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第8話 緊急事態

 鍵を使って、冥路閣から亥ノ伍区域まで移動した照真たち。ビルの屋根に敷かれた瓦の上を走る豊命を追っていると、地上から悲鳴が聞こえる。


 つられて視線を下ろすと、照真たちがくぐってきた門に向かって走る人たちの姿があった。その後ろには、どこから湧いてきたのか数えるのも面倒なぐらいの祟魔が暴れ回っていた。


 と、小鬼姿の祟魔が逃げ遅れた人に傷を負わせれば、たちまちその人は邪気を纏い、祟魔へと変貌していく。

 

「あの、あれって何が起こってるんすか?」

祟魔堕(すいまお)ちよ」

 

 照真が尋ねると、前を走っていた豊命が淡々と告げた。

 

「祟魔堕ち?」

 

 聞きなれない単語に首を傾げ、訊き返す。すると、豊命は下を見ながら語り始める。

 

「前にも話したけど、この幽現界の住民たちはまだ死んでいるか生きているか確定していない、いわば何者でもない中途半端な存在なの。だから一定以上のストレスがかかったり、邪気を吸い込んだりしたら祟魔に墜ちる可能性がある」

「そうならないように未然に防いでサポートするのがあたしたち調冥者の役目。そして、豊命が言ってた第二の仕事ってのが、祟魔と祟魔墜ちした彼らを祓うことよ」

 

 豊命に続いて、照真の隣を走っていた薙華が付け足す。

 

(あぁ、だからあのとき俺が祓術師かどうか確認したのか)

 

 照真は調冥者として手伝いをする前に、豊命から訊かれた言葉を思い出し、納得する。

 

 祟魔を祓うのが祓術師の役目。それと同じように地上にいる調冥者たちも祓術を扱えるようで、祟魔堕ちした人に纏わりついた邪気が祓われると、元に戻っていく。

 

 その様子に安堵していると、豊命が足を止めて照真を見た。

 

「さぁ、降りるわよ」

「うっす」

 

 豊命は躊躇することなく、地上七階に位置する瓦屋根から飛び降りる。身体強化の祓術を全身に纏い、照真、薙華、斎綾も後に続く。

 

 地面に着地し、顔を上げる。すると、辺りには避難が完了したのか住民の姿はなく、立ち入り禁止の規制線が貼られていた。


 豊命と薙華が規制線の中で避難の対応をしていた数名の調冥者と言葉を交わし始める。

 

 ふと周囲を観察してみると、地面はひび割れ、周囲の建物は全壊。瓦礫の破片がボロっと上から落ちるのが目に映った。

 

(これも祟魔の仕業なのか……)

 

 だが、逃げ遅れた人たちを襲っていた小さな祟魔たちが建物を全壊させるほどの力を持っているとは思えない。加えて、半壊した瓦礫が辺りに見当たらないというのも不自然だ。


 一体どこにいった……。

 

 思案した瞬間、背筋が凍るような気配を感じ、照真は視線を上に向けた。

 

「あそこにいるのって……」

「上級祟魔だね。これじゃあ並大抵の調冥者は太刀打ちできないはずだ」

 

 照真のセリフを継ぐように同じく見上げた斎綾が言う。かなり距離があるため、肉眼で視認しただけでは、人型のシルエットということしか分からない。

 

 その間にも、薙華が周囲にいた数名の調冥者へ向けて下がるよう促す。指示を受けた彼らが規制線の外に出たのを確認した豊命は上空に視線を移すと、大きく息を吸いこんだ。

 

「ちょっと! こんなことして何が目的⁉」

 

 豊命の怒号が周囲に響き渡る。と、上空に浮いていた人物は声に気づいたのか見下ろしてきた。

 

「これはこれは偉大なる幽現界の管理者様じゃないの~。元気してた?」

 

 上空に浮いていた人物は豊命を見つけると、胡散臭い笑みを浮かべ、ズボンのポケットに納めていた手を出して軽く振ってきた。

 

「そういうのは良いから早く目的を言いなさいッ! 玄峯(げんほう)!」

 

「玄峯」と豊命が口にした瞬間、聞き覚えのある名前に照真の表情がピシッと固まった。

 

(なんで玄峯さんがここに……)

 

 照真はすぐさま視力強化の祓術をかけ、上空で佇んでいる玄峯を見つめる。当の玄峯は仕方なさげに眉を下げた後、豊命の問いかけに応じようと口を開く。

 

「この悠楽ってのは本当にいい所でね。食べ物は美味いし、娯楽も沢山溢れてて正直、僕ら祟魔の住む祟界(すいかい)よりもいいものばかりだ。何より、現世はもちろん天界や幽界を行き来するのにここはちょうどいい。この数百年ずっと目をつけていたんだけど、いい加減待つのも限界でさ。だから奪おうと思ってるんだけど……」

 

 つらつらと理由を重ねていく玄峯を信じられないものを前にしたかのような目つきで見ていると、ふと目が合い、彼の発していた声が止まった。

 

「そこにいるのって照真くん? 六日ぶりだね。久しぶり~」

 

 軽やかに笑みを携えながら玄峯が声をかけてくる。

 

「玄峯さん……あんた何、やってるんすか……」

 

