第15話「両手運用とご褒美」
日曜日。河川敷。
空は曇り。気温は過ごしやすい。風が適度にある。草が揺れている。遠くで少年野球チームが練習している。平和な休日。
——の、はずだった。
「両手運用を覚えて」
ミラが言った。
河川敷の、少年野球グラウンドから離れた草原。人気がない。川面が曇り空を映してぼんやりと光っている。
「両手?」
「今は片手しか使えてない。右手だけ」
言われて右手を見る。黒いグローブ。こいつを嵌めてから二週間と少し。ドローンを何十機叩き壊した。全部右手だ。左手は添え物みたいに垂れていただけ。
「AXIOMは両手に対応してる。右手が攻撃、左手が防御——同時に使えれば、戦闘効率は倍以上になる」
「倍って——片手で何とかなってたけど」
「何とかなってただけ。最適じゃない」
最適。ミラもAXIOMも「効率」と「最適」が好きだ。合理性の権化が二つ。
「どうやんの」
「教える。——近くに来て」
「近くって、もう近いけど——」
ミラが回り込んできた。後ろに立つ。
——背中にミラの体が密着した。
「……ミラさん?」
「こう」
ミラの手が選の両腕を取った。後ろから。手首を掴む。冷たい手。
背中にミラの胸が——当たっている。控えめだが確実に当たっている。
「力を抜いて」
「力を抜けって言われても……密着してるから……」
「何か問題?」
「ある。すごくある」
「教えるにはこの体勢が効率的。体の動かし方を直接伝えられる」
「効率の問題じゃない!」
「じゃあ何の問題?」
「……色々ある! 物理的に! 精神的に!」
「物理的には最適。精神的な問題は——」
ミラの息が首筋にかかった。
「——慣れて」
慣れるか。こんな状況に。背中に女の子が張り付いた状態で腕を振り回す訓練なんて、どこの格闘技にも存在しない。
【心拍数:危険域。冷静さの回復を推奨します】
「お前に言われたくない」
【私は常に冷静です】
「お前は機械だからな!」
ミラが右手首を持ち上げた。
「まず右。いつも通り。——打つ」
グローブから光が走った。エネルギーが放出される。河原の石が二つ砕ける。
「次。左」
左手首を持ち上げられる。
「左は防御に使う。エネルギーを面で展開する。——こう」
ミラの指が選の手の甲を押した。左手の前方に青白い膜が一瞬展開される。シールドだ。
「……出た」
「出た。次、同時にやる」
「同時?」
「右で打って、左で守る。同時に」
「脳みそ一つしかないんだけど」
「AXIOMが補助する。あなたは意識を二つに分けるだけ」
「『だけ』のハードルが高い」
ミラの手が両手首を同時に動かした。右が前に突き出される。左が斜めに構えられる。連動する。ミラの動きに従って、体が型を覚えていく。
——近い。
近いが、動き始めると不思議と意識が変わる。ミラの体温が伝わってくる。呼吸のリズムが伝わってくる。ミラがどう動くか、背中の圧で分かる。
言葉じゃない。体で伝えている。
「右——打つ」
右手からエネルギー。
「同時に左——守る」
左手にシールド。
両方同時に出た。一瞬だけ。すぐにバランスが崩れて、シールドが消えた。
「……っ、難しい」
「もう一回」
「もう一回……」
繰り返す。ミラの手が導く。右。左。右。左。同時。
五回目。シールドが安定した。
十回目。右手の攻撃とシールドを同時に三秒維持できた。
十五回目——
「できた……」
右手のエネルギーが石を砕き、同時に左手のシールドが飛んできた破片を弾いた。攻防一体。
「できた。すごい」
ミラの声が後ろから。近い。耳元。
「褒めた?」
「褒めてない」
「今絶対褒めた。『すごい』って言った」
「事実を述べただけ。褒めてない」
「ミラ語の『事実を述べた』は褒めたと同義だろ」
「……違う」
違わない。声が少しだけ柔らかかった。絶対褒めてた。
【使用者の両手運用:習得段階。安定度43%。実戦レベルにはさらなる——】
「水差すな」
【事実です】
「事実のタイミングが悪い」
休憩。
河川敷のベンチに並んで座る。ミラが水筒を出した。二人で飲む。もう間接キスとか気にしている段階じゃない。二週間の共同生活で免疫ができた。——いや、慣れただけで免疫ができたわけじゃない。意識はしている。意識しているが、口に出さなくなっただけだ。
「次は動きながらやる」
「もう?」
「座ってできるようになったら、動きながら」
「段階的なのは分かるけど、休憩短くない?」
「戦闘に休憩はない」
「正論だけど!」
立ち上がる。今度はミラが向かい合って立つ。
「走りながら右を撃つ。避けながら左で守る。——私が攻撃するから」
「え、ミラが?」
ミラが銃を構えた。出力を落としているのだろうが、銃口が向いていることに変わりはない。
