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宇治で解かれる事件手帳  作者: 柏木弓依
~緑衣の女の章~(全6話)
18/54

第二夜

 「なんだって? 博明どのが殺された?」

 橘康之少将のお屋敷に、清行が突然の知らせで駆け込んできたのは、翌日のお昼の少し前だった。外は冷たい風が吹いているだけで、昨日の雨など嘘のようにすっかり晴れわたっている。

 清行の顔は友人の突然の死への衝撃で紅潮していた。いつもはぴしっと手入れのされた真っ白な狩衣も、今日はよれよれとし、あちこちに、血のようなものがついている。

 「今朝早くに博明の付き人たちが屋敷にきたのだよ。博明が夜中に槍で刺し殺されたと言ってね。これがその槍だ」

 清行が少将に渡した槍は、先が三つに分かれた三又の槍だった。柄の部分の長さが少将の肩くらいまで長く、真ん中の刃だけがほかの二つよりも長い。どの刃先も、根元までどす黒い血がしっかりと付着して、生臭いような、鉄臭いような、嫌なにおいを放っている。

 「ひとつ、実は分からないことがある」

 清行が眉間に皺を寄せて、少将から受け取った槍を睨みながら言った。

 「博明の付き人が、妙なことを言っているのだよ」

 「妙なこと?」

 清行は静かにうなずいてから、

 「博明は息絶える直前に、こう言ったそうだ。『緑衣りょくいの女だ』と」

 少将の健康的な顔色が、その言葉で真っ青になった。

 「ま、まさか、『緑衣の女』って、あの怪談の物の怪か?」

 返事をする代わりに、清行はいらだたしげな気持ちを吐き出すような、とげとげしいため息をつく。

 「どうやらそうらしい。だが、私はそうは思わない。この時機に、あの博明が物の怪にやられたなどとは信じられないのだよ。あれだけ実力ちからのある陰陽師が、そうやすやすと物の怪にやられるはずがない。この事件の犯人は別にいると私は思っている」

 誰が――と聞こうとして少将ははっと思い当たった。

 今日は加茂家の当主を正式に決める日だった。博明を今、一番疎ましく思っている人物といえば……。

 「まさか、友平どのを疑っているのか?」 

 「疑うも何も、友平が犯人だろう。博明が死んだ今、当主候補はもう友平しかいない。動機としては十分だ。ただ」

 清行は不快そうに顔をしかめてから、少将が注いだ水を一気に飲み干した。

 「一体、博明が言った緑衣の女とはなんだったのか、それが見当もつかない。それに、博明の付き人も昨晩目撃しているのだよ」

 切れ長の視線が、青白い顔の少将の視線と合う。

 「闇夜に怪しく光る、『緑衣の女』を」

   




 「滋川……陰陽師のかたですか……」

 宇治の山の奥深く。こぢんまりと建っている落ち葉の姫君のお屋敷に、少将と清行はやってきていた。今日の落ち葉の君は、濃い蘇芳色が御簾越しでもはっきりと見える、葡萄染えびぞめかさねに身を包んでいた。ほのかにただよう墨の深い香りが少将の鼻をくすぐり、ほんのりと甘い気持ちにさせる。

 落ち葉の君のそばには、そんな柔らかい雰囲気を台無しにする、清行の持ってきた、しっかりと血のついた長い槍が置かれている。 

 博明の言い残した言葉、そして付き人が実際に目撃した『緑衣の女』――。分からないことばかりだったが、まずは槍から手がかりを探そうと少将が提案したのだった。落ち葉の君に槍の残像を見てもらえば、なにかしらの突破口がみつかるかもしれない――と少将は考えていた。

 「これが、お体に?」

 落ち葉の君の隣に座っている右近が恐る恐る槍を手に取った。ギラリ……と右近にむかって、血の付着した刃が舌なめずりをする。

 その隣で、落ち葉の君がしずかに

 「事件のことを詳しく伺う前に、一つ滋川さまにお尋ねしたいことがあります」

 涼やかな声に清行が少し緊張した声で応じる。

 「なんでしょう」

 「滋川さまは博明さまがお亡くなりになられたこと、率直にはどうお考えですか?」

 「どう、といいますと?」

 「加茂家のことも、滋川家のことも、お話に聞いています。両家は長年対立してきた関係でしょう。今回亡くなられた加茂博明さまは、加茂家にとって十数年に一人の逸材と、たいそう評判の良いかたでした。その加茂家の、優れた器量の当主候補がお亡くなりになったことは、滋川一族の勢力拡大にとって、次期当主のあなたにとって、都合が良かったとは思いませんか?」

 ずいぶんと意地の悪い質問に、右近が「おかたさま、あんまりでございますよ」と動揺した。少将も清行が怒りだすのではないかとひやひやしながら隣を盗み見る。

 しかし清行は怒り出さなかった。いつもの物静かさで、

 「落ち葉の君さま、たしかに加茂家と滋川家は長い間対立してきました。とくに、この百五十年ほどのいがみ合いは、浅ましく、おはずかしいさまです。しかし」

 清行の語気が強まる。

 「私も加茂博明も、そのような醜いいがみ合いには、ほとほとうんざりしておりました。お互いが当主になったときには、長年の無駄な闘争をなくそうと決めていたのです。それなのに、同じ志を持っていた友人があんなふうに殺されてしまった。せめて、犯人を見つけ出し、博明の無念を晴らしたいと思っています。そのために、どうかお力を貸していただけないでしょうか」

