第32話「嵐の前の静けさ」
夜。自宅。
ミラが部屋に来た。いつものやつ。
「七分な」
「十分」
「八分」
「九分」
「……仕方ない、九分」
分数が毎回増えている。最初は五分だった。それが六分になり、七分になり、今は九分が標準になっている。来月には十五分くらいになっているのではないか。
ミラが俺のベッドの端に座った。部屋の電気は消している。カーテンの隙間から月明かりが入ってくる。
——ミラが、珍しく黙っている。
いつもなら何かしら報告がある。「ドローンの動きが変わった」とか「明日の天気は雨」とか「心拍数が安定している」とか。AXIOMの代わりみたいな報告を、淡々と。
今日は何も言わない。
「どうした」
「…………」
「ミラ」
「……未来が、近づいてる」
「未来?」
「選を未来に連れて行かなきゃいけない時が。——もうすぐ来る」
「連れて行くって——俺が未来に行くのか」
「うん。——あなたが未来を見ないと、何も変わらない。何も終わらない」
「…………」
「嫌?」
「嫌っていうか——」
——地鳴り。
窓の外が暗くなった。月明かりが消えた。何かが月を遮っている。何かが——大きい。
【警報。重装ユニット確認。カテゴリ:重装甲型。サイズ:車両以上建造物未満。装甲強度:推定——打撃無効。推奨:迂回または支援要請】
「打撃無効って、俺の戦い方全否定じゃん!」
窓から見える。四足歩行の巨大な機体。ビルより小さいが、車より遥かに大きい。街灯の光を遮って、影を落としている。重装甲。表面が金属と有機物の混合。目に当たる部分がない。センサーアレイだけが並んでいる。
【追加警報。ドローン群体接近。数:20機以上。刃ユニット4体。追跡型2体。——同時展開】
「なんで今日だけ福袋みたいに来るんだよ!!」
ミラが立ち上がった。銃を出した。——いつ持ってきたのかは聞かない。ミラは常に武装している。
「行く」
「行くしかないな」
窓から飛び出した。二階。着地。AXIOMの衝撃吸収。ミラも隣に降りる。
住宅街の道路に立つ。重装型が三十メートル先にいる。圧倒的な質量。足が一歩動くたびに地面が震える。
ドローンが上空に展開している。二十機以上。夜空を黒い群れが覆っている。
刃ユニットが路地から滑り出てくる。四体。蛇型。体表に刃が並んでいる。
追跡型が二体。犬型。音響探知。前に戦った喰顎獣の上位互換。
全部盛り。
——多すぎる。一人では無理だ。二人でも厳しい。
「ミラ、これ——」
「大丈夫」
「大丈夫じゃ——」
「もう来てる」
後ろから。
「お、始まってんじゃん!」
黒瀬。パジャマの上にジャケットを羽織っただけ。素足にスニーカー。走ってきた。——笑っている。
「固そうなのがいる! 最高!」
黒瀬が重装型に向かって走った。跳んだ。重装型の脚部に飛びつく。しがみつく。質量補正パンチ。装甲に拳がめり込む——が、貫通しない。
「固い! 最高!!」
「最高じゃない! 降りろ!」
右から。
律が来た。無表情。制服のまま。——いつ着替えたのか。いつもきちんとしている。深夜でも。
律が刃ユニット二体の間に入った。二体が同時に刃を振る。律が最小限の動きで避ける。避けながら——一体の関節部を蹴った。正確。一体目が停止。
二体目が律に突進する。律がハンドガンを抜いた。一発。胴体を貫通。停止。
無言。二体を十秒で処理した。
左から。
神崎が歩いてきた。——歩いて。私服。白いブラウス。スカート。ヒール。夜の住宅街をヒールで歩いている。場違いすぎる。
「あら。派手ですね」
「派手なのはこっちの台詞だ! なんでヒールなんだよ!」
「急いでいたので」
「急いでヒールは矛盾してる!」
神崎が追跡型に向かって歩いた。追跡型が跳びかかる。神崎が半歩ずれる。予測補助。追跡型の爪が空を切る。神崎の掌底が追跡型の顎に入る。余裕の笑顔。
「音響探知型ですか。——静かにすれば逃げられるのに。私がうるさいとでも?」
「お前がうるさいかどうかは置いといて——二体目!」
二体目の追跡型が横から来る。神崎が振り返らずに蹴った。ヒールの踵が追跡型のセンサーに命中。停止。
「ヒールで戦うな!!」
「意外と武器になりますよ?」
「その使い方は設計者の想定外だ!」
全員集合していた。
選。ミラ。黒瀬。律。神崎。
「全員集合してるんだが」
「……みんな、気づいてた。今日が最後だって」
ミラが小さく言った。
最後。現代での最後の戦闘。明日——選は未来に行く。
みんなが集まった。呼んでいない。連絡していない。でも——来た。気づいていた。
「……ありがとな」
「礼は後。——来る」
ドローン群体が降下を始めた。二十機以上。一斉に。
ミラが銃を構えた。連射。三機撃墜。
黒瀬が重装型の上から飛び降りて、降下中のドローンを空中で殴った。二機粉砕。
