第35話「2070年のデート」
2070年。到着二日目。
ANCHORが言った。「未来の選との接触は明日になります。今日は自由行動を」
自由行動。未来で自由行動。修学旅行か。
「……せっかくだから、案内して」
「案内?」
「ミラの世界だろ。——見たい」
「…………」
「嫌?」
「嫌じゃない。——でも、楽しい場所はない」
「楽しくなくていい。ミラの世界を見たい」
ミラが少しだけ——ほんの少しだけ——表情を緩めた。
「……分かった」
未来の街を歩く。
整然。完璧。均一。道路に段差がない。歩道と車道の区別がない。自動運転の車両が音もなく走っている。歩行者がいるが、会話が少ない。みんな端末を見ている。端末は空中投影型。手の上にホログラムが浮いている。
「すごいな未来」
「すごい?」
「コンビニが全部自動なのは便利」
「そこなんだ」
「だって。——明日香に写真撮ってやりたい。未来のコンビニ」
「……明日香さんのためにわざわざ」
「お土産だから。——あ、ほら、レジがない。全部センサーで——」
「知ってる。私の時代だから」
「そうだった」
コンビニに入った。商品が棚に並んでいる。パッケージが均一。色が少ない。白とグレーが基調。手に取ると自動で決済される。
おにぎりを買った。
「……味がしない」
「効率的な栄養摂取が重視されていて——」
「味がしないものは味がしない」
「……うん」
まずいとは言わない。味がないのだ。カロリーと栄養素は完璧に計算されている。人体に最適な配合。——でも、味がない。
「明日香のハンバーグの方が美味い」
「ファミレスのハンバーグ」
「ファミレスのハンバーグの方が美味い」
「……同意する」
ミラが同意した。未来人が自分の時代の食事にファミレスのハンバーグで負けを認めた。
カフェに入った。未来のカフェ。
内装が白い。椅子が白い。テーブルが白い。壁が白い。窓がない——壁面ディスプレイが外の景色を映している。映像だから天候に左右されない。常に晴天。常に適温。常に快適。
コーヒーを頼んだ。
出てきたのは——コーヒー色の液体。
飲んだ。
「…………」
「どう?」
「コーヒーではある」
「味は?」
「コーヒーの味は——する。するけど。何かが足りない」
「雑味がないんだと思う。苦味も酸味も最適化されていて——」
「そう。雑味がない。——雑味がないコーヒーって、コーヒーなのか?」
「…………」
「律に飲ませたい。律なら『悪くない』って言いそう」
「……言いそう」
ミラが自分のカップを見つめている。
「私、現代のコーヒーの方が好き」
「いつからそうなった」
「……選と飲んでから」
「ファミレスの?」
「ファミレスの」
「ファミレスのコーヒーに負ける未来……」
「負けてない。——好みの問題」
好みの問題。つまり負けている。
公園に来た。未来の公園。
広い。整備されている。芝生が完璧。一本も雑草がない。花壇がある。花が咲いている。——色が均一。全部同じ高さ。同じ開き具合。
人工だった。
花も、芝生も、木も。全部人工物。精巧な人工物。触ると温度がない。生き物の温度がない。
「……桜はある?」
「ない」
「……そうか」
「桜は非効率だから。すぐ散る。掃除が必要。花粉でアレルギーが出る。——だから、排除された」
「排除……」
「代わりに人工の花がある。散らない。アレルギーが出ない。一年中咲いている」
「一年中咲いてるのか」
「うん」
「……それって、咲いてるって言えるのか」
ミラが黙った。
俺も黙った。
人工の花壇の前で。散らない花を見ながら。
「……ミラ」
「何」
「帰ったら、桜を見よう」
「桜はもう散ってる。四月だから——」
「来年。来年の春。桜が咲いたら一緒に見よう」
「……約束?」
「約束」
【約束リスト更新——現在13件】
「増えたな」
【正確です】
「……いい。全部守る」
夕方。——夕方のはずだが、空の色が変わらない。灰色のまま。朝も昼も夕方も夜も、空の色が同じ。時間の感覚が狂う。
建物の屋上に来た。ミラが案内した。「ここが——一番空に近い場所」
屋上。風がある。未来の風は無臭。花の匂いも、土の匂いも、排気ガスの匂いもない。何もない風。
空を見上げた。
灰色。——月が見えない。
「……やっぱり見えない」
「うん」
「ミラは——月を見たことあったのか。こっちに来る前」
「……ない。映像では見たことがある。でも、本物は——現代に来て初めて見た」
「初めて」
「初めて。——びっくりした。あんなに綺麗だと思わなかった」
ミラが空を見上げている。灰色の空を。月のない空を。
「帰ったら、絶対見よう」
「約束」
「何回目だこの約束」
「数えてない。——でも、何回でもする」
「……うん」
並んで立っている。屋上の縁。風が吹いている。ミラの髪が揺れている。
ミラが——こちらを向いた。
近い。
顔が近い。ミラの目が俺を見ている。いつもの無表情——ではない。何かを決めかけている顔。
ミラの顔がさらに近づいた。
唇が——。
「…………」
「…………」
近い。あと五センチ。三センチ。
ミラの目が閉じかけた。
——止まった。
ミラが止まった。自分で。唇があと一センチの距離で。
「…………帰ってからにする」
「…………」
「今ここでしたら——ずるいから」
「……ずるい?」
「明日香さんに。——答え出してないのに」
ミラが一歩下がった。目を開けた。少しだけ——悔しそうな顔。
「……お前、本当に真面目だな」
「真面目じゃない。——ずるいことが嫌なだけ」
「…………」
「帰ったら——ちゃんとして」
「ちゃんと?」
「ちゃんと。——答えを出して。それから」
「……うん」
風が吹いた。灰色の空。月のない空。
ここにはない。桜も、月も、ファミレスのハンバーグも。
でも——帰れば、全部ある。
帰ろう。




