第6話 天才令嬢
ガルメル家の中庭は、さながら庭園と言うに相応しい広さと可憐さを備えていた。
様々な色の薔薇が綺麗に取り揃えてあり、隅々まで手入れがされていることは容易に想像がついた。
薔薇に歓迎されながら先へ進むと、少し開けた広場に出た。その中心ではパラソルが控えめに鎮座し、その下に丸いテーブルと椅子が拵えてあった。
その椅子のうちの一席は埋まっており、黒髪の少女がちょこんと座っていた。
少女はレイドリアに気づくと、澱みのない動作で立ち上がり、淑やかに一礼した。
レイドリアはそれに歩きながら応えると、それまで付き従っていたメイドは『失礼します』と言って屋敷に戻って行った。
どうやら、本当に二人きりにさせるらしい。
「エレア・ガルメルです。よろしくお願いします」
エレアは噂通り——否、それ以上の美しさだった。艶やかな黒髪に白い肌。若干釣り上がった目尻は、綺麗な印象をさらに強めている。
「レイドリア・ヴィアーヌです。こちらこそ、どうぞよろしく」
ただ、それで動揺するようなレイドリアではなかった。
「お座りになってください……紅茶でよろしいですか?」
「あぁ、はい」
返事を聞くと同時に、エレアはティーポットに手を伸ばし、レイドリアの分と自分の分のカップに紅茶を注いだ。
「やっぱり、気が乗りませんか」
レイドリアは早速、核心を突くことにした。
どうせ誰も聞いていないのだ。取り繕った会話をすることに意味はないとレイドリアは判断した。こういうところは、父に似たのかもしれなかった。
「……と、いいますと?」
エレアは一旦はぐらかした。唐突な問いかけに面食らったのかもしれない。
「この婚約のことです」
「……レイドリア様は、この婚約になにか異議があるのですか?」
こう言われては、レイドリアは弱かった。答えによっては、自分の父やガルメル公爵の批判になりかねない。二人きりとはいえ、下手なことを言う勇気はなかった。
それに、そもそもこの婚約は規定事項なのだから、今更ゴチャゴチャ言っても、気休めにすらならない。
それをレイドリアは改めて自覚し、この話題を止めようとした。
だが、この話題を続けたのは意外なことにエレアだった。
「私は別に、この婚約に文句はありませんよ。私に匹敵するだけの実力、近い年ごろ。諸々考えれば、私にとってレイドリア様は理想の婚約者であると言えます」
『理想の婚約者』などと言うには低いトーンだったが、この婚約に文句がないのは本当のようだった。
「そっか……なら、よかった」
正直言って、エレアを見た瞬間から、レイドリアはこの婚約を満更でもないと思っていた。
容姿、実力、家柄。どれをとっても、エレアは非の打ち所がない。
このような話題を出したのは、単に父への反抗心に他ならなかった。
「ですが……!」
当然、エレアの言葉に力がこもった。
「ですが、やはり納得できません!」
「どういうこと……?」
「ヴィアーヌ家の領地運営法についてです! 自らを犠牲にするなんて、間違っています!」
なるほど、全てガルメル公爵から聞かされているのか、とだけレイドリアは思った。差し迫った危機からは目を逸らして。
「そうは言うけど、これがヴィアーヌ家のやり方なんだ。納得してもらうしかないよ」
諭すように言ったが、エレアの興奮がおさまる気配はなかった。
「レイドリア様はそれでいいのですか!? 自分の実力が正当に評価されなくて、良いのですか!?」
なぜこんなに怒っているのだろうと思っていたレイドリアだったが、ここでようやく自分なりの答えに辿り着いた。
(なるほど。彼女は将来、ヴィアーヌ家の者となる……だから自分が侮られることを憂慮しているのか)
「その辺りは安心してほしい。エレアさんは実力を存分に発揮してほしいと思ってる。無能な貴族に嫁いだ可哀想な——しかし有能な貴族。という筋書きでいこうと思ってるから、エレアさんが侮られることはないよ」
(あぁ、『希望』はエレアでもいいかもしれないな)
などと呑気なことを考えているレイドリアだったが、やはりと言うべきか、エレアの怒りに似た感情は先ほどよりも肥大していた。
「そういうことを言っているのではありませんっ! あなたが、あなたの実力を、正しく表札されないのがおかしいと、そう申しているのです!」
どうやらエレアは、自分のことではなく、レイドリアのことに憤っているらしかった。
優しい人だな、とレイドリアは思ったが、自分の考えを曲げることは出来ない。
「悪徳貴族であり続けるのは、ヴィアーヌの使命だ。これは譲れない。これが領民を幸せにする最短の道なのだから、自分が犠牲になろうと、これを譲ることはできない」
「……そんな理不尽、許されません」
語気は弱まったが、意思は弱まっていなかった。
「許されるさ。当事者である僕が許しているんだから」
「方法はたくさんあるはずです。実際、ガルメル領はそんなことをせずとも安定しています」
「そうだね……ガルメル領ならば、それも可能だと思う。ガルメル殿のカリスマ性と、王家にも匹敵する力量を持つ領兵。これがあれば、一枚岩での運営も出来る。でも、ヴィアーヌ領はそうじゃない。父上にはそれほど飛び抜けた才能はないし、領兵もそれほどの数じゃない。冷戦状態とはいえ、帝国との戦線も抱えているんだ」
レイドリアの言葉を、エレアは俯きながら聞いた。
「悔しくはないの?」
エレアの目から、涙が一粒溢れた。
「ないね。もともと僕に、力を誇示してやろうなんて気概はさらさらない」
それでも、レイドリアは飄々と答えた。
「そう……立派ね」
「そうでもないさ」
「いえ、立派よ。私があなたの立場だったら、きっと耐えられない」
「……そんなのは、無駄な妄想さ。僕だって、君のように周囲から期待されていたら、その重圧に押し潰されていたかもしれない」
二人はほとんど同時にティーカップを手に取った。
紅茶はぬるくなっていたが、今までのどんな飲み物よりも、スムーズに身体を巡った、気がした。