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宇治で解かれる事件手帳  作者: 柏木弓依
~緑衣の女の章~(全6話)
19/54

第三夜

 「大体のお話は分かりました」

 落ち葉の君が、色白で小さな、細い手を槍の柄にふうわりとかざす。

 「では、こちらのことづても、受け取りましょう」


 庭から、冷たい風にのって、かしゃかしゃと揺れるヒイラギの音が聞こえてくる。どこかの木にとまった鳥の鳴くのが聞こえる。乾燥した外の空気が、屋敷内のぬるい空気と混ざり合って四人を包んでいる。

 落ち葉の君が残像を読み取っている間、少将も清行も静かにその様子を見守っていた。おだやかな、不思議と心が安らぐ、緊張のないこの時間――。五感が研ぎ澄まされて、まるで自然と一体になったような気持ちにさえ感じられる。静かで、ただ時だけがゆっくりと流れていく――。

 やがて、凛とした、静かな声が響いた。

 「滋川さま、槍のことづてを、受け取りました」


 「まず『緑衣の女』ですが、わたくしにも見えました」

 あまりにもあっさりとした落ち葉の君の発言に、三人は驚いた。

 「や、やっぱり物の怪なんですか?」

 少将が顔を引きつらせながら尋ねる。その横で、少しいらだたしそうに、清行が顔をしかめた。

 「――そうですね、真夜中になんの前触れもなく遭遇したなら、物の怪だと思ってしまうでしょう。しかし」

 落ち葉の君は毅然と言いはなった。 

 「わたくしは、物の怪というものは信じておりません。どんな奇妙な出来事でも、人間ひとが行ったことならば、かならず裏があるはずです。『緑衣の女』の怪――わたくしが、明らかにいたしましょう」




 その日の丑の刻(午前二時ごろ)。少将、清行、落ち葉の君、右近の四人は、六条大路に来ていた。冷たい、氷のような冷気が、夜の空気を固めている。あたりは真っ暗な闇に包まれ、片手に松明を持っていても、かろうじて隣にいる人の顔が見えるくらいだ。冬だからか、虫の音さえしない静かな闇の中を、糸のように細い月の淡い光を投げかけられた四人は、ゆっくりと歩いている。

 ――丑の刻の六条大路を見てみましょう、と言い出したのは落ち葉の君だった。

 「おかたさま、危のうございます!」

 「そうですよ! たとえ緑衣の女が人間だったとしても、もし出くわしたら何をされるか。それに、京の闇夜にはほかにも物の怪がさまよっていると言われています! 落ち葉の君さまが物の怪を信じていらっしゃらないのは分かりましたが、でも、もしなにかあったら……」

 少将も右近も必死に止めようとしたが、落ち葉の君は全く動じなかった。毅然としたまま、あの凛とした声でややからかうように

 「もし物の怪に出会ったとしても、『京一の陰陽師』と名高い滋川さまがいらっしゃれば、恐れるものなどないでしょう?」

 「もちろんです」

 清行も、全く動じずに答えた。

 「落ち葉の君さまが物の怪に出会われたときには、私が全力でお守りいたします」

 その言葉を聞いて、落ち葉の君はすっと立ち上がった。

 「では、今宵――」

 「ならばわたしも行きます」

 少将が慌てて立ち上がって言った。

 「わたしも、落ち葉の君さまの身に危険が及ぶようなことがあれば、お守りいたします。いえ、お守りさせてください」

 少将の必死な様子に、それまで厳しい表情をしていた清行の表情が、思わずふっと緩んだ。

 「……わかりました。では私も」 

 あきれたように右近はため息をついて、

 「おかたさまがお出かけになるとおっしゃるのに、どうして付き人の私が屋敷にのこっていられましょうか?」

 ――そういうわけで、四人は今、六条大路に来ているのである。


 「ここまで暗いと、本当になにかが出そうな気がいたしますね」

 右近が闇のなかに一歩一歩、慎重に踏み出しながら言うと、隣を歩く落ち葉の君がそっと微笑んだ。

 「落ち葉の君さまは、なぜ物の怪を信じていらっしゃらないのですか?」

 先頭を歩いている少将が、後ろを振り返らずに聞いた。少将の隣を、清行も静かに歩いている。

 「そうですね……」 

 落ち葉の君は、ほうっとため息をつくと、

 「わたくしは、物の怪という言葉で出来事の理由付けをするのが、好きではないのです」

 何もかもを吸い込むような闇の中で、その涼しげな声が良く通る。

 「どんな不思議な出来事にも、かならずはっきりとした明確な理由があります。物の怪などという曖昧な、つかみのどころのない言葉ではなく、納得のいく理由、事情があるものです。たとえば、病ですが」

 そう言って、落ち葉の君は清行に

 「滋川さまは、病は本当に物の怪の所業だと思われますか?」

 「え?」

 突然話を振られた清行は、不意をつかれたように聞き返したが、落ち葉の君はそのまま滔々と続ける。

 「わたくしは、病というのはその人自身の気の持ちようだと思うのです。物の怪に恨まれている、誰かに呪いをかけられている、だから簡単に治らない、命を落とすかもしれない――本当は体を冷やしたことが原因なのに、物の怪という曖昧でとらえどころがない言葉で理由をつけてそう思い込んでしまうから、すぐに治るものも治らないのです」

