表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/87

8 初めてのゴブリン退治

 その後、しばらく酒場でたむろしていると依頼主の村長がやってきた。ゴブリンの目撃情報があったのは、近隣の森の中でのことだと言う。簡単な地図を書いてもらい、明日早朝から森へ向かうことを約束した。

 『黄金の輝き亭』で一夜を過ごすと、まだ辺りが薄暗い内からエリーに起こされ、眠い目をこすりながら出発した。森の入り口に辿り着いた頃には、辺りは明るくなっていた。

「あたしが先導する。あんたは後方の気配に注意を払って。ただし、足下をお留守にして転ばないように」

「分かっているよ」

 まるで子供扱いだ。お節介だなあ、と苦笑しながら答えた。

 エリーは腰に剣を帯びた上に、使い込まれた様子の弓を肩に担いでいる。猟師の家に生まれたために、森歩きと弓の心得があるのだそうだ。

 エリーは注意深く地面の足跡やその他の痕跡を追い求めながら、森の奥へと足を踏み入れる。僕も心得はゼロだが、きょろきょろと周囲の様子を伺いながら、彼女の後を追う。

 道中、僕らの間にはほとんど会話は無かった。ゴブリンの姿を追い求め、踏みしめた枝が折れる音、小鳥のさえずり一つに注意を払った。

 初めての冒険に、僕は不安と緊張でガチガチだった。そのせいで、エリーが事前に忠告したとおり、足下がお留守になって何度か転びかけた。他にも背後から聞こえてきた物音に青ざめて振り返ると、鹿のつぶらな瞳とかち合って一息をついたりした。

 こんな無様をさらしているけれど、準備はしている。ゴブリンがどういう生き物なのか、出会したときの方針は一応聞かされている。自分たちに対処できる数なら戦う、手に負えないと判断したら迷わず逃げる。

 それから、ゴブリン達に遭遇し戦うと決めたら、どう戦うか。これも打ち合わせ済みだ。僕がまず自分のドーノを放ち、エリーは僕の撃ち漏らしを剣か弓で片付ける。

 上手くいくかは自信は無いけど、とにかく決めたとおりに動けるよう力を尽くすしかない。

 なんとかなるわよ、と気楽な調子で言い放ったエリーの言葉を信じよう。

 前方を行くエリーの足が止まった。忍び足で僕のそばに戻ってくると、声を潜めて僕の耳に唇を寄せた。

 あまりの距離の近さに、顔から火が出るような気がしたが、耳打ちされた内容にさっと血の気が引く。

「ゴブリン、あそこ」

 エリーが顎でしゃくって示した方向に目をこらすと、緑色の小さな影が木立の向こうでわずかに見え隠れしている。ほとんど樹木の枝葉で隠れて見えないのに、エリーはよく気づいたものだ。

 僕らからまだ随分距離がある。こちらに向かってくる様子は無く、気づかれたわけではなさそうだ。

 足音を忍ばせ、木立に身を隠しながら、僕とエリーはゴブリンの集団との距離をゆっくりと詰めていく。少しずつ、ゴブリンたちの様子が明らかになっていく。子供ぐらいの身長で、緑の肌をした小人たちが五匹。それぞれ鎌や斧を携え、列をなして歩いている。何やら周囲を伺っているらしく、きょろきょろしながら歩いているが、僕たちの姿は捉えられていないようだ。

 僕とエリーは奴らに見つからないように、屈んで茂みに一度身を隠す。エリーは声を潜めて言う。

「やれそう?」

 僕はごくりとつばを飲み込んだ。

「……うん」

 鼓動の音が耳につく。僕はひどく緊張しているようだ。

 でも、やらなくちゃ。ここで逃げるなんてあり得ない。

 僕は、やるんだ。

 エリーが寄せてくれた期待を、無駄にするのは嫌だ!

