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68 迎えに来たのは

 エリーの仲間達の手により、天幕には兵士の服一式が二つ運び込まれていた。兵士を装い、夜陰に紛れて陣地の外に出る作戦らしい。天幕の見張りは買収済みで話は付いているので、障害にはならないと言う。巡回の兵士に見とがめられることさえなければ、すんなり事は運ぶだろう。

 とはいえ、フォルツァの遠征軍では兵士は全員男なので、女のエリーは髪をひっつめて兜に隠したところで妙に小柄で違和感をもたれるかもしれないし、万が一話かけられたら女性らしい高い声を誤魔化すことは出来ない。それに、俺も軍の中では大した有名人だ。多くの兵士に顔を知られている。不審に思われ声を掛けられたら、しらを切り通すのは難しいだろう。

 天幕を出ると、買収済みの見張りが立っているだけだ。地面に転がっていた焼死体が消えているが、見張りの話によるとうち捨てられたままだったので、片付けたとのことだった。今のところ、俺の裏切りが露見した様子はない。

 ランタン片手に夜の陣地を歩く。夜明けにはまだ遠く、ところどころ兵士達の天幕から高らかないびきが聞こえてくる。ティエンヌ国内に、遠征軍に夜襲を仕掛けてくるような気骨のある勢力はもういないせいか、警備はごく手薄だ。巡回の兵士に出会すことなく、陣地をぐるりと囲む木製の柵にぶつかった。

 柵は高く堅固に作られているため、よじ登って越えるのは難しいし、道具を使っても破壊するには骨が折れるだろう。だが、難攻不落の砦さえ落とす『死神』の力があるなら話は別だ。

 焼いて炭にしてしまえば、脆く崩れ去るので、開いた隙間から外に出れば良い。

 ランタンをかざし、焼き払うべき柵を視界に入れる。ドーノの発動を念じようとしたまさにその時、背後から男の声が響いた。

「おい、そこの二人組。そこで何をしている?」

 巡回の兵士に違いない。問いただす声には明らかな不審がある。

 兵士に返答しようにも、エリーは答えられない。声で女とばれてしまう。かと言って、自分が応じるのも得策ではない。顔を見られれば高確率で、更に運が悪ければ声で勘づかれる。

 大声を出されて、周囲に知らされてはいけない。事を荒立てないように、静かに、俊敏にこの場を納める必要がある。

 となれば、手っ取り早いのは……。

 俺は、己の顔を見られる危険を承知でランタン片手に背後を振り返った。相手の姿をこの目で捕らえ、兵士が永遠に口がきけないようするために。

 だが、振り返ったところで俺のドーノは発動できなかった。

 一陣の風のように、エリーが兵士に突進していた。彼女の背に兵士の姿は覆い隠されていた。

 エリーの素早い動きに、兵士はまるで対応出来ていなかった。流れるような動作で足を払われ、地面に転がったところを馬乗りにされ、首を絞められる。

 兵士は、声が出せないながらも、手を振り回し、足をばたつかせてしばらくの間抵抗していたが、やがて酸欠で意識を失ったのか、抵抗が止む。

 エリーは男の抵抗が止んだのを確認すると、油断なく周囲を一瞥する。この静かな乱闘に気づいた者はいないようだった。

「さっさと出ましょ。他の誰かに見つからないうちに」

 エリーは抑えた声で言い、顎をしゃくって柵を示す。さっさとドーノを使ってくれ、ということだろう。

「ああ……」

 気の抜けた声で返事をした。エリーの鮮やかな手並みに俺は舌を巻いていた。冒険者時代もエリーは優秀な剣士だったが、人間相手にここまで見事な動きを見せることはなかった。人目を忍ぶ生活や組織とやらの活動に携わる間に、体に動きが染みついてしまったのだろうか。