 少将は、分かったような、分からないような曖昧な相槌を打つ。

 「人間ひとは誰しも、理由や原因の分からないものをそのままにしておくことを嫌がります。落ち着かないからです。だから重い病、突然の雷雨、誰もいないはずの部屋でする物音など、知っていること全てを考え合わせてもはっきりした理由がわからないとき、多少強引でも『物の怪』という言葉で理由をつけようとするのではないでしょうか。たとえ具体性のない曖昧な言葉でも、表現ができないという落ち着かない状態はひとまず避けられます」

 暗闇に灯りを灯すような、澄んだ声が闇夜に響く。

 「しかし、『物の怪』という言葉がやはり曖昧でとらえどころのない言葉である以上、胸にわだかまりは残り続けます。そのわだかまりを取り除くのが陰陽師だと私は思います。なぜ陰陽師からもらった護符が効くのか――それは物の怪を扱うことの長けている人からもらったものがあるからもう安心できる、と強い気持ちになれるからです。陰陽師の使う護符が効くのではなく、陰陽師に会うこと、見守られること、その事自体が効力をもっているのです」

 この話に、とくに清行は反論しなかった。めらめらと燃える松明を片手に、黙々とただ歩き続けた。


 「ここです。このあたりで、博明は絶命したそうです」

 六条大路と大宮大路の交差するところを右に曲がった暗闇が、加茂博明が絶命した場所だった。

 「とくにほかの場所と変わりのない場所ですけれど」

 右近が言うように、そこは普通の、どこの通りでも見られるような通り道に過ぎなかった。松明の、燃え盛る炎を頼りに、すうっと歩いてみたり、ときにはしゃがみながら地面を照らしたりしてなにやら観察していたが、やがて手がかりを見つけたのか、懐紙の上に何かを載せると、満足げにうなずいた。

 「なにか、落ちていたのですか?」

 その様子に気づいた清行が知りたそうにしたが、落ち葉の君は意味ありげな笑みを返しただけで、答えるかわりに

 「もう、ここで見たいものは全て見ました。戻りましょう」

と言った。 




 翌日――。

 「清行さま、よくきてくださいました」

 二条大路の一番奥に、すとんと構えた加茂博明のお屋敷に、清行と少将、落ち葉の君の三人はやってきていた。

 突然きた三人を、博明に使えていた付き人たち――あの晩、博明と一緒に六条大路まで出掛けていた二人――が出迎える。みたところ、十三、十四歳くらいの二人はそれぞれ、治憲はるのり、秀光と名乗った。

 「あの晩、博明さまが亡くなられた晩のことを伺いたくて、やってまいりました」

 落ち葉の君が優雅にお辞儀をすると、ほんわかと墨の柔らかい香りが漂う。透けてしまいそうな色白の肌をし、濁りのないつややかな黒髪を背に流している、目の前の美しい女人に見とれていた二人は、その凛とした張りのある声で我に返ったかのように

 「あ、はい。なんでもお聞きください」

 「『緑衣の女』の話が京で広まり始めたのは一月ひとつきほど前で、博明さまが六条大路にお出かけになるようになったのが一週間ほど前と聞いておりますが間違いはございませんか?」

 「はい、そのとおりです。その怪談が流れた当初は、博明さまもあまりお気になさっていらっしゃいませんでしたが、だんだんと広まりはじめて、実際に物の怪に出会われたかたも増え始めると、放っておけなくなったようです。誰に頼まれたわけでないのに、毎晩、出掛けるようになりました」

 「博明は人がいいからな。いてもたってもいられなくなったのだろう」

 治憲の言葉に、清行がさもありなんというふうにため息をついた。清行も博明も、物の怪を相手にすることにはかなり長けていたが、頼まれなければ動こうとはしない清行にくらべて、博明は物の怪がいると聞けば自分から出向いていく性格だった。

 「毎晩お出かけになることを、ほかのかた――たとえば、博明さまのお兄さまはごぞんじでしたか?」

 「はい。ちょうど四日前くらいに、友平さまがいらっしゃったのですが、そのときに博明さまがお話になっていらしゃいました」

 秀光の言葉に、落ち葉の君はなるほどと小さくうなずく。

 「ではあの夜のことですが……。『緑衣の女』はお二人ともごらんになったのですか?」

 落ち葉の君の質問に、二人は大きくうなずいて

 「はい。六条大路と西洞院大路にしのとおいんの交差するところを、あの物の怪が通り過ぎるのを見ました」

 「どのような姿でしたか?」

 二人はなるべく細かく思い出そうと考え込んだ。

 「すごく、気味が悪いんです。真っ暗ななかに、ぼわぁっとうちぎ全体が、黄緑色に光っているんです。頭のほうは、何かを被っているのか、よく見えません。だから、袿だけが、闇に浮いているように見えるのです」

 その奇奇怪怪な光景を思い出したのか、秀光の顔が青白くなった。

 「倒れていたときの博明さまのご様子は?」

 「お体に槍を突き刺されていて、かなり出血していました。そばには博明さまのもっていらっしゃった松明が落ちていて。手には護符を握り締めたまま、震えるお声で『女だ、緑衣の女だ』とおっしゃるのです。そのまま、そこで息絶えてしまわれました」

 博明さまほどの術師がやられてしまうなんて――と脅えるように言う治憲に、秀光も、並大抵ではない怨念をもった物の怪に違いないです、と青白い顔をしたままつぶやいた。



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