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宇治で解かれる事件手帳  作者: 柏木弓依
~緑衣の女の章~(全6話)
17/54

第一夜

ある夜、陰陽師の名門一族、加茂家の当主候補だった男が六条大路で命を落とした。男が言い残した言葉は「緑衣の女」――二週間ほど前から京で噂されている、発光する物の怪の名であった。誰もが男は物の怪に殺されたと考えるなか、男の友人、滋川清行だけは男の兄を疑っていた。はたして怪しく発光する緑衣の女の正体とは。清行、橘少将、落ち葉の君が、不気味な怪談の裏を暴く。

*『宇治で解かれる事件手帳』の四作目。

 それは、雨が静かに振る夜だった。

 まるで誰かがさめざめと泣いているような、そんな冷たい雨が、昼から降り続けていた。

 梅雨の時期独特の、木が水分を含んだような湿っぽい匂いがあたりに漂い、庭のかきつばたや卯の花が、雨粒に揺さぶられてばらばらと音を立てている。

 「忠広ただひろさま、どうしても、その術をおやりになるのですか」

 右近は灯台のゆらめく炎に照らし出された、忠広の思いつめた顔を見て、念を押すように聞いた。

 たった一本の灯台の炎は、室内の異様な光景を浮かび上がらせていた。

 床に書かれた、八人ほどの人間がゆうに収まりそうな円陣。円の中心には、めいっぱいに大きな五芒星が書かれている。その中心に置かれているのは一枚の女性画と、人の形に並べられた白骨に、一握りほどの女の毛髪の束。

 「……もう、後戻りはできないのです……」

 二十歳くらいの、真っ白な狩衣を身にまとう、青白い顔をした背の高い男――加茂忠広は、胸の奥から苦しみを搾り出すような声で答えた。その悲痛な目は、墨で描かれた女性画を見つめている。

 今にも紙から抜け出てきそうな、美しい女の絵だった。つややかな長い黒髪は優雅に女の背中を流れ、白い肌をより一層際立たせている。透き通るような、凛とした声を発しそうなその女は、こちらに向かってやわらかな微笑みを投げかけていた。

 「しかし忠広さま、これは陰陽師の禁忌に触れております。もしも――もしも公になったら、忠広さまは京にいられなくなってしまいます。それどころか……。まだ、今ならまだ……」

 「右近」

 忠広の目から一筋の涙がこぼれおちた。

 「分かっています。『陰陽師たるもの、死者を甦らせるべからず』『陰陽師たるもの、人間ひとを創り出すべからず』生まれたときから、ずっと言われ続けてきた掟です。私がこの術を行ったことが公になれば、どうなるか……。分かっています。それでも」

忠広の視線は、まだ女性画に注がれている。愛しい人を見るような、切ない瞳だった。

 「それでも私は、もう一度、あの女性かたにお逢いしたいのです。このままでは、あの女性かたが気の毒すぎる。入内したばかりに、あんなことになってしまって……。私は一瞬でかまわないから、昔の、あの日々に戻りたいのです。それが叶うのなら、どんな罰を受けても、かまわない」

 雨はより一層、激しく降り、庭の草木を叩きつけるような音が室内にいても聞こえてくる。闇夜にぼんやりと明かりを投げかける灯台が二人の顔をゆらりゆらりと照らしている。

 右近の頬をつたった涙が、床に小さな跡をつけた。

 「覚悟はできています」

 忠広は、自分に言い聞かせるようにそうつぶやくと、人差し指と中指を立てた左手をそっと口元に持っていき、小さく言葉を唱え始めた。



 

 ――それから約百五十年後――。

 

 「清行さまが奥でお待ちです」

 友人である滋川清行の屋敷を訪れた橘康之少将は、一人の女人に出迎えられていた。藍色の小袿こうちぎをまとった小柄な女人は、真珠のような肌の色をした一見美しい女人だったが、よく見るとどことなく人でないような、不思議な空気を醸し出している。切れ長の目には薄水色の瞳、まっすぐと背中を流れるつややかな髪は、漆黒ではなく紫がかった明るい色――。かさねの色合いも、深い紫色や青鈍色の下に、まぶしいほどの山吹色をあわせている。異世界からやってきたような外見なのに、話し方や振舞い方は普通の女人とかわらない。渡殿わたどの(廊下)をすべるように進んでいく気配の薄い女人の後を、少将は軽い足音を立てながらついていった。  

