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69 悪夢

 陣地を出ると、すぐにエリーが用意していたという二頭の馬が見つかった。荷物を満載にした鞍からロープと轡を取り出すと、エリーは手慣れた手つきで気絶した兵士に轡を噛ませ、手頃な木々に縛り付けた。

 日が昇り、明るくなるまで待つ理由はもうない。兵士を縛ると、俺とエリーはすぐさま馬を駆り、ラシェルの街を目指した。陣地から追っ手が掛かることを警戒し、追いつかれぬよう、ほぼ丸一日不眠不休で駆け抜けた。軍を抜け出した翌日の深夜になって、馬に乗ってられないほど疲弊した俺に合わせて、休息を取った。馬から下りて毛布にくるまった途端に、目蓋が重たく下りてきて、眠りの世界へ誘われた。

 この一年、夢はほとんど見なかった。眠りは浅く、つかの間まどろむ程度にしか与えられなかった。陣地を抜け出し、丸一日以上馬を走らせるという過酷な一日を過ごしたせいか、深い眠りが訪れ、久しぶりに夢を見た。

 夢の中で、俺は農村にいた。周囲を見渡すと、見覚えのある風景と顔なじみの村民達の姿をいくつか見かけて、ここがラクサ村だと気づいたのだ。

 その中に村長の姿を見つけた。依頼の時には何かと世話になったことを思い出して、挨拶の一つでもしようと思って、俺は彼の元に駆け寄った。彼もまた、俺の存在に気づき、友好的に微笑みかけ……そうしている内に手のひらから皮が剥け、筋肉や神経が覗き、血が吹き上がる。その変化は腕を蝕み、ついには全身を覆い尽くす。

 断末魔の絶叫が辺り一帯に、ほとばしる。周囲を見渡せば、見知った顔が消えている。彼らがいたはずの場所には、悪夢を具現化したような、奇怪な肉塊の塔が聳え立っている。

 俺は叫んだ。おぞましい化け物を目にして、平静を保ってなどいられなかった。恐怖に駆られ、ドーノの力を解き放った。

 化け物達は一瞬で体を焼き尽くされ、炭の塔と化した。

 それでも、俺はまだ恐怖に取り憑かれていた。炭と化した化け物から少しでも離れたくて、理性を失った声を上げつつ走り出した。息が上がっても尚走り続け、ついに走れなくなったところで、ようやく振り返った。

 走り続ける内に俺はいつの間にやら、だだっ広い平原に辿り着いていた。怖々と振り返ってみたが、化け物の姿はもうなかった。俺はようやく安堵を覚えた。

 さてここはどこだろうと周囲を見回したが、特定は出来なかった。だだっ広い平原を川が分断し、その平原を見下ろす小高い丘が遠くに見える。どこかで見たような気がするけれど、思い出せない……。

 周囲を見回していると、川向こうに大勢の人影がひしめいていることに気づいた。甲冑を纏い、馬に乗った騎士達、使い込んだ武器を手にした傭兵達、農民上がりの兵士たち……どうやら軍の一団のようだ。陣を整え、指揮官の号令一つで戦闘が始められる状況だ。

 そういえば、彼らと戦う軍勢はどこにいるのだろう? 相手となる軍隊を探したが、影も形も見当たらない。一体どこにいるのだろうか? 疑問を抱いた次の瞬間に、その答えを知る羽目になった。

 突如、軍勢が平原を揺るがすような鬨の声と共に一斉に行進を始めた。川の水を蹴散らし、こちらに向かって迫りつつある。

 彼らが狙う軍勢などいない。。狙われているのは、俺だ。一万にも届こうかという軍勢が迫り来る圧力に、一度は通り過ぎたはずの恐怖が再び鎌首をもたげた。このままではやられる、逃げたところで馬には追いつかれる。殺されてしまうぐらいなら……いっそ。

 俺は藁にも縋るような心地で、ドーノを使った。すると、立派な騎士も熟練の傭兵も、元は農民の間に合わせの兵士も関係なく、生きたまま体を焼かれる絶叫を上げ、大地に倒れ伏す。

 無我夢中でドーノを使い続け、間もなく戦場に立つ人影は失せた。最後の一人に至るまで炭人形に変えたところで、俺は膝を折って座り込んだ。足は震えて立ち上がることさえ、難しいぐらいだった。

 違うんだ、違うんだ。やりたくて、やったんじゃない。やらなくちゃいけないことだったんだ、仕方が無いことだったんだ。自分の命を守るために、それから彼女の腕を取り戻すために、どうしても必要だったのだ……!

 己の為した残酷な所業に、俺は打ち震えていた。言い訳を重ねても、魂まで染み込むような罪悪感は拭いきれなかった、出来ようはずがなかった……!

 ここで夢が覚めれば良かった。十分恐ろしい悪夢であったけれども、この続きに比べれば、まだ手ぬるいという他なかった。

 大地を黒く染め上げる炭の軍勢は、しばらくの間微動だにしなかった。それが自然の摂理だ、普通なら。だが、ここは夢の中。いかなる不条理も容易くまかり通る。

 死んだはずの騎士や傭兵、兵士達が起き上がる。無残に焼かれた体でゆっくりと立ち上がる。こんな惨たらしい姿にしてくれた下手人を呪い、駆け出す。

 迫り来る炭の軍勢への恐怖が、俺を突き動かした。再び、俺は駆けだした。無我夢中になって走り続け、また別のところへと辿り着いた。

 それは軍勢が立てこもる砦や城であったり、城壁に守られた街であったりした。砦も城も街も、俺が辿り着いた瞬間、ドーノで破壊された。人々は炭の人形と化した。そこで大人しく死んでくれればよかったのに、彼らは延々と俺を追いかけてきた。殺された恨みを晴らすべく、炭の体を引きずって、己を殺した相手を殺そうとどこまででも付いてきた。

 俺は長く、逃げ続けたが、いつまでも続くものではなかった。疲弊した足が蹴躓き、もう二度と立ち上がれないことを悟った。その間にも、炭人形達の軍団の行進は止まない。死んだはずの体に溢れんばかりの殺意と復讐心を詰め込んで、じりじりと俺に迫ってくる。

 あなたたちには、申し訳ないことをした。心の底から謝罪する……!

 追い詰められた俺は、そんなことを今更のように叫んだが、殺された人々は耳を貸そうともしない。彼らの歩みは止まらない。

 謝罪など何の効力もないことを知った俺は、地面に倒れ伏して、みっともなく叫んだ。

 誰でも良い、助けてくれ!

 俺はやりたくてやったんじゃない、だから……俺を助けてくれ!

 救いを求める俺の叫び声は虚しく響くばかりだった。応える者は誰もいなかった。

 俺に迫りつつあるのは、復讐に燃える人々の怨念ばかりだった。

 炭になるまで焼かれた人間の手が、俺の頭に触れた瞬間、俺はようやく悪夢から目覚めることを許された。

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