第23話「天然は最強の武器」
木曜日。朝。
教室に入った瞬間、空気が違った。
ざわついている。いつものざわつきではない。期待と興奮が混じったざわつき。転入生の時の空気だ。ミラの時も黒瀬の時もこうだった。
——また来るのか。
「はい、注目」
担任が入ってきた。後ろに——いた。
昨日の少年。真壁律。端正。無表情。姿勢が良い。
うちの制服を着ている。
「転入生を紹介します。——真壁くん、どうぞ」
「真壁律です。よろしく」
短い。最短の自己紹介。教室が一瞬沈黙した。——それから、女子のざわめきが爆発した。
「かっこいい……」「クールだね」「モデルみたい」「無口系?」
男子の視線が冷たい。また転入生か。しかもイケメン。これで転入イケメン枠が三人目だ。ミラ、黒瀬、律。全員顔が良い。何かの呪いか。
律の席は——俺の隣だった。
明日香の反対側。左に明日香。右に律。
「……お前かよ」
「遅い。昨日の時点で予測できたはずだ」
「予測できるか! なんでうちの学校に——」
「任務の都合。詳細は省く」
「省くなよ」
「省く」
律が席に着いた。背筋が真っ直ぐ。教科書を出す。ノートを出す。全ての動作に無駄がない。消しゴムの位置まで計算されている気がする。
一限目が終わった。
明日香が律に話しかけた。
「真壁くん、この学校は初めて? 案内しようか?」
明日香は誰にでも優しい。ミラにも黒瀬にも、初日に声をかけていた。
「不要だ。校舎の構造は把握済み」
「え、もう? すごいね」
「すごくない。事前調査は基本だ」
明日香がきょとんとした。律の返答が素っ気なさすぎて、傷ついたのではなく、むしろ新鮮そうだ。
間。
律が少し黙った。黙った後、口を開いた。
「……だが、案内があれば効率は上がる。頼む」
「うん! じゃあ放課後に」
明日香が嬉しそうに笑った。
——待て。今、何が起きた。
律は「不要だ」と断った。断った後に「効率が上がる」と言い直した。つまり、明日香の好意を受け入れたのだ。自分から。
天然だ。
天然でフラグを立てやがった。「断ってから受け入れる」は最強の流れだ。ツンデレの亜種。無自覚ツンデレ。
ミラが後ろから紙を投げてきた。メモ。
開く。
『選。あの子、律と仲良くしてる』
あの子=明日香。仲良くしてる=話しかけただけ。ミラの警戒センサーは過敏すぎる。
裏に書く。
『嫉妬する方向がおかしい』
返事。
『嫉妬してない。報告』
報告って何だよ。
昼休み。
屋上。いつものメンバー。選、ミラ、明日香、黒瀬。——に、律が加わった。五人。
律は弁当を持っていなかった。コンビニのおにぎり二つ。黒瀬と似たような食事だ。
「真壁くん、おにぎりだけ? 私の弁当、少し分ける?」
明日香が卵焼きを差し出した。
「不要——」
「食べなよ。栄養は大事だって」
「…………」
律が卵焼きを受け取った。箸で。食べた。
「……美味い」
「ほんと? 母が作ったの」
「美味い。効率的な栄養摂取だ」
「効率的って……褒めてる?」
「褒めてない。事実だ」
「ふふ、ありがとう」
明日香が笑った。律が褒めていないと言っているのに「ありがとう」と返す。明日香のコミュニケーション能力は規格外だ。律の鉄壁を軽々と越えていく。
選は複雑な気持ちでそれを見ていた。
黒瀬が立ち上がった。
「ねー、真壁くんだっけ。殴り合おうよ」
「断る」
「即答!」
「殴り合いは非効率だ」
「えー、つまんない」
黒瀬が律の前に立った。にこにこ笑っている。距離感ゼロ。律の顔の前に顔を寄せる。
「殴り合い、楽しいよ?」
「楽しさは効率に寄与しない」
「固いなー。じゃあさ、殴り合いじゃなくて——訓練ならいい?」
