セクハラですが、何か
迷惑な日常と、ある男の執着(全編)
20XX年4月某日:迷惑な日常の始まり
私の名前は高橋佐知子、23歳。短大を卒業して入社3年目になる。今年の春から本社勤務になった。
入社面接のことは今思い出しても腹が立つ。社長を始め、人事部の人間が皆、ニヤニヤとにこやかだったのだ。特に社長は、なぜか私を見て心底嬉しそうな顔をしていた。それが何だ、女だからか?「笑うな、ボケ」と言いたかった。人事部長に至っては、明らかに笑いをこらえている。そんな屈辱的な思いをしても、他はすべて落ちたので、この会社に入社することにした。内定のサインを済ませた日、社長は私にVサインを送ってきた。「なめんなくそジジイ」と叫びたかったが、入社のため、私はなんとか堪えた。
そして今、私は部長によるセクハラまがいの迷惑行為に晒されている。
毎日、「佐知子くん、ちょっといいかな」と、仕事とは無関係な話で呼び出される。「週末何してた?」「彼氏とはうまくいってるの?」──ああ、どうしてあなたに私のプライベートを話さなきゃいけないの?
退勤時には必ず待ち伏せされ、「同じ方向」でもないのに私と並んで歩き、「何かあったら相談しろよ」と言いながら、私の背中を叩いてくる。パン、パン。触らないで。**私を元気づける必要はない。**あなたの手の感触が、まとわりついて離れない。気持ち悪い。そして、仕事帰りの飲み会や食事会へのしつこい誘い。部長は、本当に私のことを部下だと思っているのだろうか。それとも…ストーカー?
ランチの時、同僚に愚痴を言ったが、「いいんじゃないの、あんたがかわいいんだから。好きにさせてやりなよ」とまともに聞いてはくれない。思いを寄せていた男子営業社員に相談してみたが、「高橋、お前も罪な女だな」と笑われた。誰も私の味方になってくれない。元気づけてくれる言葉もない。
今日も部長は私と一緒に帰ろうとする。そして、さりげなく母の事を聞いてきた。「お母さんはお元気で?」と。何だ、このおっさんは。私はいつも、逃げるように会社を後にした。
先日、打ち上げの後の二次会に、部長に強引に誘われた。私は「用事があります!」と叫んで、その場から逃げた。
このセクハラまがいの行為、誰も理解してくれないのは何故なんだ。人事部に相談しようと向かっても、彼らは私を見ると、皆笑いをこらえている。自分でも、そこそこ可愛い女子だとは自覚している。だが、誘ってくるのは部長だけ。社長はなぜか私を見ると「さっちゃん」とちゃん付けにする。この会社全体がどうかしている。
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予期せぬ再会と衝撃の告白
自宅に帰り、母に相談した。母は「あなたらしいわね」と心配はしたものの、笑っている。
母との二人暮らしはもう13年になる。父はいない。離婚してそれっきり会っていないし、会おうとも思っていない。何故か父の記憶がないのだ。母は離婚したとき、すべての写真を処分したと言っていた。
そして、運命の週末。
母と会社の近くの喫茶店で待ち合わせた。母は「会わせたい人がいる」と言っていた。まさかお見合いなのか?
しばらくすると、中年の男性が、私たちの席へ。
何! 部長!
私の大嫌いな部長だ。こんなところで何をふざけているんだ。
しかし、母の口から出た一言に、私の全身は氷付いた。
「久しぶりね、ユーちゃん」
「千恵ちゃん、久しぶり」と部長、いや、その男性は席に着く。
母は私の目を見て、静かに説明した。
「私の元旦那。あなたのパパよ」
「………は?」
私はびっくり仰天する。
「ユーちゃん、ずいぶん痩せたわね。別人みたいね」
「いやー、苦労してるからさ。一人暮らしで」
パパ…は、照れくさそうだ。
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蘇る記憶と家族の秘密
母は、私の動揺をよそに、淡々と真実を語り始めた。
「佐知子。あなたが10歳のとき、私たち夫婦は離婚の話になってね。あなたはそれがショックで家を飛び出したのよ」
「自転車で坂道を勢い付けていたから、曲がり切れず電柱に激突。頭を強く打ってね。意識がなくなって、大変だったのよ。意識が戻ったのは3日後」
病院で、私は断片的記憶を失っていたという。私は目の前の部長の顔を凝視した。
「そうよ。お父さんの記憶が、ぽっかり無くなっていたの。『この人誰?』って真面目に言うもんだから、私たちも驚いたわ」
母は静かに、離婚の原因を話し始めた。それは大きな誤解だったのだ。
「あのね、パパはあなたの誕生日に何をプレゼントしたらいいか、ずっと悩んでたの。あなたの好きなものを知ろうと、若い女子社員にヒヤリングしたり、わざわざキャバクラにまで行って若い子の流行りを聞いていたらしいのよ」
私は唖然とした。そんな理由で?