 隠れていた茂みから、僕は覚悟を決めて立ち上がった。すると、ゴブリンたちのうち一匹が僕の姿を発見した。耳を塞ぎたくなるような、甲高く不気味な叫び声を発し、たちまち周囲のゴブリン達も揃って僕の姿を認めた。やかましく雄叫びを上げながら、武器を振りかざしてこちらに向かって走り寄る。

 だが、遅い。彼らの武器にとって、僕までの道のりは遠すぎた。

 僕は、走り寄ってくる五匹のゴブリンをしっかりと見定めた。彼らの血のように赤い目、裂けた口、醜悪な面。威嚇するように振り上げられた鎌や斧、ぼろぼろの端布をまとった胴体、地面を蹴立てる裸足の足……。

 これだけはっきりと視認できれば、十分。

 僕は、胸の前に手のひらを突き出した。そして、念じた。自分が持つ未知なる力を全力でぶつけた。

 ゴブリンたちの雄叫びが、揃って悲鳴へと変わった。森中に響き渡るような絶叫が、計り知れない苦悶を訴えていた。

 五匹が全員倒れ、激しく身をよじっている。緑色の肌は無残にも、夜の闇のような炭の色になるまで全身を焼かれていた。彼らが握りしめていた武器は、助けを求めるように突き上げられた手からこぼれ落ち、むなしく地面に転がっていた。

 耳をつんざくような悲鳴を聞き、目を背けたくなるほど残虐な遺体を見て、僕は全身の震えを抑えきれなかった。それは果たして、その残酷な光景に恐れおののいていたのか、はたまた己の能力の強さを確認できた高揚感なのか……。

 『女神の抱擁亭』で試し打ちをして、僕の炎のドーノはどうやら対象を炭になるまで一瞬で焼き尽くす能力だと分かった。何度か検証して、威力の調整は一切出来ないこと、対象まで距離が多少あっても、全体のうち半分程度視界に入ればよいことなどは確認した。だが、訓練場の木の人形相手は問題ないが生き物相手にどこまで威力を発揮するのか、一度にどれくらいの魔物を対象に取れるのか、など実践でどこまで使えるかは未知数だった。

 まさか、五匹のゴブリンを一瞬で始末できるなんて。ドーノが魔物に通じるかどうか、そこすら不安だったというのに……想像以上の能力だった。

 僕はまるで視線を縫い付けられたかのように、炭と化したゴブリン達の亡骸を見つめていた。そのため、周囲の気配の変化に気づきようがなかった。

「伏せて!」

 エリーの悲鳴にも似た叫びが聞こえたけれど、即座にその意味を理解できなかった。

 棒立ちの僕の頬を、矢の形をした一筋の炎が掠めた。炎の矢が通り過ぎて、思い出したように頬が火傷の痛みを訴え、ようやくエリーの言葉の意味を理解した。

 ゴブリンの残党に襲われている!

 僕はすべてのゴブリンを倒したわけではなかった。どこかにまだ残っていて、そいつから攻撃された。でも、一体どこから? 慌てて周囲を一瞥するが、それらしい姿は発見できない。背の高い木々や茂みが邪魔をして、どこに隠れているのか検討もつかない……!

 敵の姿を補足することも出来ずにいると、視界の隅に再び炎の矢がちらついた。身を捩る暇も無く、みるみるうちに炎の矢が迫ってくる。

 全身の血の気が、さっと引いていく。炎の矢が迫り、どんどん大きくなっていくというのに、僕の頭だけが忙しなく騒ぎ立て、体はぴくりとも動かない。

 顔面に命中する! もう手遅れだ! 僕は、声にならない叫びを上げた。炎の熱が顔の皮膚を撫で、そのまま焼き尽くそうとしたが、透明な壁が僕と炎の矢の間に立ちはだかった。

 突如現れた壁は、水で出来ていた。まるで虚空から地面に向かって降り注ぐ滝のようだった。流れる水の壁は、迫り来る炎の矢を易々と受け止め、飲み込んでしまった。

 僕はなんとか生きている。しかし、まだ命を落としかけた恐怖が僕を麻痺させていた。茂みに身を隠すことも、エリーに言われたとおり身を伏せることさえ出来ずにいた。

 己が死の淵にあったことに震え、身動きがとれずにいるうちに、状況は進んでいた。

「はあ!」

 エリーの短い裂帛の声が聞こえる。そして、続くゴブリンの絶叫。声にならないゴブリンの叫びはしばらく尾を引いていたが、よく晴れた空にまるで吸い込まれるように小さくなっていった。

