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宇治で解かれる事件手帳  作者: 柏木弓依
~夜空に捧ぐ想いの章~(全4話)
26/54

四度目

 「粗末な屋敷でもうしわけありません」 

 落ち葉の君のお屋敷を出た少将と葛木、そして落ち葉の君の三人は葛木のお屋敷にそのまま来ていた。葛木のお屋敷は市井の一角にこぢんまりと佇んでいた。豪華な唐門もなければ、華やかな庭もない。屋敷の周辺はひっきりなしに人が通り過ぎていく。

 「あら、滋川さまは?」

 あたりを見回す落ち葉の君に、少将は

 「清行は仕事があるとかで、帰りました」

 あの漆黒のウグイスに出会ってからずっと、清行は落ち着かない様子だった。落ち葉の君のお屋敷にいたときも、考え込むような厳しい表情をしていた。きっと、あのウグイスのことを調べに帰ったのだろう――そう、少将は考えていた。

 「ただいま、地図をお持ちします」

 葛木が部屋を出て行くと、少将は改めて部屋を見渡した。決して広くない室内のあちこちには書きかけの絵や失敗したらしい絵が散らばり、ところどころ床には墨がついている。京の貴族たちが住む、華やかな屋敷とは程遠かったが、かといって居心地の悪い屋敷でもなかった。

 「お待たせいたしました。こちらが地図です」

 葛木はすこし黄ばんだ半紙を三人の前に広げた。屋敷や碁盤目状の道がこまごまと書き込まれている。

 「こちらのお屋敷はどれでしょうか」

 「ここです」

 地図をのぞきこむ落ち葉の君に、葛木は指で場所を指し示す。

 落ち葉の君は示されたところを見ながら静かにうなずくと 

 「野風の姫君さまがお出かけになられていた時間が一刻半~二刻だとすると、行き先はこの場所を中心としてだいたいこの辺りにあるでしょう。また帰ってくる時間が大体決まっていたのならば、毎晩同じ場所に通いつめていたと思われます」

 地図上の葛木の屋敷を中心に、大きな円をその細い指で描いた。

 「この範囲のどこか、ですか……」

 葛木も少将も地図を覗き込む。落ち葉の君が描いた円の中には数え切れないほどのお屋敷に、大きな川や山が描かれている。

 「一体、このどこに……」

 あまりの範囲の広さにため息をつく少将に、落ち葉の君はあっさりと

 「この地図をみて、だいたい場所は分かりました」

 「え?」

 葛木も少将も右近も、驚いて落ち葉の君の取り澄ました顔を見た。その美しすぎる表情には、確信が表れている。

 「葛木さまにお尋ねしたいのですが、あの嵐の晩、または他の日の晩でもかまいません。野風の姫君さまはなにかをお持ちになってお出かけになってはいませんでしたか?」

 「何かというと、たとえば……」

当惑した表情を浮かべる葛木に

 「たとえば竹串やこより、小石のような些細なものです」

 「はて……」

 葛木は斜め上に視線を漂わせてしばらく黙り込んだ。その様子を、落ち葉の君も少将も静かに見守る。

 「そういえば……」

 「なにか思い出されましたか」

 葛木はうなずくと、

 「妻ではないのですが、あの晩、浜岡が小石をいくつか持っていました。浜岡に石を集める趣味はありませんでしたから、何に使うのか不思議に思ったのを覚えています。これくらいの、丸くて灰色をした石です」

と、右手の親指と人差し指で、親指の第一関節くらいまでの大きさを円をつくった。

 「そうですか」

 葛木の言葉に、落ち葉の君は満足そうに微笑を浮かべてうなずく。

 「それで、妻が毎晩行っていた場所は、どこなんでしょうか?」

 落ち葉の君はその涼やかな視線を葛木に向けると、

 「まだ陽が落ちるまでに時間がありますから、一緒に参りましょうか。できれば、野風の君さまに付き添われていたという浜岡さまにもご一緒いただけると良いのですが」 

澄んだ瞳が優しく微笑んでいるように、少将には見えた。

 

 「ここは……」

 葛木のお屋敷を出てから一刻半ほど歩き続けた四人が着いた場所は北乃神社だった。大内裏の後ろ側にあり、山に面した一角に大きく構えている北乃神社。境内は広く、厳かな北門をくぐるとどっしりとした大きな社殿が建っている。梅の木があちこちにあり、どの木の枝先にも、紅色の花が満開で柔らかな風に吹かれてはそよそよと花びらをちらしている。その美しい景色に、少将と葛木はうっとりとし、また浜岡は、妙に居心地悪そうな表情であたりを見回す。四人以外にもところどころに狩衣や壺装束姿の参拝者が見られた。

 「浜岡さま、野風の姫君さまと毎晩お通いになられていたのはここですね」

 ゆっくりと境内を歩きながら落ち葉の君は言った。浜岡はうつむいたまま、答えようとはしない。

 「どうして、北乃神社ここだとお分かりになられたのですか?」

 不思議そうに尋ねる葛木に、落ち葉の君は涼しげな声で滔々と

 「理由は二つあります。一つ目は、あの唐衣に残されていた残像です。あのとき、私には神社の社殿が見えました。そして二つ目は、野風の姫君さまが裸足で約三ヶ月の間休むことなくお出かけになられていたこと、それも、人の少ない夜遅くにわざわざ出掛けていたこと、そして、浜岡さま、あなたが持っていらしたという小石」

