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宇治で解かれる事件手帳  作者: 柏木弓依
~幻想の章~(全4話)
14/54

第二話

 「ひさしぶりにいらしたと思ったら、また事件ですか」

 ――翌朝。落ち葉の君のお屋敷にやってきた少将、惟雅、葉月の三人を見た右近は、あきれたように苦笑いした。曇り空からは、かすかに太陽が三人に向かって弱弱しい陽を投げかけている。宇治の山も一面真っ白な雪に覆われていて、三人のやってきたところには足跡がぽふぽふと残っている。

 「はい、そうなんです。また、困ったことになってしまって……」

 申し訳なさそうに伏目がちに話す少将に、右近はふうわりとした笑顔をみせると、

 「おかたさまにお話ししてきますわ。少々お待ちになって」

と、いそいそとお屋敷の中へ戻っていった。それを見送った少将は後ろを振り返って

 「葉月さまは、持ってきてくださいましたか?」

 「はい。姉が、あの日に着ていた小袿こうちぎを……。本当は、刀を持ってきたかったのですが、証拠品は貸せない、と検非違使に断られてしまって。あの、これでも、大丈夫でしょうか?」

 と風呂敷の包みを少将に見せた。少将はにこやかに、

 「きっと大丈夫だと思います。落ち葉の君さまは、すばらしいおかたですから」

と答えた。

 




 「落ち葉の君さま、お久しぶりです」

いつものように、落ち葉の君と三人は御簾を隔てて向かい合った。御簾の下から、落ち葉の君の雪の下(白色と紅梅色)の襲がちらりとこちらに出されているのに気がついて、少将は思わず姿勢を正す。

 「今回はどうなさったのですか」

 冷たい気温に似つかわしい、凛とした声が御簾を通り抜けて聞こえる。少将はきりりと背筋を伸ばしてから、

 「実は、落ち葉の君さまのお力をまたお借りしたいのです。こちらの葉月さまの姉君さまが、事件に巻き込まれておりまして、葉月さまはお困りなのです」

 「事件、ですか。……わかりました。お話をお聞かせください」

 一瞬、少将はため息を聞いたような気がしたが、話を促されて、葉月に目配せをした。

 「はじめまして。落ち葉の姫君さま。葉月、と申します。今日は本当にありがとうございます。」 

 御簾に向かって頭を下げてから、葉月は検非違使から聞いた事件のあらましについて話し始めた。

 「私には二歳年上の綾子という姉がおります。姉は五年以上前から、青音の上さまという姫君さまにお仕えしております。青音の上さまは今から六年ほど前に藤野さまという参議とご結婚なさいました。姉と、青音の上さま、藤野さまとの間柄にはとくに諍いはなかったようです。姉から、青音の上さまと藤野さまとの関係で、悪い話を聞いたこともありませんでした。たしかに、藤野さまにはほかにお通いになられるところはあったようですが……。それで、四日前のことです。藤野さまがご自身のお屋敷で何者かに刀で刺されて亡くなってしまいました。その日、青音の上さまは体調がすぐれなかったようで、朝からお休みになっていらっしゃって、お昼ごろに、隣のお部屋での藤野さまと姉との口論で目をお覚ましになられたそうです。いつになく姉が藤野さまに強い口調だったため、青音の上さまが心配なさって様子を見に行こうとなさっとき、藤野さまのものすごい叫び声が聞こえたそうです。そして、お部屋に行ってみると、藤野さまが背中とお腹を刺されて倒れていて、傍らには藤野さまの刀を握り締めて立ち尽くしている姉がいたそうです。姉は藤野さまを刺したのは自分だと言って、そのまますぐに検非違使に申し出ました」

 葉月はきちんと説明しようとしていたが、その声は姉が殺人犯になってしまったという衝撃で声は震えていた。目元にも、うっすらと涙が滲み始める。

 「私は、信じられませんでした。姉が、人を殺してしまうなんて、そんなこと、ありえません。それで、二日前に姉に会いに行って、本当に、藤野さまを死に追いやってしまったのか、問い詰めました。そうしたら姉は、『藤野さまを死に追いやったのは自分だ』と言って、それきり黙ってしまったのです。理由を聞いても、何があったのかを尋ねても、なにも話してくれません。私は、なにがなんだか、わからなくて……」