「当たっても痛くない。——たぶん」
「たぶん!?」
「走って」
走った。
背後から光弾が飛んでくる。左手でシールドを展開。弾く。走りながら右手を振る。エネルギーが木に当たって枝が折れた。
「足が止まってる」
ミラが容赦なく撃つ。二発。三発。左で弾きながら走る。右で撃つ。走る。撃つ。守る。走る。
——楽しくなりかけている。自分が怖い。
【敵機接近。6機。距離400m】
「え」
【ドローン6機。推定到達時間:30秒】
「嘘だろ。今練習中なんだけど」
【敵に練習の概念はありません】
「知ってる!!」
ミラが振り向いた。空を見る。黒い点が六つ。
「……来た。——実戦テスト」
「テストって——さっき習得段階って言われたばっかりだぞ!」
「やるしかない」
ミラが走ってきた。
——後ろに回る。
また密着。背中にミラの体。手が手首を掴む。
「離れて——」
「このまま。二人で動く」
「さっきの訓練と同じ体勢で実戦すんの!?」
「効率的」
「それしか言わないな!!」
ドローンが降下してくる。空気が変わる。認識フィールドが展開される。河川敷の少年野球が遠くなる。日常が消えて、戦場に切り替わる。
六機。円陣。
一機目が光線を撃った。
ミラの手が左手首を動かす。シールド。光線を弾く。同時に右手が突き出される。エネルギー射出。一機撃墜。
「当たった——!」
「止まらない。次」
二機目と三機目が同時に来る。左右から。
ミラの体が選の体を回す。踊るように。背中に密着したまま、二人で半回転する。左手のシールドが二機目の光線を弾き、右手が三機目を撃ち落とす。
「三機同時——いや、二機か!」
「二機。でも十分」
四機目が上から急降下してくる。ミラが選の右腕を持ち上げる。掌が空を向く。
「撃って」
「任せろ」
任せろ、と口から出た。自分で驚いた。
右手からエネルギーが放出される。上空の一機を直撃。火花。墜落。
五機目と六機目が正面から突っ込んでくる。
ミラが両手を同時に動かした。右と左。攻撃と防御。選の体がミラの意志に従って動く。AXIOMの補助が入る。三つの意志が一つの体に重なる。
左手——シールド展開。五機目の光線を弾く。
右手——エネルギー射出。六機目を撃墜。
シールドを弾かれた五機目がバランスを崩す。追撃。右手。撃墜。
全機撃墜。
静寂。
世界が修復される。河川敷が日常に戻る。少年野球の声が聞こえる。
「……倒した」
「倒した」
「密着したまま」
「密着したまま」
「…………」
ミラがようやく離れた。
名残惜しそうに——と思ったのは気のせいではない。ミラの手が手首から滑り落ちる速度が、明らかに遅かった。指先が最後まで触れていた。
振り返る。ミラの顔。無表情。いつもと同じ。
でも、耳が赤い。
「……ミラ」
「何」
「耳、赤い」
「……戦闘の負荷」
「嘘つけ。お前戦闘で耳赤くならないだろ」
「……風のせい」
「風も吹いてない」
「…………」
ミラが耳を手で押さえた。隠すように。
ベンチに戻る。並んで座る。水筒を飲む。呼吸を整える。
全身が痛い。両手運用は片手の倍以上消耗する。筋肉がつりそうだ。肩が張っている。腰が重い。
「疲れた」
「俺の方が——」
「ご褒美」
「え?」
「頑張ったから、ご褒美」
「ご褒美って何」
「肩、貸して」
ミラが選の肩に頭を乗せた。
許可を取る前に。いつも通り。この人に同意という概念はない。
黒い髪が肩に広がる。重さ。体温。——冷たいはずのミラの体から、不思議と暖かさが伝わってくる。戦闘の余熱か。
「……疲れた」
「うん」
「選も疲れた?」
「疲れた」
「……ごめん」
「謝んなよ。付き合ったのは俺だ」
「付き合ってくれた。——だからご褒美」
「俺へのご褒美じゃなくてお前へのご褒美じゃないか?」
「……両方」
目を閉じている。肩に頭を預けたまま。呼吸が穏やかになっていく。
「……いい匂い」
「風呂上がりだからな」
「ちゃんと入って」
「入ってるよ毎日」
「昨日は入ってなかった」
「バレてんのかよ」
「匂いで分かる」
「……鼻がいいのも考えものだな」
「……選の匂いは好き」
「…………」
河川敷。曇り空。風が吹いている。遠くで少年野球のコーチが怒鳴っている。日曜日の午後。
肩に、ミラの頭がある。
重い。でも、嫌じゃない。
【記録しました】
「記録すんな!!」
【ご褒美の継続を推奨します。使用者の心拍数が安定傾向です】
「推奨すんな。——でも」
【でも?】
「……もう少しだけ」
【記録しました】
「だから記録すんなって……」
ミラが肩の上で小さく笑った。
——笑った?
確認しようとして、やめた。確認しなくていい。笑ったことにしておく。
日曜日の午後。河川敷。肩の上のご褒美。