 森に静寂が戻ってきた頃、エリーが僕の前に立っていた。

「一匹だけ、別方向から回り込んでいたみたい。なんとか始末できたけど」

 彼女は右手で握っていた剣を一振りすると、滴る真っ赤な血がぱっと飛び散った。

 僕をドーノで狙っていた上位ゴブリンをエリーが剣で倒してくれたのだ。

 さらに言えば、僕を水の壁で守ってくれたのも彼女に違いない。彼女は水のドーノの使い手だ。

 エリーがいなければ、僕は死んでいた。彼女に命を救われたのだ。

「あ、あの、エリー……。僕、全然動けなくて」

 僕はおずおずと口を開いた。エリーは剣を鞘に仕舞いながら、深々と頷いた。

「ああ、確かに、ぼさっとしてたわね。石像でももうちょっと動けるんじゃないかってぐらい」

「せ、石像は動けないよ……」

 言葉を詰まらせながらも、反論する。エリーが肩をすくめた。

「あら、口答えできるようになったんだ? 大した進歩ね」

「……エリーは皮肉ばっかり言って進歩しないよね」

 わざと聞こえるように、ぼそりと言う。

「大した減らず口まで覚えちゃった、びっくりだわ」

 すると、エリーはぺろりと舌を出して言う。おちょくられていることは分かる。

 うるさいな、と応じるのは簡単だ。でも、僕はそういうことが言いたくて口を開いたのではない。僕は軽く頭を振って、もう一度エリーに向き直った。

「あ、あのエリー……」

「何よ」

 怪訝そうな目で僕をじろじろ見ている。

 すごく、言いづらかった。また茶化されるんじゃないかと思うと、僕は躊躇してしまった。

 でも、言わないわけにもいかない。僕は思いきって、口を開いた。

「守ってくれて……ありがとう。僕、君が助けてくれなきゃ死んでた……」

 感謝の言葉を口にした。言わなければいけないと、ちゃんと気持ちを伝えるのが当然のことだと思ったから。

 でも、なんとなく照れくさくてすぐに目を逸らした。

 エリーにとっては思ってもみない言葉だったらしい。ややあって、ようやく彼女は口を開いた。

「それは、お互い様ってことよ」

 彼女はぽつりとつぶやいた。

「あんたのドーノが無かったら、五匹のゴブリンと上位ゴブリンに挟み撃ちされるところだった。あんたが五匹をまとめて焼き払ってくれたからこそ、あたしは一匹の上位ゴブリンに集中できたわけだし」

「あ……」

 思わず、声が出た。僕は一方的に助けられたような気がしたけど、確かに僕もエリーを助けていたとも言える。

 言われて初めて、気がついた。僕は助けられてばかりじゃ無かったらしい、ということを……。

「そんなことより、手出して」

「え? 何? ……こう?」

 一体何だ? 首をかしげつつも、手のひらを上に向けて体の前に差し出すと「違う!」と一蹴された。

「あんたはまったく、どんくさいわね」

 舌打ち混じりでエリーがぼやく。

 もう何度、この人にどんくさいと言われているのだろう……と心の中で悲しんでいると、突然手首を掴まれた。

「そうじゃなくて、こう!」

 頭の上に手をかざす形になるよう、手首を掴まれたまま、手を上げさせられた。

 どういうこと? これは何のポーズ?

 彼女の意図がちんぷんかんぷん。僕は手を持ち上げたポーズのまま、硬直していた。一体、エリーは何を企んでいるのだろうと少し不安になりながら、取らされたポーズのまま待った。

 ぱん、と耳元で音が鳴った。それで、はっと我に返った。僕の手のひらと、エリーの手のひらが打ち合わされてていた。

 要するに、ハイタッチ。

 きょとんとして、エリーの目を見返す。

 すると、彼女は微笑んだ。

「ほら、さっさと行くわよ。ゴブリンの死体、確認しておくわよ」

 それだけ言うと、僕に背を向けた。相変わらず、僕を待たずに先に歩いて行く。

 打ち鳴らされた自分の手のひらを眺めた。ぱん、と鳴った快い音。剣だこのある硬い皮膚、僕よりも一回り小さな手のひらのぬくもり……ついさっきまであった感覚の余韻が、まだ僕の手のひらに残っているような気がした。

 エリーは僕に、期待している、と言ってくれた。相棒、と呼んでくれた。

 そんな彼女に、僕は応えられたのだろうか?

 僕は、自分に問いかけてみた。

 少しは応えられたかもしれない。そう、ためらいがちに応える自分の声が聞こえたような気がする。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