 「葉月さま」

 懐紙ふところがみ(メモ用紙、ハンカチ、ちり紙、便箋などの用途で使われた小ぶりの和紙)で目元を押さえる葉月に、落ち葉の君が言った。

 「姉君さまも人間です。生き物です。『ありえない』ということは、全ての生き物にとって、ありません」

 感情のこもっていない、冷静すぎるその言葉に、場にいた三人は凍りついた。

 口調もその凛とした声もいつもどおりだったが、少将は突き放すようなつめたさを感じた。この世の全てを見てきてしまったものが言うような、諦めと、寂しさと、厳しさに満ちた発言に思えた。隣に座る葉月も御簾を見つめて固まっている。

 「……姉が、藤野さまを殺してしまったと、おっしゃるのですか」

震える声で一言一言搾り出すように、しかし葉月の目は鋭い光を放っている。

 「お話を聞く限り、そのように」

 「どうして!」

 落ち葉の君の物静かな声をさえぎって、葉月は叫んだ。

 「姉を知らないのに……! なにもわかっていないのに……! あなたに姉の何がわかるというのですか!」

 「では逆にお聞きしますが、葉月さまは姉君さまのなにをご存知なのですか? 姉妹で、ともに長い時を過ごしてきたとはいえ、葉月さまは葉月さまで、姉君さまではございません。本人でない限り、相手のことを『わかる』ことはできません。葉月さまがおっしゃる『分かる』『知っている』は、結局のところ、葉月さまのご想像、幻想でしかないのです。神でもない人間が、別の人間のことを『知る』ことはできないのです」

 氷のように冷え切った言葉に、三人は愕然とした。目の前に座っているのが暖かい心をもつ人間だとは、とても思えなかった。

 さすがに少将は、蒼白な葉月に気を使った。

 「落ち葉の君さま、今のお言葉はちょっと……」

 落ち葉の君は答えなかった。静かな沈黙が、ゆっくりと御簾の向こうから流れてくる。

 やがて、落ち葉の君が口を開いた。

 「葉月さまは、わたくしにどうしてほしいですか」

 澄んだ声に、葉月が顔を上げた。

 「『真実』というものは、時に残酷です。そうあってほしくない、という強い願いは、ときに『真実』という紛れもない事実に無残に裏切られます。知りたくないことも、知らないままのほうがよかったと思うことも、『真実』は容赦なく明らかにします」

 葉月は黙って話を聞いていた。膝の上に置いた、懐紙を持つ小さな右手が強く握り締められていく。

 「それでもお知りになりたいですか? 真実と向き合う勇気が、葉月さまにはございますか?」

 御簾越しで、落ち葉の君の表情は見えなかったが、少将は、落ち葉の君がまっすぐに葉月の目を見据えているような気がした。葉月もそれを感じたのか、目をそらすように顔を伏せると、ゆっくりと言葉を探す。

 「私は……」

 いつの間にか、弱弱しかった陽光は、しっかりとした明るさで簀子すのこに座る三人を照らしていた。暖かい陽に照らされて、あたり一面の白い雪はきらきらと宝石のように輝いている。

 「どうですか?」

 葉月はそっと顔を上げると、御簾の向こうからこちらを見つめているであろう姫君の目をしっかりと見て

 「私は、本当のことが知りたいです。たとえそれが……私にとって知りたくないものであっても……。私は、妹として、姉の身に起こったことを、知らなくてはならないと思います」

 そう言って、傍らにおいていた綾子の小袿こうちぎを御簾の下に置いた。

 「藤野さまが亡くなったときに、姉が着ていた小袿こうちぎです。これを、お願いします」

 御簾の向こうを見据える葉月の視線に、迷いはなかった。




 御簾の下に置かれた、ところどころに血痕の残る薄紫色の小袿こうちぎの上に、落ち葉の君はその細くて白い手をそうっとのせた。その様子を、葉月、少将、惟雅の三人は固唾を飲んで見守る。

