならどうして復讐になるんですか?」

 「堤大納言の行き過ぎた束縛に、佳衣姫さまはご自身で手首に刃物を当てるほどに思い悩んでいました。そしてついに堤大納言の束縛に耐えられなくなって自殺したのです。死という形でしか、佳衣姫さまは自由になることができなかったのだと思います」

 「それじゃあ、犯人はそれを知って堤大納言を? でもそれなら、落ち葉の君さまがあの森でご覧になったもう一人の犯人の女人は、誰なのでしょうか?」

 「呉羽女房です」

 そのあまりにもあっさりとした答えに、少将は耳を疑って立ち止まる。

 「ど、どうして呉羽女房が?」

 「呉羽女房は犯人と佳衣姫さまとの恋文のやり取りを手伝っていました。堤大納言に見つからないように。佳衣姫さまが、いつか犯人と結ばれることを心から望んでいたのです。しかし佳衣姫さまは自殺してしまった。長年仕えてきた主人の忘れ形見である佳衣姫さまの幸せを願い大切に育ててきた呉羽女房のなかで、堤大納言に対する激しい憎悪が生まれたとしても不思議ではありません。それに、呉羽女房の場合は状況的な裏づけもあります」

 「なんですか?」

 「あの日、堤大納言を殺害できた女人は呉羽女房しかいないのです」

 落ち葉の君は涼しげな声のまま話を続ける。

 「堤大納言のお部屋の畳の話のとき、香月女房は、こういいました。『畳は夜のうちに張り替えられ、室内は掃除されていた』と。なぜ室内すべての畳が張り替えられ掃除までされたか――」

 「全ての畳を張替え、かつ掃除をしなくてはならないほど部屋が汚れたから……」

 そう答えたとき、少将の中にある考えが浮かんだ。その恐ろしさに思わず身震いする。

 「まさか、堤大納言が殺害された場所って――」

 落ち葉の君は静かにうなずく。

 「堤大納言自身のお部屋です。殺害され、体に文字を刻まれてから、あの場所に運ばれたのです。そしてあの時間、あのお屋敷にいた女人はたったひとりしかいません」

 少将はさっきの香月の話を思い出す。

 ――でも呉羽さんを除いて女房や堤さまの付き人たちは、堤さまのお言いつけどおりに夕方になったら自分の屋敷に帰るんです――

 「でも、どうして佳衣さまを自殺に追い込むほどに堤大納言は佳衣さまを束縛したのでしょうか。身分の低い男と結婚させたくないという気持ちは分かります。けれど……」

 落ち葉の君は、すぐに答えなかった。透き通るように白いその横顔が何を考えているのか――少将には、分からない。

 一時的に止んでいた雨がまたさらさらと降り初め、慌てて二人は傘を差す。少将の傘が一輪の大きな花のようにふわっと開いたとき、落ち葉の君が誰にともなくつぶやいた。

 「もし、佳衣姫さまが北の方さまに似ていなかったのなら……」

 少将はふりかえったが、落ち葉の君はいつもの取り澄ました表情のまま、再び言葉を発することはなかった。

 



 そのころ、堤大納言のお屋敷では――。

 「どうして嘘をついたのですか!」

 呉羽の部屋で、香月は呉羽を睨みつけていた。香月がこれほど怒るのは初めてだったが、呉羽は動じなかった。香月のほうを見向きもせずに、繕い物をしている。

 「嘘? なんのことです?」

 「佳衣姫さまのことです。病死じゃなくて、本当は自殺なのでしょう? さっきの方が、そう言っていましたよ」

 呉羽は針を持つ手を止めると、香月に静かなまなざしを向けた。静かだが、有無を言わせない高圧的な視線だった。

 「そうして、またわたしたちにはなにも教えてはくださらないのですね」

 香月もその視線から目をそらさない。両手が次第に強く握られていく。

 先に目をそらしたのは呉羽だった。静かにまた繕い物を始める。

 「何が原因にせよ、姫さまはもう亡くなられたのです」

 「ですからどうして亡くなったのかと聞いているんです! さっきの方の言うとおり、自殺なのですか? 姫さまが亡くなられた日、わたしは姫さまのご遺体にあわせていただくどころか姫さまのお部屋にすら入れてもらえなかった……。それは姫さまが本当はどうして亡くなったのかをわたしたちには隠すためなのでしょう? やっとお部屋に入れたときは、片づけが済んで畳も張り替えられた後……。姫さまが自殺されたということを、わたしたちに隠すためですね」

 そう問い詰める香月の瞳は怒りと寂しさの入り混じった色をしていた。自分の長年仕えていた主人の最期に立ち会えなかった悲しみと怒り、その真相を知らせてもらえない寂しさと怒り……。それらが、香月のなかで入り混じっていた。

 呉羽はため息をついた。わずらわしさの滲み出たため息だった。それから、一言一言を言い聞かせるように言い放った。

 「あなたは、知らなくていいことです」

 はっきりと拒絶するその言葉に、香月は愕然とした。悔しそうに、悲しそうに、寂しそうに、唇をかみ締めて、立ち尽くす。

 「……そう、ですか」

 やっとの思いでそう口にするも、呉羽は見向きもしない。香月は呉羽に背を向けると、部屋を出て行こうとしたが、廊下でふと立ち止まった。そして、さっきの感情的な声とはうってかわった冷たい声で、

