第1話 悪徳貴族ヴィアーヌ
よろしくお願いします。
オルトセラ王国において、ヴィアーヌ伯爵は悪名高い悪徳貴族であった。
領民には重税を課しながら、自身は遊び三昧。政治は部下に任せきりで、その成果だけを奪う。部下が比較的有能なお陰でなんとか持ち堪えており、崩壊は時間の問題——
それが国内におけるヴィアーヌ伯爵、延いてはヴィアーヌ領に対する共通認識であった。
そんなヴィアーヌ伯爵——レジアミール・ヴィアーヌの元に嫡男として産まれ落ちた子はレイドリアと名付けられ、それと同時に跡取りとしての使命を背負った。
『ヴィアーヌは身内に甘く他人に厳しい』という誰かの言説の通り、伯爵はレイドリアを大いに甘やかした。
レイドリアが伯爵をコピーしたような『嫌な子』になるのは時間の問題だと思われた。
ヴィアーヌ領崩壊待ったなし、などと囁く者も出た。
だが、実際はそうはならなかった。
これは、ヴィアーヌの秘部。受け継がれる領地経営術によるものだったが、その詳細を知る者はほとんどいない。
これは、今後王国内で隆盛を極めるヴィアーヌ家の、そして後世に語り継がれるレイドリア・ヴィアーヌの、その始まりの物語である。
*
「お久しぶりです! 父上!」
元気よく挨拶をしたのは、先日8歳になったばかりのレイドリアだった。
愚者として名を馳せるヴィアーヌ伯爵とて、嫡男に家庭教師をつけないほど愚かではない。その甲斐あって、8歳のレイドリアは既に聡い子であった。
8歳にして、生き方を知っていた。誰に媚びるべきで、誰の頭を踏みつけるべきかを良く理解していた。
「あぁ。久しぶりだな。レイドリア」
ヴィアーヌは評判よりも落ち着いて見えた。
「それで父上。今日はどのようなご用件で?」
こんな昼間から父が教場を訪れるなど、滅多にあることではない。レイドリアは当然の疑問を投げた。
「なに。お前ももう8歳だ。そろそろ、教えておこうと思ってな」
「教える……ですか? 父上が自ら?」
このときレイドリアに浮かんだのは、教えることがあるのなら家庭教師に任せれば良いのではないか、ということだった。これもまた、当然の疑問と言えるだろう。
レイドリアは只事ではないと悟った。やはり、8歳にしては聡明だった。
「お前は今後、このヴィアーヌ領を引き継ぐ。それはわかっているな?」
「はい! もちろんです! 領民を幸福に導く、立派な貴族になれるよう、研鑽しております!」
この言葉を他の貴族や領民が聞けば、驚愕してしばらく固まったに違いない。レイドリアの言葉は、それだけ衝撃的なものに思えた。
だが、経緯を聞けばそれも当然である。
ヴィアーヌ伯爵やその夫人、つまりレイドリアの両親は、レイドリアの教育に一切関与していない。
レイドリアはまともな感性を持ったメイドと家庭教師によってここまで育てあげられたのだ。このような殊勝な発言が出るのも不思議ではない。本心は別にして、という注釈は必要だが。
実を言えば、それは現伯爵であるレジアミールも同じであった。8歳ごろまでは、まともな感性を持っていた。
つまり、ここからなのだ。
ヴィアーヌが代々悪徳貴族たる所以は、ここからの教育にあるのだ。
「レイドリア。その言葉は正しい。しかし、間違ってもいる」
伯爵の言葉はいつになく重々しかった。
レイドリアは父親の言うことの意味がわからず、首を捻った。
「全ての領民が一切の不満なく、安全で幸福な日々を送ること。これは確かに、究極の理想形であると言える」
伯爵のこの言葉を他の貴族や領民が聞けば、白目を剥いて卒倒したに違いないだろう。
ヴィアーヌといえば、領民のことなどどうでもいいと思っている悪徳貴族で、この国における最も愚かな統治者である。
それがどうだ。今のヴィアーヌは、まるで百戦錬磨の指揮官。言葉に確かな重みがあった。
「しかし、理想は理想でしかない。お前にこれから教えるのは現実の話だ。現実に、どのようにこの地を統治するのか。それが重要だ。理想を語ることよりも、な」
言っていることはレイドリアにも理解できた。
「理想を追い求めて行き着く場所は、理想とはかけ離れている。この領地経営ということに関しては特にな」
「な、なるほど」