 落ち葉の君はまっすぐに浜岡を見つめた。二人とも、視界は垂衣でさえぎられているので直接視線が交差することはなかったが、それでも少将には、浜岡が落ち葉の君の、あの何でも見通してしまいそうな視線に耐えられなくなってうつむいたのがわかった。

 ふわっと優しく流れてきた風に乗って、落ち葉の君の甘い墨の香りが、梅の花びらと一緒にあたりを舞う。

 「浜岡さま。あなたと野風の姫君さまは、毎晩こちらへ百度参りに来ていたのですね」

 その言葉に、少将ははっとして

 「百度参り……そうか……だから裸足で……」

 落ち葉の君は静かにうなずく。

 「百度参りは百日間、毎日神社に参拝しなくてはなりません。たとえ、雨が降っていても、嵐の晩でも、一度も途切れてはならないのです。そして、人に見られてもならない――だから野風の姫君さまは子の刻という時間帯を選ばれたのでしょう。百度参りにきていたのだとすれば、裸足であったことにも納得がいきます」

 「裸足のほうが、効果があるから……」

 葛木も納得したようにつぶやいた。

 「葛木さまが遣唐使に選ばれたのも三ヶ月ほど前とのことですから、野風の姫君さまはおそらく葛木さまが選ばれてすぐ、百度参りを始められた」

 再び、落ち葉の君は視線を社殿に移す。その姿に、風にのった梅の花びらが舞い降り、笠や垂衣に花びらがそっとついた。

 「じゃあ、あの石は……」

 「こちらです」

 落ち葉の君がすっと歩き始め、少将や葛木も慌てて後に続き、さらにその後ろをゆっくりと浜岡がついていく。社殿と少しはなれたところにぽつんと建つ小さな石碑の前で落ち葉の君は立ち止まり、後を追った少将と葛木も追いつくと、石碑をみてあっと小さく声をあげた。

 「こ、これは……」 

 「どうやら、全部で百個あるようですね」

 三人の前には、ぎっしりと周りを石で囲まれた百度石が、こじんまりと建っていた。


 百度石の周りに佇む四人をひらひらと梅の花びらが優しく包む。いつの間にか陽は傾きかけ、境内の人の数も減っている。浜岡は静かに息を吐くとぽつぽつと話し始めた。

 「落ち葉の姫君さまがおっしゃるとおりです。私たちは、葛木さまが遣唐使に選ばれた次の日から、百度参りを始めました。初め、おかたさまはわたくしにも言わずにたった一人で行こうとしていらっしゃいました」

 少将も落ち葉の君も、黙って浜岡の話を聞いていた。葛木は静かに涙を流しながら並べられた百個の石を見つめている。

 「あの嵐の晩が、ちょうど百日目でした」

 あの晩のことを懐かしむような表情で、浜岡は葛木を見た。

 「どうして……野風を止めてくれなかったのですか……野風は、体がよわいのに……」

 「お止めしたのですが、今日行かなければ今までが無駄になってしまうと……そうおっしゃるばかりで」

 浜岡の頬にも一筋の涙が伝う。

 「しかし、それでも」

 「おそらく、野風の姫君さまは覚悟していらしたのでしょう。あの嵐の中を出掛けたら、どうなるか……。ご自分のお命とあなたの安全とを天秤にかけ、姫君さまはあなたの安全を取られたのです」

 落ち葉の君は優しげなまなざしを百度石に向けていた。それから葛木の目をしっかりと見据えて

 「野風の姫君さまはこれからもあなたのことを見守ってくださります。ですからどうか、唐で存分に絵を学んでくださいませ。そして今以上に、すばらしい絵を描く絵師になって、必ず戻ってきてください」

 葛木は涙を流したまま力強く何度もうなずいた。それから、野風の君に誓うようにそっと、

 「……必ず、生きて戻ります」 

 いつの間にか風は止み、梅の花びらも散るのをやめていた。陽も落ち始め、鮮やかな夕焼けが、地面に四人の影を落としていた。

 

 一方、その頃――。

 「こんな……。ありえない……。」

 滋川清行はお屋敷である文献を手に立ちすくんでいた。さまざまな書物や文献を漁ったらしく、部屋中のあちこちに散乱している。

 清行は一冊の古い書物を手にしていた。歴代の滋川家の当主が代々記録してきた書物で、表紙や紙の端はところどころ黄ばみ、よれよれとしている。

 「まさか……」

 清行はあるページから目を離すことができなかった。先ほどからじっとそこばかりをみつめている。

 そのページには『加茂忠広の創りし女』と題のついた女人の絵が描かれていた。ところどころに一言添えられている。四尺四寸(百三十五センチ)あまりの身長。墨を流したごとく漆黒の黒髪。かつて、京中の女人を束しにしても敵わないといわれた桐壺の女御と瓜二つの顔。

 そこに描かれている女人は宇治に住むあの姫君――今朝会ったばかりの、ほのかな甘い墨の香りが漂う屋敷に住まう、不思議な力をもった落ち葉の姫君そのものであった。 

 「康之……あの姫君は一体……」

 灯台の灯りがゆらゆらとゆらめき、色白のひきつった横顔を淡く照らしだしている。

 どこからともなく吹き込んできた冷たい風が、几帳に映る陰陽師の影をかすかに静かに揺らしていった――。




―完―

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