 「橘さまがお着きになりました」

 円座わろうど(菅などを編んで作った座布団)の上にいつものようにゆったりと座っていた清行は、顔を上げるとぱちんと左手で音を鳴らして少将ににっと笑いかけた。

 「雨のなか、誘い出して悪かったな」

 「いや、かまわないよ。屋敷にいてもとくにやることはなかったしな」

 清行が自分の向かい側に用意しておいた円座に、少将もよいしょと腰を下ろす。円座の、刺すような冷たさが体中を一気に駆け上った。雪が降っていないとはいえ、冬の雨の日の空気にさらされた屋敷内は、ひんやりと冷たい。

 「今日は惟雅くんは一緒じゃないのか?」

 「ああ。今は実家に戻っているんだ。それより――」

 少将は後ろにいたはずの女人を振り返った。しかし、たった今の今までそこに立っていたはずの女人の姿はなく、十字型の白い紙がひらりと落ちているばかりだった。

 「あれ?」

  納得がいかないような顔をして座りなおす少将に、清行はにやにやしながら

 「どうかしたのか?」

 「さっきの女人……」

 「大紫か?」

 「オオムラサキ?」

 清行は少将の怪訝そうな顔にふふっと笑うと、すっと立ち上がって歩いていき、床に落ちている十字型の白い紙を拾って左の手のひらに載せた。それから人差し指と中指を立てた右手の指先をそっと口元に持っていき、小声で何かの呪文のような言葉を一言二言つぶやいてから、ふっと紙に息を吹きかける。吹かれた紙はひらひらと風にのって飛んだかと思うと、みるみるうちに小柄な人の形になり、あっという間に、少将を部屋まで案内したさっきの女人の姿にかわった。

 「……」

 唖然として女人と清行を交互に見る少将に、女人の薄水色の瞳は、清行と同じようにいたずらっぽく笑っている。

 「大紫。私の式神しきがみだよ」

 「式神? 人ではないのか?」

 清行はうなずくと、左手でぱちんと音を鳴らした。とたんに、大紫の姿は消え、一枚の式神が、床にひいらひいらとゆっくり落ちる。

 「最近、彼らに身の回りの世話をさせていてね。必要なときに必要な人数だけすぐに呼び出せるから、けっこう便利なのだよ」

 拾った式神を、身に纏う真っ白な狩衣の懐にしまうと、少将の向かい側に軽やかに腰を下ろした。

 「式神をそんな風に活用している陰陽師なんて、清行くらいしかいないんじゃないのか? てっきり私は、どこかの女人と同居でも始めたのかと思ったよ」

 自分の分と清行の分の茶を注ぎながら、どこかほっとしたように言う少将に、

 「同じ屋敷に誰かと住んで始終顔を合わせているなんて、窮屈で私にはあわないよ」

と清行は苦笑いを浮かべた。


 近衛大路の一角――滋川清行のお屋敷。どっしりと唐門が構える大きなお屋敷に、京一の陰陽師こと滋川清行は世話人もつけずにたった一人で住んでいた。いつ見ても、全ての部屋はきちんと整理されていて、渡殿や高欄こうらん(手すり)にさえ埃一つ見当たらない。春になったらツツジやスミレがかわいらしく咲く手入れの行き届いた庭には、夜からの冷たい雨がまだ降り注いでいる。