律がハンドガンで三機撃ち落とす。無言。正確。
神崎が予測補助で光線を避けながら、低空のドローンを蹴り落とす。ヒールで。
俺はAXIOMの両手運用。右手でエネルギーを撃ち、左手でシールドを張る。五機撃墜。
残りのドローンが散開する。包囲を試みる。
「包囲させるな!」
律が前に出た。包囲の一角を突破。三機を連続射撃で落とす。
黒瀬が反対側の包囲を力づくで突破。質量補正パンチで二機を同時に砕く。
残り——五機。ミラと俺で処理。二十機が二分で全滅。
刃ユニットの残り二体。
律と神崎が同時に動いた。律が一体の脚を撃ち、動きが止まった瞬間に神崎が関節を蹴って転ばせる。もう一体は律が近接で処理。ブレードが閃く。一瞬で。
残り——重装型。
でかい。固い。打撃無効。
「正面突破不可なんだろ」
【推奨:迂回——】
「却下。正面から行く」
【しかし——】
「却下だ」
両手のAXIOMに出力を集中する。右手と左手のエネルギーを——片方に。右手に。全出力を右拳に集約する。
一点突破。
重装型の装甲には均一な防御力がある。どこを殴っても同じ。——なら、関節部を狙う。装甲が薄い部分。可動部。
走った。重装型が足を上げた。踏み潰そうとする。——足の下に潜り込む。関節部が見える。金属と有機物の継ぎ目。
右拳を叩き込んだ。
全出力。
関節が砕けた。重装型がバランスを崩す。傾く。
「黒瀬!」
「任せて!」
黒瀬が重装型の頭部に飛び乗った。上から——蹴った。質量補正全開。重装型の頭部装甲が凹む。
傾いた重装型がさらに傾く。——倒れる。
地面が震えた。住宅街の道路にひびが入る。認識フィールドが修復を始める。
全滅。
重装型。ドローン二十機以上。刃ユニット四体。追跡型二体。——全部。
全員で。
「お前と殴り合うのが一番楽しい」
「俺じゃなくてそいつを殴ってくれ。——ていうかもう殴ったけど」
息が荒い。全身が痛い。AXIOMの全出力を右拳に集中したせいで、右手が震えている。
でも——終わった。現代での最後の戦闘が。
戦闘後。
全員が路地に座っている。壁にもたれて。息を整えている。深夜。月が戻ってきた。重装型が消えたから。
「行くのか」
律が言った。
「行く」
「理由は」
「仕方ないだろ。逃げてもどうにもならない」
「……選らしい」
「褒めてない?」
「褒めてない」
「今のは絶対褒めた」
「褒めてない。——遅い」
「最後まで遅いか」
「最後じゃない。帰ってくるから」
「…………」
「帰ってこなかったら遅い」
「……お前なあ」
全員が立ち上がった。それぞれの帰り道に。
黒瀬が肩を叩いた。
「帰ってきたらまた殴り合おうね」
「殴り合いたくはないが——帰ってくる」
神崎が微笑んだ。
「判断官として、帰還を確認するまで判定は保留です。——あまり長引かせないでくださいね」
「善処する」
「善処じゃなくて確約してください」
「……確約する」
「よろしい」
律が去っていく。振り返らない。いつも通り。
「……律」
「何だ」
「ありがとな」
「…………」
「来てくれて」
「……遅い」
それだけ言って、消えた。
自宅。自分の部屋。
ミラがまだいる。九分はとっくに過ぎている。
「……九分過ぎてる」
「……今日だけ。今日だけ、もう少し」
「…………」
「明日、行くから。——今日は、もう少しだけ」
断れなかった。断る理由がなかった。
ベッドの端にミラ。壁にもたれて俺。距離は——近い。肩が触れている。
「怖い?」
「怖い。——お前は?」
「……少しだけ」
「少しだけシリーズ」
「…………」
「怖くてもいい。一緒に行くから」
「……うん」
月明かりが部屋に差し込んでいる。今夜の月は満月に近い。明るい。
ミラの呼吸が聞こえる。規則正しい。穏やかな呼吸。
——眠くなってきた。戦闘の疲労。全出力を使った反動。体が重い。
目が閉じる。
「……ミラ」
「……何」
「帰ってこよう」
「……うん」
「約束」
「……約束」
目が閉じた。
——朝。
目が覚めた。
壁にもたれたまま寝ていた。首が痛い。体が強張っている。
隣に——ミラ。
俺の肩にもたれて、寝ている。髪が俺の首にかかっている。呼吸が穏やか。表情が——柔らかい。寝顔。初めて見るミラの寝顔。
朝日が差している。カーテンの隙間から。橙色の光がミラの頬を照らしている。
「…………」
起こせない。起こしたくない。
「……寝ちゃった」
ミラの声。起きていた。
「うん」
「……仕方ない」
「仕方ない」
ミラが目を開けた。寝起きの目。少し潤んでいる。
「……選の肩、固い」
「すまん」
「固いけど——温かかった」
「…………」
「また、いい?」
「…………帰ってきたら」
「……うん」
朝日の中で、ミラが微かに笑った。




