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64 あの日の真実

 エリーが失った右腕を取り戻し、自宅に戻らなかったあの日。俺はエリーが己の意志で去ったと思い込んでいたが、事実は違うのだと彼女は言う。

「どうも、つけられていたみたいでさ。自宅を出て、街を歩いていたら、四,五人の男達がいたの。あれは絶対素人じゃない。動きは統制が取れていて、そしてどこまでも執拗に追いかけてきた。人数差もあるから、万が一にも襲われたら勝てない。だから死に物狂いで逃げた」

 当時を振り返るエリーの声は、淡々としていた。

「得体の知れない男達をなんとか撒いた頃には朝が来ていた。あんたはもう、戦地に向けて旅立った頃だったでしょうね」

 そう語るエリーの声が、どこか寂しげな調子を帯びて聞こえたのは……俺の聞き間違いだろうか。

 エリーの話はまだ当然のように続く。

「あたしは潜伏したまま、『女神の抱擁亭』マスターに接触を取った。不気味な集団につけられた以上、無防備に自宅に帰るのは危険だと思ったの。ほとぼりが冷めるまで身を隠したいから、潜伏するための伝手を紹介して欲しいとお願いした。それから、あたしの無事をカナタに伝えて欲しいとね」

「そんな知らせは来てない」

 一方的に聞かされていた話に、噛みつくように口を挟んだ。

 当然、俺だって何かあればすぐ知らせてくれと『女神の抱擁亭』のマスターには頼んでいた。だが、実際に届いたのは、全く異なる内容の手紙だ……。

 暗闇の中で、エリーがふっと笑う声が聞こえた。

「でしょうね。マスターは間違いなく、遠征軍のあんたにあたしの無事を知らせる手紙を送ったんだけどね」

 皮肉めいた口調でエリーが言った。さて、誰が何をしてくれたのだろう、と暗に問いかけるように。

 話は再び、エリーの一年の活動に戻る。

 不審な男達を警戒し、エリーはマスターの伝手を頼って潜伏生活を続けていた。再び奴らに見つかり、襲われたら命の保証はないと悟っていたからだ。彼女の人目を避ける暮らしは長く続き、半年以上が経過したところで、世話になっていたマスターから話を持ちかけられたのだという。

 『死神』と呼ばれるようになってしまったカナタを助けに行かないか、と。

「あんたは、軍が流す誤った情報に踊らされている。本人の意志がそこにあるならまだともかく、騙された上に女王や諸侯たちの便利な玩具として弄ばれるなんて許しがたいと思わないか、とマスターは言ったわ。あたしの答えは決まっている……」

 一拍置いて、エリーは力強い声で言う。

「助けに行く。カナタを救うためならなんでもする。ティエンヌだろうが、フォルツァの女王とだろうが戦ってやるって!」

 決して天幕の外には漏れないように声は落としているが、マスターに返事をしたときの興奮と決意は彼女の語りから十分過ぎるほど伝わってきた。 寝台から立ち上がると、マントを脱ぎ捨てる音がして、同時に暗闇を明るい炎が照らす。彼女の腰に括り付けられている小ぶりのランタンの炎が、エリーの後ろ姿と天幕の中をぼんやりと照らし出す。

 エリーは周囲を一瞥すると、置いてあった箱に目を止め、その前に立った。子供の身長ぐらいはあるかなり大きな箱だ。彼女はかがみ込むと、懐から鍵を取り出し、差し込んだ。

 あんな箱、俺は知らない。天幕の設営と荷物の搬入は軍の兵士たちがやっていて、自分は関与していない。天幕の中の荷物も勝手に運び込まれているので、俺自身把握していない荷物が入り込んでいることは珍しくもないし、興味も無いのでわざわざ中身を改めることもない。当然、エリーが今見ている箱の存在に気を止めることもなかったし、その中身など知るよしもない。

 一体、どういうことだ? エリーが何故俺の天幕に置かれている得体の知れない箱の鍵など持っている? 俺の心中で疑問が渦巻いている。それを口に出せずにいる内に、エリーは箱から中身を取り出し、床に置いた。

「見張りは買収済み。それを天幕に置いて、ここを出ましょう。軍の連中を騙しきれるかはともかく、攪乱程度には役立つはず」

 ランタンの光に照らされたのは、真っ黒な人形のような物体だった。

「……それは?」

 俺は顔を顰めて、箱から取り出された物体を指さし訊ねた。と言っても、半ば想像は付いている。間近に見ることは希であったとしても、飽きるほど見てきたのだから。

 エリーは再び箱を開け、また別のモノを取り出した。

「焼死体よ。あんたの身代わりとして置いていくの。あんたが手鏡を使って、己のドーノで自殺したように見せかけるためにね」

 箱から取り出した手鏡を、死体の脇に置いてエリーが立ち上がる。

「これ、用意するの結構大変だったのよ。人間と酷似した骨格の魔物を殺して、炭の塊になるよう焼いて、それから軍に潜り込んであんたの天幕にこっそり搬入して……どう、随分手間が掛かっているでしょう?」

 エリーが振り返った。

 ランタンの光に照らされ、彼女の顔を一年ぶりに見た。王都で別れたあの日とあまり変わらない。玩具を自慢する子供のような無邪気な笑みを俺に向けていた。

「当然、こんな芸当あたし一人でどうにか出来ることじゃない。あんたのために、結構な人数が動いてるんだからね?」

 ランタンが照らす光は、エリーの笑みだけではなく、頭からつま先まで照らし出している。俺の目には、彼女の全身が映っている。

 彼女だって当然気づいているだろう。今、この瞬間俺にドーノを使われたら、命を失うことを。だが、そんなことは頭の片隅にさえないように見えた。

 エリーは再び話し始める。『死神』を軍から救い出す、と決めた彼女は、『女神の抱擁亭』のマスターからある地下組織を紹介されたのだと言う。それは、無駄に長引く戦争の終結を望む者達の集いだった。

 彼らとエリーの希望は合致していた。敵国ティエンヌの首都が陥落し、フォルツァの継承権を主張した王子が行方知れずとなった大義なき戦争が未だにずるずると続いているのは、遠征軍を指揮する将軍とその取り巻き達が己の欲望のままに、『死神』の力を振るっているためだ。なら、軍から『死神』の力を取り上げてしまえば、もはや意味の無い戦争を続けようとする勢力は消えるだろう、というのが組織の狙いだった。

 エリーは当然理解できるだろう、というような口ぶりで話した。だが、俺は話について行けない。

「ティエンヌの首都が落ちてるって話も、継承権持った王子が行方知れず、って話も初耳だ……」

 気まずく口を開く。ティエンヌの首都を落とすのに俺が呼ばれないわけがないので、攻城戦の際はその場にいたはずだが、はっきりとした記憶が無い。

 よくよく思い出してみれば、余所よりも規模が大きくて、建造物も立派な都市を一つ焼いたような、というぼんやりとした記憶があるぐらい。自分がティエンヌのどこにいて、何の街を攻撃しているのかさえまるで把握していなかった。マルチェラ以外の人間と禄に話さないし、奴との会話に大した中身はない。俺には知らないことが多すぎた。

「あんた、本当に何も知らされていないのね……」

 呆れたような、哀れむような声でエリーがぼやく。

 寝台に座ったままだった俺の隣に腰掛けると、なにやら封筒を一つ押しつけてきた。

「はい、これ。マスターからあんた宛ての手紙。しっかり読みなさい。十年眠っていたお姫様でも今の情勢が分かるように説明してくれてるから」

 言われたとおり、俺は黙って手紙に目を走らせた。

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