「でも、私はそんなこと知らなくて。彼の服に香水の香りがついていることに腹を立ててしまって。なんでそんなところへ行くのって責めて…だんだんと亀裂が入っていって、私はデザイナーの仕事で自立できるようになったし、このままじゃいけないと思って離婚の話をしたのよ。それで、あなたは私が育てることに…その話をドア越しに聞いていた佐知子は、ショックで家を飛び出してしまった」
母は私に顔を向けた。
「あなたのお父さん(部長)は、しょっちゅう電話かけてきて、**『佐知子はどうしてる』とか、『今何してる』**とか、うるさかったわよ」
パパ(河合真一)は、照れくさそうな顔をしながら、元妻(母)にごめんという仕草をした。
「それに、誕生日にはバースデーカードとプレゼント送られてきたでしょう。あなたは『知らない人からだから』という理由で、中身を見ないで段ボールに入れっぱなしじゃないの。クリスマスにも送られてるでしょ。私には何もないけどね」
そうだったのか。毎年、誰からか分からない贈り物が届いていた。その度に、母は「知らない人からよ」とだけ言っていた。私は父がまったく思い浮かばないでいたから、封を開けずに押し入れにしまったままだ。
社長が私を見て嬉しそうだった理由。Vサイン。ちゃん付け。「笑いをこらえた人事部」。すべてが繋がった。この会社は、家族経営の会社だったのだ。そして、私は実の父に、失われた記憶のためにセクハラだと怒りを覚えていた。
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記憶の回復と父の愛情
自宅に帰り、私はすぐに押し入れへ向かった。
奥から、埃を被った大小様々な段ボール箱を取り出す。中には、10歳から毎年贈られた、日付の新しいものから古いものまで、誕生日とクリスマスのプレゼントとカードのメッセージが詰まっていた。
私は、その一つ一つを開いた。
箱を開けると、中には、その年齢の女の子が喜ぶであろう、少し時代遅れになったおもちゃやアクセサリー、文房具、そして化粧品までが入っていた。
そして、添えられたカードを読む。
『さっちゃん、11歳の誕生日おめでとう。新しい学校生活、楽しんでいるかな。パパより』
『佐知子、15歳のクリスマス。受験勉強、頑張れ。疲れたらパパのことを少しだけ思い出してね。お守り代わりに。パパより』
『佐知子へ。短大卒業おめでとう。20歳だね。これからの人生、幸せになるんだよ。いつか、パパに会ってくれるかな。パパより』
私は、一つ一つ開いて読んでいく。手書きの文字、選び抜かれたプレゼント。そこにあったのは、途切れることのない、父の深い愛情だった。
涙が止まらない。
その瞬間、今まで全く思い出すことができなかった過去が、鮮やかな映像となって次々とリアルに思い出していった。自転車、坂道、そして、後ろから「佐知子!」と叫ぶ父の声。
何かのきっかけで、私の記憶は完全に戻っていった。
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エピローグ
それから一ヶ月後。
ランチタイム。私は部長と、いや、パパと、手を繋いで会社を出る。親子の絆は、13年ぶりに取り戻せた。
会社の窓から、中途入社の女子社員が、恨めしそうに私たちを見ていた。
「なにあの二人…」と女子社員が愚痴る。
横で見ていた古株の同僚は、にやりと笑って答える。
「羨ましいでしょ、あの親子。昔からああなのよ」
家族経営の会社で、無事に娘を取り戻した部長。
そして、不器用すぎる父の愛情表現をセクハラだと勘違いしていた私。
佐知子、がんばれ。
私の迷惑な日常は、最高の親子の日常に変わったのだ。
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追記:3年前の面接室
佐知子が部屋を出て、面接室の扉が閉まる。
社長が、感動したように両手を叩いた。
「さっちゃん、ずいぶん大きくなったね!大人だね、かわいいね!」
部長(佐知子の父)は、何も言わず目を閉じる。瞼の裏には、遊園地の綿菓子を頬張る幼き頃の佐知子の姿が鮮明に浮かんでいた。
人事部長が、感動を隠すように咳払いをして、言った。
「ユーイチさん…いや、部長。採用でいいですよね」
担当課長が、当たり前だろとばかりに続けた。
「当たり前ですよね。とりあえず本社ですか?」
部長が、静かに目を開いた。その瞳には、13年分の後悔と喜びが混ざり合っていた。
「…支店に行ってもらいます。少し慣れてから、本社に戻せばいい。思い出してくれたらいいけど…まだ記憶が戻らないんだ」
社長と人事部長が、顔を見合わせる。
「社内的にはどうします?」と社長。
人事部長が、すぐに答えた。
「みんなには事情を話し、協力してもらいましょう。さっちゃんが不快に思わないよう、遠くから見守る体制で」
部長は満足そうに頷いた。
「じゃあ、そういうことで」
面接会議室は、なごやかなムードに包まれた。親子の再会は、このとき、すでに始まっていた。不器用で、一方的な愛情の形として。
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