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宇治で解かれる事件手帳  作者: 柏木弓依
~忘れ形見の章~(全8話)
31/54

五.

 

 『ここに巻かれていた縄の先に勢いよく下げられたもの――それは、佳衣姫さまです。佳衣姫さまは、病で亡くなったのではなく自殺されたのです』


 落ち葉の君の言葉に、少将は言葉を失っていた。まるで誰かがさめざめと泣いているような雨音だけが、室内いっぱいに響いている。

 落ち葉の君は、変わらず感情を表わさない氷の面のような冷たさを含む整った表情のまま、静かに踏み台から下りる。

 「この踏み台も、おそらく新しいものでしょう。古い踏み台は、佳衣姫さまが亡くなるときに使われているはずです」

 少将は必死に考えを整理していた。思ってもいなかった事実に突き当たったそのお顔は蒼白だった。

 「畳が張り替えられたのは佳衣さまが自殺されたときに汚れたから……。佳衣さまは梁に縄をくくりつけて、首を吊った……。屋敷の人だけでお葬式を済ませたのは、佳衣さまの亡くなった本当の原因を隠すため……。でも、そもそもどうして佳衣さまは自殺してしまったのだろう……。何不自由なく暮らし、呉羽という女房には北の方の忘れ形見だと大事に育てられて、堤大納言には男たちを寄せ付けさせないくらい大切にされていたのに……?」

 少将がぶつぶつと独り言をつぶやきながら考えていたその時だった。

 「やっぱり、堤さまも呉羽さんも嘘をついていたのですね」

 不意に廊下側から若い女の声がして、少将も落ち葉の君も驚いて振り返った。

 「わたし、このお屋敷にお仕えしている香月かづきといいます」

 山吹色の小袿こうちぎを纏った気の強そうな女房は短くそう言うと、部屋につかつかと入ってきた。まだ十五か十六歳くらいだろうか、ずいぶん小柄で、落ち葉の君とほとんど変わりない背丈だった。そのせいか呉羽と比べるとずいぶん年下に見える。

 「お二人とも、ずいぶん幼い女房だなぁってお思いになられたでしょう? でもわたし、こう見えてももう三十なんです」

 奥ゆかしさの感じられないそのあっけらかんとした様子にあっけにとられていた少将は、香月の最後の言葉に思わず噴出した。その様子に少しむっとしたように香月は

 「ちょっと、ずいぶんと失礼じゃありませんか。噴出されるなんて」

 「いや、その、すみません。あまりにその、不意を突かれてしまったので」

 慌てて少将が謝る。しかし香月は

 「もう、いいです」

 と三十歳には見えない子供らしさを残した白い頬を、すねたように膨らませたがすぐにそれもやめると落ち葉の君に近づいていった。そしてあどけない表情をさっと消して真剣なまなざしで落ち葉の君を見つめた。

 「申し訳ありません。わたし、廊下でお二人のやり取りをすべて聞いてしまいました。盗み聞きするつもりはありませんでしたが、あまりにも衝撃的なお話で思わず聞いてしまったのです。佳衣姫さまが亡くなられたのが実は自殺だったというのは、本当なのですか?」

 落ち葉の君もまた香月の真剣な瞳を見て小さくうなづく。

 「本当です。呉羽さまがおっしゃった病死というのは、嘘です」

 涼しげで揺らぎのない言葉に、香月はうつむく。

 「やっぱり、あの二人は嘘をついていたのですね……」

 悔しそうに唇をかみ締め、小さな両手は強く握り締められていく。

 「あの、堤大納言と呉羽さまが嘘をついていたというのはどういうことですか? 香月さまはご存知なかったのですか?」

 不思議そうな少将に香月は涙をぬぐいながら答える。

 「姫さまが亡くなっているのを最初に発見されたのは堤さまと呉羽さんなんです。姫さまが亡くなられたのは夜で、わたしは自分の屋敷に戻っていましたから、次の日の朝になって呉羽さんから聞いたんです。ご遺体も、わたしは見ていません。いいえ、わたしだけではありません。堤さまと呉羽さん以外は、みな、亡くなった後の姫さまを見ていませんし、姫さまは病で亡くなったと呉羽さんから言われました」

