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宇治で解かれる事件手帳  作者: 柏木弓依
~緑衣の女の章~(全6話)
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第六夜

 博明を槍で突き刺したあの晩も、いつもと同じように寒い夜だった。

 あのときは、妙に気持ちが落ち着いていた。片手に持った槍がギラリと恐ろしげに光を跳ね返していても、少しも動じなかった。まるで、鬼かなにかが憑依しているかのようだった。

 ――とうとう、博明の当主襲名が明日になってしまった。この一月ほど、あの人には自分に継がせてくれるよう必死に頼み込んだが、だめだった……。

 六条大路を徘徊して一月ひとつきが立とうとしていたが、今日になるまでは博明を亡き者にするつもりはなかった。この一月の間に、現当主の将之が、自分を指名しなおすかもしれないと、わずかながら希望を持っていたからだ。それでもこの一月徘徊し続けたのは、万一博明を亡き者にする際、怪しまれないようにするためだった。京で『緑衣の女』の話が広まれば、たとえ殺されたものが出ても、物の怪のせいにされるだろう、とふんでいた。

 博明のやってくる時間帯は知っている。丑四つ(午前二時半~午前三時)ごろに、六条大路を二人の付き人ともに歩くのだ。懐に、さまざまな護符を忍ばせて――。

 あの晩も、丑四つごろにいつもどおりやってきた。片手に松明をもち、二人の付き人をつれ、懐に護符を忍ばせて。

 博明だけをおびき出すため、わざと六条大路と西洞院大路の交差するところで姿を見せた。怪しげな金緑色に発光する苔にまみれた、この滑稽な姿を。京の人間が恐れおののく女の正体は、苔まみれの袿を羽織ったただの男なのだ。

 案の定、博明はすぐに追いかけてきた。そして後姿の自分に、こう、声をかけたのである。

 「お前が『緑衣の女』だな! 今日こそお前を葬り去ってやる」

 急に笑いがこみ上げてきた。天才だの逸材だのと言われていた博明も、物の怪と信じていたのだ。人間が苔をつけて徘徊しているとは、露ほども疑わずに。

 ――所詮、十数年に一人の逸材ともてはやされていても、この程度なのだ。 

 ゆっくりと振り返ると、博明が護符を指に挟んでなにやら唱えているのが目に入った。

 ――護符でも呪いの言葉でもなんでも唱えるがいい。

 ――得意の術を使うがいい。

 ――所詮、護符も呪いの言葉も、人間にとっては痛くも痒くもないのだから。

 護符を前にしても少しもひるまずに歩み寄る自分に、博明の顔が恐怖に歪んだ。唱える声が大きくなるにつれ、必死さが声ににじんでいる。

 ――可哀相だとは、思わなかった。

 ――気の毒だとは、思わなかった。

 左手に持った三又の槍を、自分でも不思議なくらいためらいなく博明の体に突き刺した。いままでそばにあり続けた、自分よりも背の高い、ほっそりとしたその体に。

 ――被衣かづきで覆った素顔は、決して弟には分からない。

 ――これで、守れた。

 断末魔の叫び声を背に浴びながら袿を脱ぎ、おもてが隠れるように小さくまるめた。そして小脇に抱えて小走りに、闇の中に姿をくらませたのだ――。


 「わたしはどうかしていました」

 悪夢のような夜のことを語った友平は、ぽつんとつぶやいた。

 「当主の座なんて、弟に、譲ってしまえばよかったのです。もっと早いうちに、わたしよりも弟のほうが優れた術師だということを、認めてしまえればよかったのです。でも、そんな簡単なことが、あのときのわたしにはできませんでした……」

 友平以外、誰も、一言も発しない。

 ゆらゆらと、灯台の炎が小さく揺れている。

 炎の灯りが、友平のうつむいた横顔をかすかに照らす。

 「あんなことまでして、わたしは何を守ろうとしていたのだろう……」


 庭を見ると、闇一色だった空が明るくなり始めている。

 新たな一日が、また訪れようとしていた。

 



 数日後――。

 滋川清行の屋敷で、少将と清行はお茶を飲んでいる。まだ外は冷たい風が吹きつけているが、だんだんと陽が昇る時間は早くなり、ゆっくりと春が近づいていた。

 加茂友平はあの日の午前中に、右近の呼んだ検非違使によって捕らえられた。加茂家の有望な当主候補が急死したことに続き、それが兄のせいであったという衝撃的な知らせは瞬く間に京中に広まって、加茂家の評判ふたたび地の底まで落ち、現当主の加茂将之の体調も、いよいよすぐれなくなってしまっているという。

 「……なあ、康之」

 ぼんやりと庭に視線を向けたまま、清行が言った。

 「私は、恵まれた人間なのだろうか?」

 「え?」

 清行は視線をそらさずに、口元に湯呑みを運ぶと

 「友平の言ったことさ。私には、当主を争う兄弟がいない。生まれたときからもう将来が決められていた。そんな私は、恵まれていたのだろうか?」

 柱に背を預けてぼうっと庭を眺めている清行は、少将がそれまで見たことのない清行だった。あの自信に満ち溢れた、迷うものなど一つもないという姿ではなく、今にも風が吹いたらばらばらに崩れてしまいそうな、脆い姿だった。

 「恵まれているのかもな」

 少将はあっさりと答えた。

 「生まれたときから当主。友平どののような人からみたら、清行は恵まれているさ」

 口元まで湯呑みを運んだ清行が、その言葉にはぁっとため息をついた。

 「そうか。私は、恵まれているのか」

 「でも別に、かまわないんじゃないのか。恵まれていても」

  少将は努めて明るい声で、 

 「恵まれていることは決して悪いことじゃないと、わたしは思う。それに、わたしは清行が生半可ではない努力を積み重ねてきていることも、知っている」

 清行が庭から目をそらして少将を見つめた。見つめられた少将は照れくさそうに視線を庭へ移し、

 「陰陽師の世界は、わたしにはよくわからないが……その、なんだ、昔、よく言っていたじゃないか」

 「――?」

 「『周りから清行はたった一人の長男だから甘やかされて育ったんだ、なんて言われるのはごめんなんだ』ってさ」

 「ふはっ」

 幼いころの清行の声色を真似た少将の声を聞いて、清行は思わず噴出した。

 「そんなこと、言ったか?」

 「おい、自分で偉そうに言っていたことを忘れるなよ。しょっちゅう言っていたんだぞ」

 「そうだっけか」

 「……まあさ、誰も、今の清行を『甘やかされた滋川家の長男』だなんて思っていない。むしろ『京一みやこいちの陰陽師』だろう?」

 「――そうだな」

 「今のまま、その姿勢を変えないで、これからも過ごしていけばいいんじゃないのか?」

 清行はほんのりと微笑むと、空になった湯呑みにお茶を注ぎ足した。とたんに、もわもわと白い湯気が立ち上っていく。

 「――康之」

 「……ん?」

 清行は、迷いが解けたような、すっきりとした笑みを少将に向けて

 「ありがとう」

 




 庭に生えている、つぼみをいくつかつけた梅の木に、一羽のウグイスが止まりにきた。

 ――春はもう、すぐそこまで来ていた。

 

 


―完―

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