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宇治で解かれる事件手帳  作者: 柏木弓依
~緑衣の女の章~(全6話)
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第五夜

 気味の悪いほど完璧な満月が、友平のお屋敷の庭を怪しく照らしている。時折、さわさわと吹き抜ける風が、そこに生えている草花をなでていく。

 もう丑の刻(午前二時)だったが、加茂友平は、そんな庭を前にして、簀子に腰をおろし、お酒を口に運んでいる。しかし、友平の目に写っている夜の景色は、彼の心までは届いていない。

 心ここにあらず――なにか思い悩んでいるかのようだった。空になった杯を口に持っていってはじめて、そこでようやく中が空になっていることに気づき、杯をお酒で満たす。それをさっきから何度も繰り返している。

 ここ二日の間、友平はまったく眠れなかった。夜、布団に入り目をつぶると、枕元に博明が佇むのだった。ただ博明は佇んで、上からじっと友平を見下ろしている。とくになにか喋ったり、なにかをするわけではなかったが、枕元に佇むだけで友平にとっては十分恐ろしかった。博明の体が、緑色に発光しているのだ。月に照らされ、金緑色に光を放った博明の体が、暗闇にぼうっと浮かび上がっている。生気のない博明の顔が、じっと友平を見下ろすのだった。

 友平は憑き物を吐き出すような、重たいため息をついた。乾燥した音をたてる草木と、灯台に灯りを灯していないお屋敷を照らしているのは、漆黒の空に浮かぶ月だけだ。

 再び空になった杯にお酒を満たそうとしたとき、突然、友平の視界の隅に緑色のものが写った。ぼんやりと闇夜に浮かぶ、緑色の何か――。思わず友平は、瓶子へいじ(とっくり)を持った手を止めた。

 視界の隅に写った緑色のそれは、人の形をしていた。それの着ている狩衣と被っている烏帽子が、満月に照らされてぼんやりと金緑色の不気味な光を放っている。

 ざっ。

 ざっ。

 庭に迷い込んだかのように入り込んだそれは、簀子で硬直している友平を見つけるとゆっくりと近寄ってきた。

 ざっ。

 ざっ。

 背中から月光を浴びたその顔は、陰になっていて全く見えない。闇と同化して、まるでそこだけぽっかりと穴が開いているようだ。

 ざっ。

 ざっ。

 友平は、金緑色に発光している狩衣から、目をそらすことができなかった。まるでなにかの術を受けたかのように、息一つまともにできず、固まっている。

 「どうして――」

 不意に、それは口を開いた。

 男の声だった。

 「どうしてです――兄上――」

 「ひ、博明……」

 気が遠くなりそうなのを必死に耐えて、ようやく友平は声を絞り出す。

 これは夢か?

 それとも現実うつつか?

 「緑衣の女は――兄上だったのですね――」

 悲しげな、いに満ちた声だった。陰になった表情は、相変わらずこちらからは見えなかったが、心残りを残したまま命を絶たれた無念そうな表情が、友平には見えるようだった。 

 「す、すまない、博明……」

 全身に力をこめて、友平は声を絞り出す。脅えのあまり力んだその声は、自分の声とは思えないほど震えている。

 「兄上だったのですね――緑衣の女は――」

 庭の真ん中で佇んだまま、それは言う。悲しげな、憂いに満ちた声が、友平の胸をぐさりと突き刺す。

 「兄上が――緑衣の女に化けていたのですね――」

 「兄上――どうして私を刺したのですか――」

 「それほどに――私が疎ましかったのですか――」

 じゃっ。

 じゃっ。

 ゆっくりとそれは近づいてきた。友平は、今にも気が遠くなりそうなのをこらえながら、何か言おうとしたが、口の中はからからに乾き、なにか言おうとしても、かすれた声にならない声しか出てこない。

 じゃっ。

 じゃっ。

 目の前に立ったそれは、居すくまった友平をじっと見下ろしている。

 陰になった表情は、闇に包まれて全く見えない。

 「兄上――どうして――私を殺したのですか――」

 「す、すまない博明! わ、わたしを許してくれ」

 「――それは、自白と受け取ってよろしいですね?」

 やっとの思いで大きな声を出したとき、凛とした涼しげな声が突然飛び込んできた。闇夜に光を投げかけるような、明かりを灯すような、凛とした張りのある声。友平の中の恐怖心が、一気に消え去った。

 「今のお言葉は、自白と受け取ってよろしいですね?」

 乾燥した草木の生える庭に、声の主が音もなく姿を現した。月の光が、小袿こうちぎを羽織った小柄な姿を照らしている。

 「あなたは……」

 月明かりでも分かるほどの、透き通るように白い肌に漆黒のつややかな黒髪。

 昼間、滋川清行や橘少将と共にやってきた、あの、美しい女君だった。


 「悔しかったんです。今まで、毎日あれだけ修行をしてきたのに」

 灯台に灯りをともした友平のお屋敷に、落ち葉の君と少将、清行はいた。友平は打ちひしがれるように座り込んでいる。

 緑色に発光していた男は、博明ではなく清行だった。真っ白な狩衣の前面と烏帽子に、びっしりと苔をつけている。着替えを持ってきていない清行は、苔だらけの狩衣をまとったまま、隅の柱の一本に寄りかかって立っていた。