 エリーが過ごした過酷な一年の一端を垣間見しつつ、言われるがままに柵にドーノを放つ。炭屑と化した柵が瞬く間に崩れる。

 崩れた柵からそのまま出て行くのかと思ったら、エリーは転がした兵士の首根っこを掴んで引きずる。

「繋いである馬に、ロープと轡を隠してあるの。陣地の外に縛り付けておけば、戻ってこないと騒ぎになるまで、時間を稼げるでしょ」

 ぼうっと突っ立っている俺に、己の行動をエリーが説明する。言われてみればそうだ、兵士はいつ目覚めるやら分からないし、たまたま通りがかった誰かが発見するかもしれない。このままにしてはおけない、と言う彼女の言い分は分かった。

 だが……俺には、彼女がその程度で満足していることが不思議だった。厳しい生活をくぐり抜けてきたにも関わらず、何故そんな手ぬるいやり方で済ませようとしているのだろうか。

 兵士を引きずり、そのまま柵を越えようとするエリーの背中に素朴な疑問をぶつけた。

「そんな面倒なことをしなくても……殺して、陣地の外に放り出せばいいんじゃないのか」

 これなら、手っ取り早くて、しかも運悪く兵士が見つかってもその口から情報が漏れることはない。こんなごく簡単な方法を思い付かないほど、彼女は愚かではないはずなのに。

 ぴた、とエリーの足が止まる。俺は構わず、その先を続けた。

 良い案を思い付いたのだ。

「それから、この後すぐに陣地から遠くへ逃げるんじゃなくて、少し明るくなってから離れないか? そうすれば、俺のドーノが使える。陣地を一望できるところに移動して、遠征軍の連中を焼き払ってしまえば、俺たちは追っ手の心配をせずに済む。それに、組織とやらの目標だって達成できる。『死神』を失うだけに留まらず、送り込んだ戦力が壊滅すれば、諸侯や女王がいくら馬鹿でも戦争だって止めざるを得なくなるだろう……」

「馬鹿なこと、言わないで」

 返ってきたのは、断固たる拒絶の意志だった。

 何故、と俺は食ってかかろうとした。だが、その前にエリーが振り返った。氷のように冷たく、剣のように鋭い視線が俺を貫いた。

「この兵士を殺そうが、殺さまいが、あんたが姿を消してることがどうせ朝には発覚するでしょ? わざわざ口封じをしなくちゃいけないほどのことかしら? それに……」

 エリーの視線が、俺の背後に注がれる。

「無差別に陣地を焼けば、組織の仲間も巻き込まれる。言ったでしょ、あんたの天幕に荷物を運び込んだ仲間がいるって。それだけじゃなくて、他にもいるの。あんたを連れ出す手助けを、命を賭けてやってくれた人々に対する仕打ちじゃない。戦争の終結だって、軍の壊滅まで追い込まなくたって、恐るべきドーノの力が無くなれば、諸侯だって目を覚ますわよ。何よりも、ね……」

 エリーの冷たい眼差しが、再び俺に注がれた。

「あたしが迎えに来たのは、『死神』じゃない。あたしは『カナタ』を迎えに来たのよ……」

 青い炎のような怒りが、彼女の黒い瞳の中で燃え盛っていた。

 再び背を向け、エリーが動き出す。気絶した兵士を引きずり、炭と化した崩れた柵を越えて行く。

 俺は、声も出せない。縫い付けられたようにその場に立ち尽くして、エリーの後ろ姿を見ている。

 彼女の後ろを付いていく資格はあるのか? 己に問いかける。『死神』も、『カナタ』も両方俺のことじゃないか。でも、彼女の口ぶりではそうじゃない。俺には何が違うのか分からない……。

 俺は動けずにいた。そうしている内に、エリーは柵を越えていた。彼女は俺に背を向けたまま、口を開いた。

「いいから、早くこっちに来なさい。そんなところで突っ立っていたら、また怪しまれるわよ」

 疲れ切った声でエリーが言う。声を掛けられて、俺はようやく我に返った。

「……ああ。すぐ行く」

 一度抱いてしまった疑問は、深い霧のように胸の内に巣くった。それでも、俺はエリーの声に急かされ、躊躇いのある足取りで柵を越えた。

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