 秋らしさを残していたこの前とは違い、今日は鳥のさえずりや虫の音は聞こえてこない。それでも、堅苦しい、糸のピンと張り詰めたような空気はなく、不思議なほど穏やかな気持ちで少将は座っていた。

 暖かい陽に照らされて、水となった雪のたてるちょろちょろという爽やかな音が、とても心地良い。

 

 「――葉月さま、姉君さまの小袿こうちぎのことづてを、受け取りました」




 「まず、姉君さまですが」

 葉月は緊張した面持ちで、落ち葉の君の言葉一つ一つに耳をすましていた。

 「藤野参議の背中を刀で切りつけたのは、この小袿こうちぎを着ていた方、つまり姉君さまです」

 その言葉に、はっと葉月は口元を覆う。切れ長の目が居場所を無くしたように宙を漂う。

 「……そんな……どうして……」

 「理由は、調べてみなくては分かりません。ところで」

 落ち葉の君は慎重な口調になって

 「お部屋には普段から刀が置いてあったのですか?」

葉月はうなずいて、普段から刀が二本あったと答えた。

 「二本、ですか? 使われたのも二本ですか?」

 「そのようです。両方の刀に、べったりと血がついていたと検非違使が話しておりました」

 腑に落ちないというような顔をして落ち葉の君はうなずく。

 「三点ほど、気になることがあります」

 「なんですか?」

 「まず一点目。先ほどの葉月さまのお話では、北の方さまがお部屋に入ったとき、すでに参議は亡くなっていたということですが、本当にそうなのか、ということです。この小袿こうちぎには、藤野参議が姉君さまに刺されたとき、姉君さまと参議、そして、もう一人の――女人の残像が残されています。お顔までは見えませんでしたが、そのもう一人の人物は、北の方さまの可能性があります。そして二点目は二本の刀です。なぜ、姉君さまはわざわざ二本の刀をお使いになったのでしょう? 一本の刀で事は足りたはずです。どうしてあえて刀を二本も使ったのでしょうか。そして三点目。なぜ藤野参議は背中とお腹を刺されていたのでしょうか」

 落ち葉の君がゆっくりと言葉を切り、たっぷりとした沈黙が流れる。

 「あの……刺された場所に、なにか問題があるのですか」

 それまで黙って話を聞いていた惟雅が、遠慮がちに聞いた。

 「想像してみてください。刀を持って人を切りつけたとき、相手と向かい合っていたのなら、傷は相手の胸や腹――つまり相手の正面のみに複数個所、もし背後から切りつけたのなら、傷は相手の背中のみに複数個所、できるのが普通です。しかし、藤野参議は背中と腹部を刺されています。これは姉君さまが参議の正面と背後を、自分の立ち位置を移動して切りつけたということです。しかし、わざわざそのようなことをするでしょうか。藤野参議は男性で、圧倒的に力も体つきも姉君さまより強く、しっかりしていたはずです。その参議を、一度切りつけてからわざわざ背後――あるいは正面に回って切りつけるような余裕があるでしょうか? 事件が計画的、あるいは突発的だったにせよ、姉君さまお一人の犯行ならば、傷は背後か正面どちらかのみについているのが自然です」 

 凛とした透明な声が、次々と御簾を突き抜けてこちらにやってきた。

 三人は、得々と話す御簾の向こうの姫君の言葉に必死に耳を傾け、整理した。少将と惟雅は、落ち葉の君の理路整然で淡々とした話を聞くのに多少慣れてはいたが、葉月は一生懸命な顔をして必死に話を整理しているようだった。

 「……ということは、藤野さまを刺したのは姉だけではない、ということですか?」

 ようやく話の飲み込めた葉月の白い表情に、亀裂がはいった。少将も惟雅も、もう一人の犯人のことを考えて、互いに表情をひきつらせる。 「おそらく、藤野参議を刺した人物は姉君さまのほかにもう一人います。そして――」

 見たくないものを見てしまったかのように、葉月は思わず目を瞑る。

 行き場を失った、気まずい沈黙が四人の間を漂った。


 「――青音の上さまに、お話を伺いに参りましょう」

 

 屋根に積もった溶けかけの雪が、静かに地面に落ちてきた。 

 



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