 さわさわとした雨音を聞きながら少将と清行は何を話すわけでもなくただ安らかに茶を飲んでいる。湯呑みからはゆらゆらと湯気が立ち上っては掻き消えていった。

 「――なあ、清行」

 「ん?」

 「陰陽師は……人間も創れるのか?」

 突然の少将の問いに、清行の表情が不快そうに歪んだ。

 「式神みたいに、人間も創れるのかと思ってな」 

 「創れる創れないに関わらず、陰陽師わたしはそのようなことは決してしない」

 珍しくまじめな、厳しい声だった。

 ため息を一つついてから静かに湯呑みを置くと、

 「『陰陽師たるもの、死者を甦らせるべからず』『陰陽師たるもの、人間ひとを創り出すべからず』――陰陽師には、二つの禁忌があるのだよ」

ふぅっと視線を薄暗い庭に移し、物静かな声で

 「昔――今から百五十年ほど前だというが――加茂家に天才と謳われていた陰陽師がいてな。今の私でさえ足元にも及ばないほどの優れた術師だったらしい。まだ二十そこそこの歳で当主になるほどで、ありとあらゆる式神、呪符、霊符を使いこなすだけではなく、独自の呪符や霊符、術を考え出しては使っていたという。代々――今もだが――陰陽師の名門家と言えば加茂家と滋川家だったが、その陰陽師の前では滋川の名もかすんだそうだ。しかしあるとき、その陰陽師は禁忌を犯して主上のお怒りに触れ、極刑を受けたのだよ」 

 「極刑……」

 清行は静かにうなずいて茶を口に含むと

 「その陰陽師は、主上がことのほか寵愛していた女御と瓜二つの女を創ったのだ。それも、その女御の遺骨を使ってな」

 「遺骨って、まさか術のために殺したのか?」

 少将の表情は驚きのあまり硬直した。術のために人の命を手にかけるなどという人間がいることが信じられなかった。しかし、清行は首を振った。

 「その女御は入内してすぐに病で亡くなってしまったらしい。京中の女人を束にしても敵わないくらいの美しい女人だったからか、ほかの女御たちから相当な嫌がらせを受けて、気が滅入ってしまったそうだ。陰陽師はその女御の墓を暴いて白骨化したご遺体を盗み出し、女を創ったのだよ。創られた女の姿は亡くなった女御とそっくりで、人間の言葉を正確に話し、箏や絵もたしなんだという。二人はしばらく同じ屋敷でひっそりと暮らしていたが、加茂家の弱みを探していた滋川家の者に勘付かれて、ことが公になったのだ。」

 あまりのことに、少将は黙り込むしかなかった。庭には相変わらずさわさわと冷たい雨が降り注いでいたが、その音が妙に大きく室内に響く。忘れられたように置かれた湯呑みの茶はすっかり冷え切っていた。

 清行は、冷たくなった茶を一気に飲み干すと、新たに湯呑みに注いだ。温かみある白い湯気がふわふわと湯呑みから漂う。少将もつられて、まだ並々と残っている茶を飲み干した。体中に、寒気が走った。

 「その創られたほうの女人はどうなったんだ?」

 「それが分からないのだよ。主上から命を受けた役人の何人かが屋敷に踏み込んだとき、捕らえたのはその陰陽師だけで、女はいなかったという。何人もの役人があの手この手で情報を引き出そうとしたらしいが、極刑を受けるその日になっても、かたくなに女の居場所については口を閉ざしたそうだ」

 大昔のことなのにずいぶん詳しく知っているんだな――そう言うと、清行は苦笑いしながら

 「小さい頃に父上から『禁術』のことと一緒に何度も聞かされてね。それに、事が事だから、陰陽師にとっては有名な話なのだよ」

と答えた。 

この事件の後、世間での加茂家の評判は失墜し、窮地にさえ陥った。官職についていたものたちはみな任を解かれ、また加茂家を頼っていた貴族たちも我先にと関係を絶ち、滋川家の陰陽師を頼るようになったのだった。それから百五十年――。滋川家との対立は強まるばかりではあったが、加茂家はなんとか信頼を取り戻し、滋川家と再び肩を並べるようになった。

