表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺の日常、干渉されすぎ。  作者: 江戸川竜也


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/41

第29話「朝霧一夜」

※更新時間を変更しました。

今後は毎日20:30更新になります。よろしくお願いします。

 日曜日。午後。

 一人で散歩していた。ミラは偵察。明日香は家族と外出。黒瀬は「走りに行く」と言って消えた。律は知らない。

 公園に来た。いつもの公園。月を見る公園。ベンチに座る。

 六月の午後。雲が多い。曇天。梅雨らしい空。

 ——ベンチの端に、人がいた。

 気づかなかった。座った時には既にいた。

 女性。二十代くらい。穏やかな顔。長い髪を一つに結んでいる。服装は地味。白いカーディガンにベージュのスカート。目立たない。人混みに紛れたら見つけられないような、そういう存在感の薄さ。

 ——存在感が薄い。

 不自然なほど薄い。

【周囲に生体反応を検知。——ただし、観測強度が通常の62%。不完全な存在反応です】

 不完全な存在反応。

「……すみません」

 その人が声をかけてきた。声も薄い。穏やかだが、どこか——遠い。

「あなた、観測者ですよね」

「…………」

「分かります。こちらが見える人は、そういう目をしてるから」

 こちらが見える。つまり——この人は、普通の人には見えにくい存在なのか。

「朝霧一夜です。——よろしく」

「岐堂選です」

「選さん。——少し、話してもいいですか」

「……はい」

 断る理由がなかった。この人に敵意はない。AXIOMも警告を出していない。ただ——穏やかで、薄くて、どこか諦めている。


「私は切り捨てられた側です」

 朝霧さんはベンチに座ったまま言った。空を見ている。曇り空を。

「正しい判断の結果として、消されかけた人間です」

「……消されかけた」

「一年前。私のいた地域で——因果のズレが起きました。世界の人数調整。被害を最小化するために、一番影響の少ない人間を消す。——私が、その対象でした」

「…………」

「消去が始まりました。周りの人間から記憶が消えていく。記録が欠損していく。写真から顔がぼやけていく。名前を呼ばれなくなる」

 朝霧さんの声は平坦だった。感情がないわけではない。感情を処理し終えた声。何度もこの話をして、何度も飲み込んで、消化し終えた声。

「途中で止まりました。完全に消える前に——何かのエラーで。私は消えかけたまま、ここにいます」

「消えかけたまま……」

「存在感が薄いでしょう? 人混みに入ると見失われます。名前を呼ばれても気づかれないことがあります。写真に写りにくい。——消えかけの状態で、固定されています」

 それが「観測強度62%」の意味か。完全な存在ではない。かといって完全に消えたわけでもない。中途半端な状態で世界に存在している。

「……恨んでないんですか」

「恨んでいません」

「なんで」

「正しかったから」

「…………」

「私が消えることで、地域全体の因果のズレが修復される予定でした。百人の生活を守るために、一人を消す。——計算としては正しい」

「計算としては、って——」

「計算としても、判断としても、正しかった。私もそう思います」

 朝霧さんが俺を見た。穏やかな目。透明な目。——諦めた目ではない。納得した目だ。

「正しかったから、恨めないんです。間違いなら怒れる。理不尽なら叫べる。でも——正しかったから。怒る先がない」

「…………」

「選さんは、どう思いますか」

「どう思うかって——」

「正しい判断で、一人の人間が消されかけた。それについて」

 答えなければいけない。この人は答えを求めている。——いや、求めていない。ただ聞いている。どう思うか、を。

「……正しいとしても、嫌だと思います」

「嫌?」

「正しいかどうかは分かる。百人を守るために一人を犠牲にするのが合理的なのは分かる。でも——嫌だ。正しくても嫌なものは嫌だ」

「…………」

「朝霧さんが消されかけたのは正しかったかもしれない。でも俺は、正しくても——人が消えるのは嫌だ」

 声が出た。思ったよりも強い声だった。

 朝霧さんが少し黙った。

「……子供ですね」

「子供でいい」

「感情論ですよ」

「感情論でいい。正しさだけで世界が回るなら——朝霧さんが消えかけるようなことは起きちゃいけなかった。正しさが人を消すなら、その正しさは——」

 言葉が詰まった。正しさが間違っている、とは言えない。正しさは正しい。間違いではない。でも——嫌だ。

「……俺は、正しくても嫌なものは嫌です。それだけです」

 朝霧さんが微笑んだ。

 穏やかな笑顔。——少しだけ、泣きそうな笑顔。

「……素敵ですよ、それは」

「え」

「正しさに納得しないこと。正しくても嫌だと言えること。——それは素敵なことだと思います」

「…………」

「私にはできなかった。正しいと思ってしまったから。納得してしまったから。——でも、納得しない人がいてくれるのは」

 朝霧さんが空を見上げた。曇り空。雲の隙間から、微かに光が差している。

「救われます」

「…………」

「ありがとうございます。——話を聞いてくれて」

 朝霧さんが立ち上がった。

「もう行きますね」

「朝霧さん」

「はい」

「また会えますか」

「……分かりません。消えかけの人間ですから。明日いるかどうかも」

「でも——」

「でも、今日はここにいました。それだけで十分です」

 朝霧さんが歩いていった。公園の出口に向かって。

 ——途中で、輪郭がぼやけた。

 存在感が薄くなる。公園を歩く人たちの中に紛れていく。溶けていく。見えなくなる。

 消えたのではない。見えなくなっただけ。まだいる。まだ存在している。——62%の存在として。

 AXIOMが何も言わなかった。

 心拍数の報告もない。記録の通知もない。沈黙。

 空気を読んでいる。——初めてではない。でも、今日の沈黙は、いつもより深かった。


 夕方。帰り道。

 ミラが偵察から戻っていた。マンションの前で待っていた。

「おかえり」

「ただいま」

「……顔が暗い」

「暗い?」

「暗い。何かあった」

 歩きながら話した。朝霧さんのこと。消えかけの存在のこと。正しい判断の犠牲者のこと。

 ミラは黙って聞いていた。

「正しさって、何だろう」

「……分からない」

「分からないのに、戦ってるんだな。俺たち」

「……うん」

「正しいことが人を消す。正しいことが人を傷つける。それでも正しいのか」

「…………」

「答えは出ない。たぶん、出ない。——でも、嫌だと思う気持ちだけは、捨てたくない」

 ミラが俺の手を取った。

 冷たい手。いつもの冷たさ。でも——今日は、その冷たさが必要だった。

 手を握り返した。

「……ミラ」

「何」

「ありがと」

「何も、してない」

「いてくれるだけで」

「…………」

 手を繋いだまま歩いた。住宅街の帰り道。街灯が点き始めている。

 空を見上げた。曇り空。月は——見えない。

 見えなくても、そこにある。

 朝霧さんのように。見えなくても、存在している。

「……今日の月は」

「見えない」

「見えなくても——あるんだよな」

「……ある」

「……じゃあ、今日は0点?」

「0点じゃない。——選がいるから、20点」

「低いな」

「曇りだから。——でも、0じゃない」

「……そうか」

 0じゃない。

 それだけで、今は十分だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