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第4話「黒い手袋」

 翌日。

 予想通り筋肉痛で階段が地獄だった。太ももの裏が悲鳴を上げている。ふくらはぎに至っては叫びを超えて沈黙している。痛すぎて感覚がないやつだ。

 学校には何とか辿り着いた。授業を受けた。何も頭に入らなかった。入学三日目にして授業放棄。内申点が死んでいく音が聞こえる。

 隣の席の明日香が心配そうにこちらを見ていた。

「岐堂くん、大丈夫? 足引きずってない?」

「筋肉痛で……昨日ちょっと走って」

「走った? 何で?」

「……健康のため」

 嘘のクオリティが低い。「健康のため」に走って筋肉痛で授業中うめいてたら本末転倒だ。明日香は「そっか、無理しないでね」と笑ってくれた。優しい。優しさが眩しい。この世界に善意は存在する。

 放課後。

 校門を出る。

 ——ミラがいた。

 校門の横の桜の木にもたれて立っている。昨日と同じ、制服じゃない服。周囲の生徒が不思議そうにちらちら見ている。そりゃそうだ。見慣れない美少女が校門で誰かを待ってたら目立つ。

「見つけた」

「見つけたって……本当に来たんだな」

「約束した」

 律儀だ。約束に対する誠実さだけは異常に高い。

「話がある。ついてきて」

「どこに」

「あなたの家」

「え」

「あなたの家に行く」

「なんで俺の家」

「安全だから」

 いや安全じゃない。別の意味で安全じゃない。男子高校生の一人暮らしの部屋に女の子を連れ込むのは社会通念上——

「早く」

「……分かった」

 逆らえる空気じゃなかった。

 帰り道、ミラは周囲を警戒しながら歩いていた。時折足を止めて空を見上げたり、路地の奥を確認したりする。俺の斜め後ろ、常に半歩下がった位置。護衛の立ち位置なんだろう。たぶん。

 マンションに着く。エレベーターで五階。502号室。鍵を開ける。

「……散らかってるけど」

「気にしない」

 ミラが靴を脱いで入ってくる。室内を一瞬で見回す。目の動きが速い。間取りを把握しているような、出入口を確認しているような。

「座って」

「うん」

 リビング——と呼ぶには狭い六畳の居間。テーブルの前に並んで座る。

 ミラが鞄から何かを取り出した。

 黒い手袋。バイクグローブみたいな形状。表面に微かな光沢がある。見たことのない素材。

「AXIOM。あなたを助けるもの」

「アクシオン……?」

「装着して」

「待って。何これ」

「判断を代行してくれる。あなたが戦うときに」

 戦う。さらっと言ったが、俺が戦う前提で話が進んでいる。

「使ったらどうなるの」

「身体能力が上がる。反射速度も。判断もサポートしてくれる」

「便利じゃん」

「便利。でも——」

 ミラが一拍置いた。

「緊急時は、あなたの意志を無視されることもある」

「無視されんの!?」

「生存を優先するから」

「俺の同意は!?」

「……緊急時は、後回し」

「ブラック企業じゃん!」

 ミラが首を傾げる。ブラック企業が分からないらしい。

「……労働環境が劣悪な組織のこと」

「AXIOMは組織じゃない」

「例え話!」

 手袋を受け取る。見た目より軽い。というかほぼ重さがない。

 嵌めてみる。

 ——ぴたっと手に吸い付いた。まるで最初からそこにあったみたいに。手の形に合わせて素材が変形する。きつくも緩くもない。完璧なフィット。

 視界に文字が浮かんだ。

【AXIOM:起動準備完了。生体認証——照合中——完了。使用者登録:岐堂 選】

「……見える。文字が」

「選にだけ見える。他の人には見えない」

【初回起動チュートリアルを開始しますか? Y/N】

「チュートリアルあるんだ。ゲームかよ」

「ゲームじゃない」

「分かってる。ツッコミ」

「……ツッコミ」

 また首を傾げた。この人、ツッコミの概念を理解するまでにあと何回かかるんだろう。

【チュートリアルをスキップしました。実戦で学習します】

「スキップすんな! しかも実戦!?」

【効率的です】

「出た。効率」

 AXIOMとの初対面にして、こいつの性格が何となく掴めた。無機質で、合理的で、人間の感情に興味がなくて、効率だけを最適化するタイプ。AIアシスタントの最悪バージョン。