 絞り出した声が震えると同時に、ベルトに差していた太刀を握る手に力が入る。内心、信じていたものに裏切られたようなそんな感覚に陥っていると、薙華から肩を叩かれた。

 

「照真、知り合い?」

「えぇ、まぁ。初日に冥路閣まで案内してもらったんすけど、まさか祟魔だったとは……」

 

 照真は上空に佇んでいる玄峯を睨みつける。

 

「玄峯の気まぐれさと幻術の精度は大天狗(だいてんぐ)の中でもピカイチだから分からないのも無理ないわ」

 

 大天狗(だいてんぐ)。それは天狗の中でも最上位に位置する存在だ。


 神通力や幻術を始めとした高等な術を使用し、人の姿に化けていることもあるという。翼無しで空に佇んでいるのもその影響だろう。


 何にせよ、いくら恩人であれ、街を崩壊させたあいつを許せるはずがない。

 

 そう憤りを感じていると、様子を見ていた玄峯が途端に声を上げる。

 

「いや~、会った時から思ってたけど、やっぱり照真くんは面白いね。まだ生きてるってのに幽現界に来ちゃうし、すーぐ人のこと信用しちゃうところとか特にね。普通、見知らぬところに来たとしても、素性も分からない相手に自分から声かけようだなんて思わないでしょ」

 

 玄峯に痛いところを突かれ、照真の顔が歪む。

 

(悪かったな……。あの時はあぁする他に方法が思いつかなかったんだよ)

 

 心の内で言い訳をしていたら、玄峯が「あ、そうだ」と手を打った。今度は何を言い出すのかとその場にいた全員が一斉に目を向ける。

 

「そこの彼をこっちに渡してくれたら、今回、幽現界を奪う件はチャラにしよう。彼ぐらいズレてるやつが傍にいたら、この先退屈しなさそうだしね」

 

 照真に向かって指を差す玄峯。まさか自分が標的にされるとは思っていなかった照真は、一瞬、ビクッと肩を震わせてから恐る恐る豊命の方を見る。と、彼女は少し俯いて考え出す。

 

 どうするんだ……。ないとは思うけど、豊命のことだから万が一があるかもしれない。

 

 不安に思っていると、豊命が顔を上げた。

 

「悪いけど無理な話ね。私には調冥者としてこの子を守る義務がある」

 

 そう話す豊命の目には確固たる意志が宿っていた。

 

「なら力づくで奪うまでだ」

 

 ニヤリと口角を上げた玄峯が指を鳴らすと、彼の背後に半壊した建物の瓦礫が次々と出現した。玄峯は手を前に振りかざすと、瓦礫が一斉にこちらへ向かって飛んでくる。

 

 直後、豊命が虚空へ手を翳した。その刹那、彼女の手元に等身大はあろう大鎌が現れる。豊命の手にした大鎌が視界に入った途端、照真の目がこれでもかというほどに見開かれた。

 

(ちょっと待て……あの大鎌って)

 

 五日前に見た夢で……いや、九年前のあの日、女神が手にしていたものと同じものだ。


 大鎌の長さはもちろんのこと、柄の部分の葉のついたツルの装飾から接合部分の稲穂の紋章まで全く同じものが豊命の手に握られている。

 

 似ている……とそう思ってはいたが、まさかこんなに近くにいただなんて思いもしなかった……。

 

 呆然としながらその場に立ち尽くしている間にも、両手で大鎌の柄を持った豊命は、照真の前に振って来た瓦礫を瓦礫を弾き飛ばす。


 と、玄峯目掛けて跳躍した。同じように、薙華もいつの間にか手にしていた薙刀を脇に抱えながら、豊命の後に続く。

 

「照真くん」

 

 名前を呼ばれて振り向けば、斎綾も豊命と薙華と同様に錫杖を手にしていた。

 

「ここは豊命と薙華に任せて、僕らはこの邪気の発生源を絶ちに行こう」

「う、うっす」

 

 豊命に話を聞くのは後。まずは目の前に流れている邪気となる黒い靄を辿るのが先だ。気を取り直した照真は、斎綾に続いてその場を離れようと駆け出す。

 

 規制線を抜けるまであと少し。というところで、逃げ遅れたのか二日目の仕入れ先で会った女性書店員が半壊した建物の瓦礫の下から出てくるのが見えた。


 足を負傷しているのか、引き摺っているように見える。すると、玄峯と豊命、薙華の戦闘の余波で彼女に向けて瓦礫が落ちてきた。

 

 照真は咄嗟にその場で踏み込み、接近。書店員に瓦礫がぶつかる寸前、太刀で斬り伏せて事なきを得る。

 

「っと、大丈夫すか」

「あ、ありがとうございます」

 

 ふと書店員の足に目を向けると、ズボンにかなりの量の血が滲んでいた。

 

(とてもじゃないが走れそうにないな……)

 

 そう判断した照真は、断りを入れてから書店員を抱えて規制線の外に走る。規制線を潜り抜けると、ちょうど近くで調冥者が祟魔堕ちした人を祓っていた。

 

「申し訳ないんすけど、後、頼めますか?」

「はい、お任せください」

 

 調冥者に書店員を託した照真は、斎綾と合流。邪気の流れ込んでくる方へ向かうのだった。

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