「……訓練なら付き合う」
「やった!」
黒瀬がガッツポーズした。
——俺の時は「訓練なら付き合う」なんて選択肢なかったぞ。いきなり殴られたぞ。
「俺の時は断ってくれなかったのに……」
「あなたの場合は訓練じゃなくて実戦だったから」
ミラがフォローなのかフォローじゃないのか分からない補足をした。
黒瀬と律が屋上の端で軽く構え合っている。黒瀬が殴る。律が避ける。最小限の動き。黒瀬のパンチが空を切る。律が半歩動く。黒瀬がもう一発。また空を切る。
「お、やるじゃん! 全然当たんない!」
「当たる方がおかしい」
「もっと本気出していい?」
「好きにしろ」
黒瀬の質量補正パンチ。重い一撃。律が最小限の動きで避ける。拳が律の頬の横を通過した。風圧で律の髪が揺れた。
「……速い」
「でしょ!」
「速いが、雑だ」
「雑って言われた! あはは!」
黒瀬が楽しそうに笑っている。律は無表情だが——微かに、ほんの微かに、口角が動いた気がした。
「……面白い」と律が言った。
「面白い!? 真壁くん笑った!?」
「笑ってない」
「今絶対——」
「笑ってない」
笑ってた。俺も見た。ミラも見た。明日香も見た。全員が見た。律は認めないだろうが。
放課後。
明日香が律に校舎案内をしている。廊下を歩いている二人を窓から見た。明日香が何かを説明している。律が頷いている。
——普通の光景だ。普通の、転入生への案内。
「選」
ミラが横にいた。
「何」
「……何も」
「何もって——何か言いたいことあるだろ」
「……律。明日香さんと仲良くなるのが速い」
「あいつは天然だからな。無自覚に距離を詰める」
「黒瀬さんとも。——転入初日で」
「ミラもそうだったろ。初日から距離感おかしかったし」
「……私は違う」
「何が」
「私は意図的」
「意図的に距離感ゼロにしてたのかよ」
「……うん」
「開き直るな」
廊下を歩いていく明日香と律を見ている。明日香が何かを言って、律が短く答える。明日香が笑う。律は笑わない——が、歩く速度を明日香に合わせている。明日香の歩幅に合わせて、少し遅く歩いている。
合わせている。あいつ、無意識に人に合わせるのだ。
「……優しいよな、あいつ」
「律が?」
「うん」
「……そう。——優しい。たぶん」
ミラの二回目の「たぶん」。律に対する評価が定まっていない。敵なのか味方なのか。優しいのか冷たいのか。
——俺も、まだ分からない。
律が振り返った。窓越しに俺と目が合った。
一瞬。
律が口を動かした。声は聞こえない。でも、読めた。
「遅い」
——結局それかよ。
【律個体の評価を更新します。脅威度:高。友好度:不明。天然度:極めて高】
「天然度って項目あるのかよ」
【新設しました】
「新設すんな」
夕方。校門の前。
律が立っていた。帰り道が分からないのだ。事前調査に「誤差」があったらしい。
「……一緒に帰るか」
「……頼んでない」
「頼んでないけど帰り道同じ方向だし」
二人で歩いた。律は一歩後ろを歩く。並ぼうとしない。
「お前の判断はまだ遅い」
「知ってる」
「だが——」
律が言いかけた。止まった。
「……何」
「いや。遅い」
「結局それかよ」
律の「だが」の後に何が来るはずだったのか。聞かなかった。聞いても答えないだろう。
住宅街の分かれ道で別れた。
「じゃあな」
「……ああ」
「また明日」
「…………」
律が少し黙った。
「……また明日」
小さい声だった。聞こえるか聞こえないかの声。「また明日」を言い慣れていない声。
——友達いないって言ってたもんな。
背中を向けて歩いた。振り返らなかった。
振り返ったら、律がまだ立っていそうな気がしたから。