 「誰もその言葉を疑わなかったのですか?」

 少将の問いかけに香月は激しく首を振った。

 「皆、おかしいとは思っていました。だってわたしたちが帰るまで姫さまはいつもどおりの様子だったんです。でも呉羽さんを除いて女房や堤さまの付き人たちは、堤さまのお言いつけどおりに夕方になったら自分の屋敷に帰るので誰もその夜に姫さまがどうなったかはしらないですし、病で突然亡くなったと言われたら、それで納得するしかなかったんです」

 「佳衣姫さまはどのような方だったのですか?」

 落ち葉の君の質問に、香月はすこし考えてから上手く表現する言葉を探すように

 「おかたさまがまだいらっしゃったときは普通のお屋敷のお姫さまと変わらない方だったのですが、亡くなってからは変わられてしまいました」

 「どのようにですか?」

 「笑うことがほとんどなくなって、いつも暗くて……。でも成長されるにつれて見た目はお方さまそっくりになっていくので、ときどき姫さまはお方さまの生まれ変わりなのではないかと思うくらいでした――あ、あとわたし見てしまったんです」

 香月は周りに人がいないか確かめてから声を低くした。

 「半年ほど前なのですけど、姫さまはご自身で手首に刃物を当ててらしたんです」

 「手首に切り傷をつけていらしたんですか!?」

 驚いて大きな声を出した少将に落ち葉の君は静かに、と視線で伝えた。

 「そのとき、香月さまは佳衣姫さまを止められたんですか?」

 落ち葉の君が静かに尋ねる。

 「びっくりして、止めました。でも姫さまは『こうしたら楽になれるからほうっておいて』って泣きながらおっしゃるんです。あまりにおかわいそうで呉羽さんを呼ぼうとしたらそれも止められたんです。『心配かけたくないから絶対誰にも言わないで』ってあまりに必死な様子でお願いされてしまって。どうしていいか困って、でも結局、誰にも言いませんでした」

 「呉羽さまにも?」

 「ええ。あの、呉羽さんには言わないでいただきたいのですけれど、わたし、あの人のこと信用していないんです。姫さまに恋文や歌が届けられても、絶対に渡すなってわたしたちにはうんざりするほどきつく言いつけるくせに、呉羽さん自身は、堤さまの目を盗んでは姫さまとどこかの殿方との文のやり取りを手助けしてましたし」

 「なんですって! じゃあ佳衣さまには、恋人がいたかもしれないってことですか?」

信じられないという風な少将に、香月は強くうなずく。

 「相手がどなたかご存知ですか?」

真剣な表情の落ち葉の君に、香月は首を振った。

 「どなたかは分かりません。でも、これはわたしの勘なんですけど、たぶん相手は近衛府の職についている人だと思うんです」

 「それは、どうしてですか?」

 自身なさそうに話す香月を落ち葉の君は優しく促す。

 「やっぱりこれも半年ほど前のことなのですけど、呉羽さんが『もし近衛大将になられたら、堤さまもきっとお許しくださるだろうから』って姫さまを慰めているのを見たんです。姫さまは『そんなこと絶対にない』って泣いてらっしゃいましたけれど……。そんな話を聞いて、なんとなく相手は近衛府の誰かなのかなぁって思っていました」

 「さっきの呉羽さまは、佳衣さまにはお付き合いされているかたはいないとおっしゃってましたよね」

困惑したような少将に、落ち葉の君はうなずきながら

 「嘘をつかれたのでしょう」

 「なんで嘘を……」

 「……」

落ち葉の君は答えなかった。何でも見抜いてしまいそうなその鋭い視線が、考え深げに庭に注がれている。

 すると、香月が誰に言うわけでもなくため息をもらしながら寂しそうに言った。

 「呉羽さんは絶対なにかほかにも隠してます。いいえ、呉羽さんだけじゃなくて堤大納言も、姫さまも、あの三人は皆なにか隠してます」

 落ち葉の君はその横顔をちらりと見やると、また色とりどりの花が咲き乱れる庭に、視線を戻した。

 

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