「外し方は?」

「普通に外せる。でも——」

 外してみた。するっと抜ける。普通のグローブと同じだ。なんだ、簡単じゃん。

【警告:装着者との接続が切断されました。再装着を推奨します。周辺脅威レベル:不明。再装着を推奨します。再装着を——】

「うるさっ!!」

 視界の端にテロップが流れ続けている。脳内に直接通知が来る。外してるのに。

「外しても通知が止まらないんだけど」

「生体認証で登録されたから。脳との接続は維持される」

「接続切れよ!」

「切れない。選を守るために」

「外せるけど外せないみたいなの一番タチ悪い……」

 結局嵌め直した。通知が止まった。静かになった。

 外せるのに外せない。技術的には自由だが実質的には拘束。未来の労働環境が垣間見える。


 ミラが帰った。

 いや、帰ったというか、「明日また来る」と言い残して消えた。どこに帰るのかは知らない。聞いても答えないだろう。この人の行動パターンは二日で概ね把握した。聞いても答えない。答えても三語以内。以上。

 一人になった部屋で、右手のグローブを見る。

 黒い。薄い。軽い。これが未来のテクノロジーだと言われても、見た目はただの手袋だ。こんなもので何ができるのか、正直まだ実感がない。

【周辺の脅威レベルを常時監視しています。現在:安全】

「……お前、ずっと起きてるの?」

【はい。常時稼働です】

「寝ないの?」

【睡眠機能はありません】

「ブラック確定じゃん……」

 窓の外を見る。夕暮れ。空がオレンジ色に染まっている。普通の夕方。普通の住宅街。昨日ドローンに追いかけ回された世界と同じ世界だとは思えない。

 ——コンビニに行こう。冷蔵庫が空だ。卵と醤油とマヨネーズしかない。人間は醤油マヨネーズで生きていける説はあるが、検証する気はない。

 パーカーを羽織って外に出る。

 マンションを出て、駅の方に歩く。近道は住宅街の裏道を抜けて、駅前のロータリーを通るルート。五分くらい。

 夕暮れの住宅街。犬の散歩をしているおじさん。ランニングしている学生。普通の光景。

【——警告】

 文字の色が変わった。白から赤に。

【脅威検知。空中。上方。距離:300m。接近中】

「え」

【敵性ドローン反応。数:6。推定到達時間:40秒】

「嘘だろ」

 空を見上げる。

 夕焼けの空に、黒い点が六つ。

 昨日と同じだ。音がしない。無音で近づいてくる。遠くから見ると鳥にも見える。でも鳥じゃない。鳥はあんなに正確な等間隔では飛ばない。

「今日も来んの!? 昨日の今日だぞ!?」

【敵に休日の概念はありません】

「ツッコミだよ!!」

 走る。住宅街じゃまずい。もっと広い場所——駅前のロータリー。あそこなら人が少なく——いや、夕方だから人はいるだろう。でも昨日の経験だと、戦闘が始まると周囲の人間には見えなくなるらしい。

 ロータリーに着く。

 空気が変わった。音が遠くなる。人の気配が薄れる。昨日と同じだ。世界が「切り替わる」感覚。日常から非日常への、物理的な切り替え。

 ドローンが降りてくる。六機。円を描いている。

【戦闘モード起動。チュートリアルはスキップ済みのため、実戦で——】

「だからチュートリアルやらせろって言っただろ!!」

【効率的に学習してください】

「鬼か!!」

 一機目が光線を撃ってきた。

 体が——勝手に動いた。

 自分の意志じゃない。AXIOMだ。右に跳ぶ。光線が足元のアスファルトを抉る。

 ——ああ。これか。

 なんで俺こんなことしてんの。

 つい数時間前、普通の高校生だった。入学式に行って、隣の席の女の子に緊張して、桜を見て、帰り道にドローンに追われて、地下通路で女の子に壁ドンされて、黒い手袋を渡されて——

 そして今、駅前のロータリーで空飛ぶ金属の塊と戦っている。

 人生何があるか分からない。本当に。


 ——この先は、もう話した通りだ。

 六機を38秒で叩き壊して、世界が修復されて、ミラが駆けつけて、距離8cmで心拍数を測られて、ベンチで意識を失って、目が覚めて、夜道を一人で歩いて帰った。

 入学三日目にして、人生が完全に狂った。

 でも——不思議と、最悪の気分ではなかった。

 夜空を見上げた。

 星が出ていた。四月の星。入学式の日に見上げた空と同じ空。同じなのに、全然違って見える。

 ——隣に誰もいないのが、少しだけ寂しかった。

 少しだけ。

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