 「『緑衣の女』――その正体は、光苔を付着させた袿を着た、あなただったのですね」

 物静かな声で、落ち葉の君が言う。

 「光苔って、なんですか?」

 清行の狩衣に付いた苔を触りながら、少将が尋ねた。

 「光苔は、苔の一種です」

 ――寒い場所に繁殖する苔の一種である光苔――。これは暗闇で光を当てられると、苔自体が光を反射し、金緑色の光を放つ苔である。

 「友平さま、あなたが修行をしに行かれるという高野川の周りに、たくさん生えていました。それから、誰かがむしりとったような跡も。六条大路にも、光苔の一部が落ちていました」

 懐から取り出した花模様の懐紙をそっとひらくと、そこにはわずかな量の光苔がのせられている。

 「それは、もしや、あの夜の……」

 「ええ。あの夜、見つけた光苔です」

 落ち葉の君は少将に微笑みかけた。

 六条大路で光苔を見つけて以来、『緑衣の女』に光苔が関係しているのではないかと疑った落ち葉の君は、昼間、友平のお屋敷を先に出たまま高野川まで行き、光苔が生えていないか調べに行ったのだった。そして、ちょうど狩衣と烏帽子を覆えるくらいの量の光苔をむしりとり、布に包んで持って帰ってき、清行の持ってきた真っ白の狩衣と烏帽子に、付けたのだった。

 「友平さま、あなたのお顔や腕の痣やかさぶたは修行によるものでしょうけれど、爪に入った土は、光苔をむしりとった際に入り込んだものですね」

 そう言って、落ち葉の君は見えるように手を広げた。色白の指先の爪には、たくさんの土が入り込んでいる。

 「あなたは以前から、博明さまの才能に、嫉妬なさっていたのではないですか? きっかけ一つでこつを掴んでしまう博明さまに比べ、あなたは博明さまの何倍もの修行を積まなければ同じ術を習得できないかた。あなたは日々、努力だけを積み重ねながら一歩一歩進む一方、博明さまの才能をうらやんでいた」

 落ち葉の君の静かな声が、そうっと響く。

 灯台の明かりが、時折風に揺られてかすかにゆらめく。

 「どれだけ努力を積み重ねても敵わない相手が現れたときのやりきれなさが、分かりますか?」

 それまで黙り込んでいた友平がぽつりとつぶやいた。

 「弟は――博明は、要領の悪いわたしと違って、勘も鋭く、ちょっとしたきっかけさえあれば、すぐにこつを掴んでしまう術師でした。わたしが身につけるのに一月ひとつきかかった術を、弟はたったの三日で身につけてしまう。当然、周りから天才だ、加茂家の逸材だと言われ、どんどん期待をかけられていく。その一方で、わたしはどんどん期待されなくなっていくのです」

 「だったらもっと修行を積めばよかったのではないのか?」

 それまで黙って話を聞いていた清行が、口を開いた。厳しい口調で

 「まわりから認めてもらえるように、もっと修行をすればよかっただけのことではないのか」

 「お前になにがわかる!」

 突然、うつむいていた友平が顔をあげ、清行を睨みつけた。

 「わたしはお前が一番嫌いだ。努力さえすれば何でも叶うと思っているお前が。生まれたときから当主の座を約束されていたお前が。お前みたいな恵まれた人間に、わたしのなにがわかるんだ」

 怒りのこめられた友平の声は、一方でとても寂しげな憂いを帯びていた。その憂いを感じたのか、清行はすまなそうに押し黙ってしまった。

 友平はまた顔をうつむける。 

 「けれども弟は決して大きい態度をとったり、わたしを蔑むようなことを言わないのです。常にわたしを立てようとし、わたしよりも一歩下がった場所にいるように心がけているようでした。弟という立場をわきまえて、兄であるわたしに光が当たるように気を配っていたのです。でもわたしは――弟のそんな態度すら憎たらしく感じました」

 声が、わずかに震えている。しかし、うつむいた友平の表情は、立っている落ち葉の君には分からない。

 「むしろ、もっと大きな態度を取ってくれれば、わたしのわだかまりも軽くなったのかもしれません。開き直ることが、できたのかもしれません。弟のほうが、自分よりも優秀な陰陽師。その事実と、まっすぐ向き合えたのかもしれません。でも弟は、周りから褒められると謙遜して、わたしのことに必ず触れて、わたしに光が当たるようにしていました。わたしは、どんどんひねくれていきました」

 「そして一ヶ月前、当主を博明さまが継がれることを、あなたは聞いたのですね。おそらくお父上さまから」

 優しい、涼やかな声に、友平はうなずいた。

 「あの時、あの人から話を聞いたとき――どうしようもないほどどす黒い感情が沸き起こりました。どんな手段をとってでも、加茂家の長男として当主の座を守らなければならないと思ったのです。荒んだ気持ちのまま、いつものように高野川へ修行に行き、そこで光苔を見つけました。いえ、光苔が生えているのは前から知っていましたが、あの夜、光苔を見たときに、自分の中の止めようのないおそろしい殺意に気づいてしまったのです。どうせ弟を葬るのなら、どんな術でも防げない方法で殺してしまおう――と。それからは、まるで何かにとり憑かれたようでした。三日に一度の頻度で、丑の刻(午前一時~午前三時)になっては光苔をつけた袿を羽織り、六条大路を徘徊しました。人がやってくる音が聞こえては、わざと姿を見せに行きました。京のうわさになれば、遅かれ早かれ、性格的にそういった人々の不安をほうっておけない弟がでてくるだろうと、分かっていたからです」

 「そしてあの晩、とうとう博明さまと出会ったのですね」

 

  

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