 あの、少しの揺らぎのない強い意志のこもった瞳が御簾の向こうの落ち葉の君に向けられている。波の立っていない水面のような静けさだが、奥深いところでは、めらめらと炎が燃えているような、そんな瞳――。

 「……これも、運命なのかもしれませんね」

 落ち葉の君が、静かな、柔らかなため息をつくのが聞こえた。

 「わかりました。では――」

 「今回のことについて、詳しくお話しください」


 「加茂博明が亡くなったのは昨晩の丑の刻(午前二時ごろ)です。付き人の話では、博明はここ一週間ほど前から、『緑衣の女』を調べるため、毎晩その時間帯にお供を二人ほどつけて六条大路まで出掛けていたということです」

 「緑衣の女?」

 「はい」

 清行は簡単に、落ち葉の君と右近に『緑衣の女』について説明した。

 『緑衣の女』とは、一ヶ月ほど前から、京で広まっている怪談の物の怪だった。毎晩丑の刻(午前一時~午前三時ごろ)になると、緑色に光を放つ女が六条大路をさまよう、という怪談だった。ある者は、六条大路のそばに住んでいた女が男につれなくされ、恨みを持ったまま悲しみのあまり死んでしまい、霊となってあたりをさまよっているのだと言った。ある者は、山から下りてきた鬼が女の姿に化けて、夜な夜な六条大路を歩く人間を喰らうのだ、と言った。またあるものは、狐が女の姿に化けているのだとも言った。

 しかし、どの話が本当なのかは、誰にも分からなかった。実際に『緑衣の女』を見たという者も数人いたが、誰も顔を見ていなかったからだ。彼らは口を揃えて、こう話した――被衣かづきを被った女の顔は影になっていて分からず、だらしなく羽織っているだけのうちぎが、怪しく闇夜に緑色に輝いているのが、ただただ不気味で、出会ってしまったなら金縛りにあったように、恐怖のあまり立ちすくむことしかできない――と。目撃した者はみな、女であったと話すが、それは光を放つ袿だけで判断したもので、実のところ女なのか、男なのか、物の怪なのか、狐なのか――誰も、そのちゃんとした姿は分からなかった。

 「博明は物の怪の正体を暴こうと、昨夜も、六条大路にいました。そのときに、三人は六条大路と西洞院にしのとういん大路の交差するところで、『緑衣の女』を見たというのです」 

 昨晩――。いつものように物の怪の正体を暴こうと、博明は二人のお供とともに六条大路を歩いていた。そして、自分たちの歩いているずっと先のほう――ちょうど六条大路と西洞院にしのとういん大路が交差するあたり――を歩き去る、緑色に発光した影を目撃したという。

 「君たちはここに。わたしは今日こそ正体を見定めてくる」

 そういい残すと、博明は影が歩き去ったほうへむかって走っていき、闇の中に溶けていった。

 それからだいたい一分いちぶ(三分)後――。

 断末魔のような博明の叫び声を、お供の二人は闇の中で聞いた。三歩先もまともに見えない、月明かりと松明だけがかろうじて足元を照らす闇の中を、二人は声のしたほうに向かって必死に走った。そして、六条大路と大宮大路の交差点を右に曲がったところで、胸に槍を突き刺して倒れている博明を発見したという。

 話を聞き終えた落ち葉の君が思案げにうなずくのが、御簾越しに見えた。思慮深そうなその様子は、とても優雅でもあった。

「今回の事件、人々は博明は物の怪に殺された、と言っています。しかし、私はそうは思いません」

 「――それは、なぜです? あなたは陰陽師でしょう? それとも、あなたも物の怪を信じないかたなのですか?」

 落ち葉の君が不思議そうに尋ねた。

 「いえ、物の怪は存在しています。私は今まで、何度もあやかしや霊に憑かれた者を見てきましたし、また術を使って封印してきました。しかし今回は……今回の怪談は、そういったものではなく、人によるものだと思うのです。時機が良すぎるのです」

 「時機?」

 清行はうなずく。

 「ちょうど『緑衣の女』の怪談が広まり始めた一ヶ月前は、加茂家では博明を当主にしようという動きが本格的になった頃でした。そして今日が、博明の襲名の日でした。その前夜に物の怪に殺されるというのは、都合が良すぎます。それに、もし本当に緑衣の女がいたとするなら、ほかにも女を見た人はいるのに、博明だけが殺されたというのにも、納得がいきません」

 清行の説明ももっともだというふうに、落ち葉の君は小さくあごを引いてうなずいた。それから、

 「では博明さまが当主を継がれることに反対しているかたがた――兄の友平さまを、清行さまは疑っていらっしゃるのですか?」

 「はい。ただ――」

 「全てが友平さまの仕組んだことだとしたら、一体どうやったのかが、わからない、と」

 清行は悔しそうに、表情を歪めた。

 「発光する人間なんて、私は聞いたことがありません」



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