 「堤さまの事件、呉羽さんが犯人なのではないですか」

 背後で、呉羽の動きが止まったのを感じた。

 「堤さまがいなくなられた日、あの部屋は掃除されたばかりのように片付いていました。畳まで、全て張り替えられていた。証拠を消すために、呉羽さんがやったのでしょう?」

 呉羽は身動き一つしていないようだった。たっぷりと、二人の間に重たい沈黙がおりる。

 「あの方――今日いらした落ち葉の姫君さまも、お気づきのようでしたよ。きっと、呉羽さんと堤さまが隠し通そうとされていることも、あの方ならいつかお気づきになるでしょうね」

 それだけ言うと、香月は部屋を出て行った。

 廊下から入るささやかな夕方の明かりが、呉羽の思いつめたように重い横顔を照らし出していた。

 



 「大変なことになりました!」

 落ち葉の君と少将が堤大納言のお屋敷を尋ねた次の日の朝早くのことだった。少将と舘内が、真っ青な顔をして落ち葉の君のお屋敷にやってきた。二人とも、走ってきたらしく、息が上がっている。

 「呉羽女房が……亡くなりました」

 「どういうことですか?」

 舘内の言葉に落ち葉の君も相当驚いたようだった。御簾越しではっきりとした表情まで見えないものの、声に明らかな動揺が滲んでいる。

 「遺書を残して、あの屋敷で首を吊ったんです。ただ、遺書には自分が犯人だということしか書かれていず、動機は結局分かりません。でも検非違使の中ではこれで事件を終わらせようとしているんです」

 呉羽の遺体を発見したのは、香月だった。いつも自分よりも早く仕事をしているはずの呉羽が見当たらず、屋敷内を探したところ部屋で首を吊っていたのだった。

 「落ち葉の君さまは犯人は二人だとおっしゃっていましたよね?」

 そう尋ねる舘野に、落ち葉の君もうなずく。

 「堤大納言をあのように殺害するのは、呉羽女房だけではほぼ不可能です。両手足を縛り、あのような痕がのこるほど暴行することも、そして木に遺体を吊るすことも、女人一人でできるものではありません。犯人は呉羽女房ともう一人、佳衣姫さまの恋人です」

 「佳衣さまに、恋人がいたのですか?」

 驚いて聞き返す舘野に、少将は香月の話を手短にした。

 「……なるほど。そういうことでしたか。でも一体、相手は――」

 「その相手ですが、近衛府内に、一人だけ、堤大納言の失踪した翌日の行動がはっきりしない人がいました」

 「どなたです?」

 鋭く尋ねる落ち葉の君に、少将は

 「天谷あまがいという近衛将監です。それで、調べておどろいたんですが、天谷近衛将監は呉羽女房の遠縁にあたるんです。年齢は二十一、佳衣さまとは三歳違いです」

 同じ近衛府に属しているとはいえ、少将が天谷とあったことはほとんどなかった。正六位という位の低い身分で昇殿(内裏にあがること)の許されない天谷が、身分が上の少将と話す機会など、ほとんどなかった。

 「わたしも、昨日堤大納言のお屋敷の周りで何人かに尋ねた結果いくつか分かったことがありました」

 少将に続いて舘内も、

 「まず佳衣姫さまの亡くなる前ですが、薬師などが出入りしていた様子は一切なかったそうです。それから堤大納言が失踪されたとされる夜中のうちに、牛車が一台、堤大納言のお屋敷のそばにひっそりと止まっていたのを見たも人がいました。ただ、だれの牛車かは分からなかったそうです。それから、佳衣さまが埋葬された場所ですが、宇治でした。それも、堤大納言の遺体が見つかった場所からほんの少し離れたところです」

 「すぐに参りましょう」

 出し抜けに、落ち葉の君が立ち上がった。

 「事件の全体像は、見えました」




 天谷近衛将監は突然やってきた落ち葉の君と少将、舘内を、快く屋敷の中に通した。少将と同じくらいの背丈の天谷は、上品な顔立ちをしていた。屋敷の奥の一部屋に三人を案内すると、柔和なまなざしを向けた。

 「いらっしゃると、思っていました」

 人を殺めた人の声とは思えないあまりにも穏やかで落ち着いた声に、少将も舘内もうろたえた。少将は隣に座る落ち葉の君の横顔をそっとのぞいたが、落ち葉の君もまた、物静かな表情で天谷を見ている。

 「先にお伝えしておきますと、呉羽という女房の死には、私は関わっておりません。昨夜はずっとここにおりましたし、屋敷の者も、そう証言してくれるでしょう」

 「では先日の堤大納言の死に関しては、いかがですか」

 少将も舘内も、驚いて落ち葉の君を見た。落ち葉の君は二人の視線を気にすることなく、真直ぐと凛とした視線を天谷に向けている。落ち葉の君の前では、隠し事などなにもできない、そう思わせる鋭さがあった。

 「堤大納言が失踪された翌日、天谷さまはどちらで何をされていらっしゃいましたか」

 天谷は静かに吐息をついた。そして、穏やかに言った。

 「あなたがご想像されているとおりですよ、落ち葉の姫君さま」

 そう微笑む天谷の瞳によぎった一瞬の暗い闇に、少将はぞわりと不気味な寒気を覚えた。


 

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