第34話「転送」
早朝。日の出前。
集合場所は——河川敷。いつも月を見る公園の近くの、広い河川敷。草が朝露で濡れている。空がまだ暗い。東の空だけが薄く明るい。
ミラと二人で歩いてきた。手は繋いでいない。でも肩が触れている。
河川敷の中央に——人影。
ANCHOR。
ミラと同じ未来から来た存在。ミラが「実行」なら、ANCHORは「観測」。長い黒髪。落ち着いた佇まい。白い服。——感情の読めない目。ミラとは違う種類の無表情。ミラの無表情には温度がある。ANCHORの無表情には——温度がない。
「おはようございます。——準備はできていますか」
「おはよう。——できてるかは分からない。来た」
「来たなら十分です」
ANCHORが手を振った。地面に——円形の光が浮かび上がった。直径三メートルほど。青白い光。幾何学模様が回転している。
「これが転送装置?」
「正確には転送座標の固定点です。装置は未来側にあります。こちらはマーカーに過ぎません」
「分かりやすく言うと」
「バス停です」
「バス停」
「バスが来たら乗ってください。——ただし」
「ただし?」
「片道切符です」
「帰ってこれないの」
「保証はできません。帰還の座標を設定できるかは、未来側の判断次第です」
「保証なしの旅行って……格安ツアーかよ」
「格安ではありません。対価は大きいです」
「冗談が通じないタイプか」
「通じています。面白くなかっただけです」
「辛辣!」
ミラが小さく息を吐いた。笑ったのかもしれない。ANCHORとのやり取りを見て。
「ANCHOR」
「はい」
「選を、よろしく」
「私の任務は観測です。——保護ではありません」
「知ってる。でも——よろしく」
「…………了解しました」
ANCHORの声が、ほんの少しだけ柔らかくなった。一瞬だけ。
円形の光が脈動を始めた。転送座標が安定してきている。
「あと三分です」
「三分……」
三分。三分後に未来に行く。2070年に。五十年先の世界に。
ミラが俺の隣に立った。
「怖い?」
「怖い。——お前は?」
「怖くない。選がいるから」
「……ずるいな、そういうの」
「ずるくない。本当のこと」
「本当のことだからずるいんだよ」
ミラの目が揺れた。微かに。朝焼けの光がミラの瞳に映っている。
「……ミラ」
「何」
「帰ってくる。絶対に。——月を見る約束、まだ残ってるから」
「……うん」
「明日香のお土産もあるし」
「……それは優先順位低くていい」
「明日香に怒られるぞ」
「……いい」
円形の光が強くなった。幾何学模様の回転が速くなる。
【転送座標安定。転移開始まで60秒】
AXIOMが表示した。カウントダウン。
「行ってくる」
誰に言っているのか。ミラに。明日香に。黒瀬に。律に。神崎に。AXIOM に。全員に。
——声が聞こえた気がした。
河川敷の向こう。土手の上。
人影が五つ。——いや、四つ。
明日香が手を振っている。黒瀬が拳を突き上げている。神崎が双眼鏡を構えている。律が——立っている。腕を組んで。
来ていた。見送りに。言ってないのに。
「……お前ら」
「行ってらっしゃーい!」黒瀬の声が聞こえた。
「お土産忘れないでねー!」明日香の声。
「保留ですからね!」神崎の声。
律は何も言わない。でも——右手を小さく上げた。一瞬だけ。
「…………」
「選」
「分かってる。——行こう」
ミラと一緒に光の円に足を踏み入れた。
光が包み込む。視界が白くなる。音が消える。重力が消える。
ミラの手が——触れた。繋がないと決めていたのに。ミラの方から。
握り返した。
強く。
意識が遠くなる。
最後に見えたのは——土手の上の四人の影と、東の空から昇る朝日だった。
目を開けた。
灰色。
空が灰色だった。雲ではない。空そのものが灰色だった。太陽の位置は分かるが、光が弱い。フィルターがかかったような空。
地面は平坦。アスファルトではない。何かの合成素材。継ぎ目がない。一面が均一な灰色。
建物が並んでいる。高い。均一。窓の配置が完全に等間隔。装飾がない。色がない。機能だけがある。
人がいる。——遠くに。歩いている。静かに。会話が聞こえない。
音がない。
風の音も、車の音も、鳥の声もない。——静かすぎる。
「ここが……未来?」
「2070年。——私が生まれた世界」
ミラが隣にいた。手はいつの間にか離れていた。ミラの表情が——硬い。いつもの無表情とは違う。こわばっている。
「月が見えない」
「うん。——ここでは見えない。空がいつもこう」
「言った通りだな」
「言った通り」
灰色の空。灰色の建物。灰色の地面。——灰色の世界。
整っている。完璧に。一分の隙もなく。汚れがない。ゴミがない。壊れたものがない。
——生きている感じがしない。
「……ミラ」
「何」
「帰ろう。——絶対に、帰ろう」
「……うん」
灰色の空の下で。約束した。




