彼女の事情
彼が死亡してから一週間近くが経過した。世間には一人の少年の不幸な死としてニュースで取り上げられたが、特に世間が揺れ動くようなことはなかった。
当然だ。
たとえ人一人死のうとも世界は何も変わらず、惰性に進んでいくだけである。殺人関連のニュースなんて毎日嫌というほど見るし、無感動にそれをながめるだけである。
中には人殺しという行為に憤慨し、共感するような輩もいるかもしれないが、それは圧倒的に少数であり、それも次第に熱が冷め、忘れ去られるだろう。
とどのつまり彼も世間の荒波にさらされて、跡形もなく消えてしまうものの一人だった。余程の著名人でない限り死亡日時が記録されることはないだろう。勿論彼も記録上では記載されている。あくまでも人の記憶にだ。その記憶に残ることで初めて覚えられているといえる。
そして彼が懸念していた通りに周りの人々は悲しんでいなかった。クラスから孤立していたのでクラスメイトからは言わずもがな。
親族からも上辺だけの哀しみで、表面だけだったのは見てとれた。事実、彼は死んでいた。身体的にも、社会的にも。
だが彼の死を哀しむ人がいた。
その少女は部屋の隅で体を小さくし、頭を膝と膝の間に埋めるようにすすり泣いていた。
ここのところ彼女は学校を休んでいた。体の調子が悪いと偽っていた。
学校に行ってしまうともう二度と座られることのない、主なき机を見てしまうからだ。
そんなことには耐えられない。
彼が死んだという通達が来てから初めての学校、彼の席を見た途端涙が止まらなくなってしまった。
それ以来学校には行かなくなったが、流石に限界だった。親には不審がられるし、担任からは電話が幾度なく鳴り、うるさいことこの上なかった。
だが今度彼の席を見てしまうと発狂してしまいそうだ。
彼の顔がもう二度と見られない、そう考えると世界がひどく薄っぺらく思えてしまう。
彼女にとって彼は何より大切な人だった。自分の命を差し出しても厭わないくらいに。
彼女は幼い頃、今とはうって違っておとなしい少女だった。皆が太陽の下で走り回っているに対して、家の中で絵本に読みふけっているような性格だった。本を与えていれば一日中てこでも動かなかった。
そしてその少女のもとに一人の少年がやってきた。その少年は近所に住んでいた。
彼は動きやすいTシャツに短パンという格好でいかにも運動好きという少年で、自分とは正反対の性格であるのは子ども心の自分でも見てとれた。
彼は自分を遊びに誘いにきたらしい。
外遊びが嫌な自分は断ろうとしたが、彼は半ば強引に連れて行った。
暑い。
夏の暑さが全身くまなく襲い、体に残った体力を蝕んでいった。
だから外は嫌なんだ。家のエアコンが完備された部屋の方がずっと快適だというのにどうしてわざわざ外で遊ぶのか、疑問に思い、気だるく感じた。
やがて急な石段を登り、小高い場所に着いた。
そこの景色を今でも覚えている。
石段の前に開けた風景。自分達の住んでいる住宅地が米粒に見え、弱い風によって揺れる大きな広葉樹の葉擦れの音が自分の心に低く響いた。眼下の喧騒とは無縁な場所にここは鎮座している。
お気に入りの場所なんだ、と彼は無邪気に笑った。自分も自然と微笑み返していた。
以来自分にとってもここはお気に入りの場所となり、それに伴い、外遊びが好きになった。
悲しいことやつらいことがあればここに来ると、あの時の光景を思い出して、立ち直ることができた。
石段の上の開放された空間は自分と彼の大切な思い出の場所となった。
だが、ここももう行くことが出来なくなった。
彼はもう忘れてしまったかもしれないが、この思い出は唯一の宝だった。
彼と出会わなければ今の自分はなかっただろう。彼はある意味命の恩人だった。
だから彼が成長にするにつれて、人との交流を避けていたときも変わらず接し続けてきた。
その時自分は彼を守らなければと思った。自分を救ってくれた彼に恩返し、を。
そして彼女はある決意をした。彼の傍らにずっといる、守り続けるという信念を貫くために。
……お父さんお母さん、ごめんなさい。
おそらく寝入っているだろう両親に謝りながら、彼女は部屋を出た。
彼女は玄関で靴に履き替え、扉の前に立った。そして彼を思い浮かべた。
…今までありがとう。
そして、
…これからよろしくね。
両親を起こさないようにドアをぎい、と開けて、暗闇が支配する世界へ飛び出していった。
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先日○○県××市△△町路地にて、女性の遺体が発見されました。女性は十七歳、まる○○高校一年と見られます。死因は全身強打による内臓破裂及び骨の粉砕骨折で、飛び降り自殺と思われます。背後のビルの屋上から跳んだものと思われ、警察の検証を急ぐと共に自殺の動機などを含め、現在両親から事情聴取を行っています。
(彼死亡から十四日後とあるニュース番組より)