迫力のある父に、気圧された面もあったかもしれない。レイドリアは素直に頷いた。
「有能な貴族は、必ずどこかで妥協をしている。それが真の理想に近づくと知っているからだ。楽園は存在しない。我々貴族にできるのは、自分の領地を楽園に近づけるということだけだ。しかしそれは、楽園に向かう途中で手にするものではなく、楽園を諦めて手にするものであるのだ」
レイドリアはここで初めて、この部屋に自分と父親しかいないという異常事態に気づいた。
父はいつも傍に専属執事を侍らせている。
それがいないということは、それだけの重要で、機密なことであるということだ。
「そして、我がヴィアーヌも当然、そのための犠牲を払っている」
「犠牲、ですか」
「あぁ。犠牲だ。なんだかわかるか?」
「どっ……」
言いかけて、レイドリアは口を噤んだ。自分が何を言おうとしているかを自覚したからだ。
レイドリアが言おうとしたことは、父への批判と受け取られかねないものだった。
「良い。言ってみよ」
しかし、ヴィアーヌは咎めず、発言を促した。
レイドリアは意を決して、言葉を続けることにした。
「ど、奴隷商でしょうか。『人権派』と呼ばれる団体が勢力を伸ばしている中、これだけ大々的に奴隷を使った交易をしている都市は他にはない……と聞きました」
レイドリアの語気は徐々に窄んでいったが、なんとか言い切った。
そんなレイドリアに、ヴィアーヌは『合格』とでも言うように笑みを作った。
「批判を浴びながらも金の為に奴隷商を続ける……それもひとつの正解だろうな。だが、満点ではない」
「と、言いますと……?」
「何を犠牲にしているか……その答えは、私だよ」
予想外の言葉に、レイドリアは固まった。
「私であり、マレーナであり、そして、お前でもある」
マレーナとはヴィアーヌの妻、つまりレイドリアの母だ。
「ど、どういうことなのでしょうか」
「不満が一切ない土地では、その土地内で争いが起こる。これは、歴史がそう証明している」
「……聞いたことがあります。アナレート内乱決戦や、五国戦のように、ですね?」
「その通りだ。五国戦は厳密には少し違うが……アナレートの方はまさしく、不満がなさすぎたが故に起きた内乱だ。……人の幸福には限度がない。今ある全てが満たされると、人は次なる欲望が生まれる。それが内乱という形で奪い合う結果となった」
「はい。アナレートには豊富な食料と物資があったと習いました」
「あぁ。だが不満がありすぎてもいけない。不満が爆発した結果は……」
「クーデター、ですね?」
レイドリアの言葉に、ヴィアーヌは満足そうに頷いた。
「歴史上でクーデターは幾度となく達成され、幾度となく失敗に終わった。しかしその結末は同じだ。ボロボロになった都市や国は、もはや滅んだも同然。国力は著しく低下し、最後には滅びる」
ヴィアーヌの言葉に、レイドリアは確かな説得力を感じた。
「では、どうするべきか。わかるか? レイドリア」
「……適度に不満を持たせ、それが爆発しないようコントロールする……というところですか?」
自信なさげに言い終わったレイドリアの頭を、ヴィアーヌは撫でた。
「その不満こそが、私であるということだ。重税、奴隷商などの全ての不満は、つまるところ、私だ。全てが私に集約する」
「し、しかしそれでは父上に謂れのない批判が!」
父の真意を理解して、レイドリアは思わず声を上げた。
「謂れのない、などということはない。私は実際に重税を課しているし、金の為に奴隷商を大々的に行っている」
「そ、それはそうかもしれませんが……」
「それに、私自身を不満因子とするのは非常に都合が良いのだ。自分に向けられる不満ほど、コントロールのしやすいものはない」
論理的には納得できるが、心の奥底ではどこか解せない思いがレイドリアにはあった。
そんなレイドリアに、ヴィアーヌは語りかける。
「まだ理解も納得もできないだろう。今はそれで良い。これからたっぷりと刻み込んでやろう。ヴィアーヌ家に受け継がれてきた究極の領地運営法を。そして——悪徳貴族の嗜みを」
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