 「そういえば」

 不意に思い出したように、少将は言った。

 「明日、加茂家の次期当主が決まるらしいな」

 加茂家の現当主、加茂将之は、近頃病でふせぎがちだった。そこで、万一のことに備えて、次の当主を決めておこうという動きが、一ヶ月ほど前から起こっていたのだった。

 「もう決まっている。博明だよ」

 「なに!」

 あまりにもあっさりとした清行の答えに、少将は思わず飲んでいた茶にむせた。そんな様子をちらりと見た清行は、涼しげなまなざしを庭先に向けて

 「実力的にも人格的にも、次期当主は博明だよ。あれほど才能に恵まれた陰陽師も珍しい。博明のような人を天才、と言うのだろうな」

 「そんなにすごいのか?」

 少将の疑うような問いに、

 「私と違って、器用で、なにより勘が鋭い。どんな新しい術を行うときも、ちょっとしたことですぐになにかを掴んでしまう。まだ十五だが、もうあと三、四年したらどれほどの陰陽師になるか――。時々、私は博明の才能に嫉妬のようなものすら感じるのだよ」

  これだけ清行が評価している陰陽師は珍しかった。清行の大抵の陰陽師への評価は「自分の力を伸ばそうともしないで周りの顔色ばかりをうかがう使えないものたち」だった。

 「博明どのとはよく話すのか?」

清行はうなずいて

 「なにしろ私が陰陽頭おんみょうのかみ(長官として陰陽寮を統括し、天文、暦、風雲、気色のすべてを監督する役職)で博明が陰陽助おんみょうのすけ(陰陽頭の補佐業務を行った次官)だからな。宮中ではしょっちゅう話をするし、屋敷にもよく呼ぶのだよ」 

 清行は、よほど仲の良い人でない限り、むやみやたらに人を屋敷に呼んだりするのを嫌がる人だった。

 「博明と話していると、もしお互いがそれぞれ当主についたときには、長年続いてきたうんざりする滋川家と加茂家の対立も終わらせられるのではないかと、私はひそかに期待もしているのだよ」

 「でも当主は長男が継ぐものだろう? 兄の友平どのがまだ生きているのに、弟が継ぐなんていいのか?」

 加茂博明には三歳年上の実の兄、加茂友平がいた。友平も、それなりに優れた陰陽師ではあったが、周囲の期待は弟のほうが圧倒的に大きかった。

 「異例なことには違いないだろうな。だがやはり当主を継ぐにはそれなりの実力者で人格者でないと務まらないし、なにより今の当主、将之どのが博明を当主にすることに乗り気らしい。友平のほうは、なんとか実力を認めてもらおうと、以前にも増して修行をしているそうだ。友平からしたら、博明が当主になった日には長男としての面目丸つぶれだからな。かなり焦っているようだ。彼が並大抵でない努力家なのは買うが……やはり弟と比べてしまうとな。まあ、兄弟がいるとそういういざこざが大変なのだな」

 私とは無縁の争いだ――というつぶやきに、少将は思わずふふっ笑った。

 滋川家の本家には兄妹が六人いるが、清行以外はみな姉妹だった。本家で唯一の長男。幼い頃から将来当主を継ぐことは決まっていたが、かといって清行は一度も陰陽術の修行の手を抜くことはなかった。いつも自分には厳しく、早朝から夜中遅くまで、たった一人でも修行をし、ときには術の失敗で全身大怪我して今にも気絶しそうになりながら屋敷に戻ってくることもあった。

 少将と清行がまだ六歳くらいのころ、少将は清行に聞いたことがある。将来当主になることはわかっているのに、なぜそんなに一生懸命になって修行するのか――と。まだあどけなさの残る清行は意志のこもった視線を少将に向けて、きっぱりと答えた。

 「大した術も出来ないで当主を継いだら、滋川家の名前に泥を塗るじゃないか。それに、周りから『清行はたった一人の長男だから甘やかされて育ったんだ』なんて言われるのはごめんなんだ」

 『京一の天才陰陽師』は、『京一の努力家陰陽師』なのかもしれないな――。目の前で茶を注いでいる清行を見て、少将はおかしくなった。顔や体格はもう大人だが、強い意志のこもった濁りのない澄んだ黒い瞳は、あの頃のままだった。

 ――陰陽師の世界も、いろいろ大変なんだな。

 しみじみとつぶやく少将に、清行も静かにうなずいた。

 

 

  

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