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6 道中にて

 翌朝、簡単に朝食を取ると、僕とエリーは『女神の抱擁亭』を出発した。時々休憩を挟みながら、僕らはひたすら歩いた。

 街道には様々な人が行き交っていた。僕らと同じ冒険者の一団もいれば、荷物を満載した馬車に乗った商人とその護衛たち、くたびれた様子の巡礼者たち……いずれも現代日本には絶対に見かけない人々の姿。車もバスも当然なく、彼らは歩くか、馬か馬車に乗って、街道を進んでいる。

 中には、目元以外を覆った兜をかぶり、甲冑を着込んだ騎士とその従卒たちが列をなして進む姿があった。強い太陽の光を浴びて、燦然と輝く甲冑や大ぶりの馬上槍はなんといっても、強さの象徴で憧れの対象。

 現代日本ではまず見ることのない、騎士たちの物々しい行列に見惚れていると、エリーに道の端までぞんざいに引っ張られた。

「またぺしゃんこにされたいわけ?」

 眉根を潜めて、エリーが言う。

「ご、ごめん……ぴかぴかの甲冑姿の騎士って初めて見たから、ついつい格好良いなって……」

 言った直後に、あっ、と思った。エリーがまた怪訝な顔をしている。

「どこに住んだら、騎士を一度も見ずにその歳まで生きてこれるのかしら。どこかの絶海の孤島? それとも、人里離れた森で狼に育てられてきた?」

 どうやらこの世界では、騎士の姿はごくごくありふれたもののようだ。現代日本でサラリーマンを見たことがない、と言うようなものだろうか。

「さ、さあ……? と、とりあえず僕のいたところでは、見なかったなあ……?」

 とりあえずとぼけておくしかない。乾いた声で笑っていると、エリーは頭痛を覚えたみたいに頭を抑えた。

「あんたはひょっとしたら知らないかもしれないけど、あたしたちが今いる国はフォルツァ王国って言うのよ。さっき出てきた街は同名の王都。あの騎士の列はただのお散歩で街道を闊歩しているんじゃなくて、王都におわす女王陛下の元へ向かっているところなんでしょうね」

「フォルツァ? 女王?」

 この異世界の政治情勢などこれっぽちも分からない。聞き返すと、やはりかとエリーが苦い表情になった。

「フォルツァを治めているのが、カテリーナ一世という名前の女王様ね。まだ二十代前半で若くて、しかも女性の君主だけど、なかなかの名君だって言われてるわ。何かときな臭い西方の砂漠の民達と友好関係を築いたり、昨年のひどい飢饉でもあらゆる手段を使って民草を飢えさせまいと辣腕を発揮したりね」

「へえ……」

 それは多分すごいことなんだろうけど、いまいちぴんとこない。

「ただ、北方の隣国の動きが今、怪しいのよね。ティエンヌって王国なんだけど」

 エリーの表情が曇る。

「カテリーナ女王が即位した当時から、女性の国王など認められない、とティエンヌは度々主張しているみたい。勝手に言ってるだけならどうぞご勝手に、と言いたいところだけど、フォルツァの先王とも血の繋がりがあるティエンヌの王子が王位を継承すべきだ、とか言い出してね。今はまだ、互いに宣戦布告するような段階じゃないけど、戦争に発展するのも時間の問題だって言われてる」

「ふうん」

 朝から強行軍で眠たいところに、なかなか小難しい話になってきた。あくびをしながら答えると、エリーが呆れた様子で言った。

「他人事みたいな顔してるけど、あんたにも関係大ありだからね」

「え、そうなの?」

 眠気が一気に覚める。戦争なんて騎士の仕事で、冒険者は関係ないのでは?

「冒険者も傭兵として雇われるのよ。そのうち、冒険者ギルドを通して徴募も始まるかもね」

「そうなんだ……そういうのはやりたくないな」

 戦争に駆り出されるということは、つまり生身の人間を相手するということ……人殺しを犯すということだ。

 魔物を退治するのとは、訳が違う。

「やるかやらないか、選べるうちはそれでもいいでしょうけど」

 エリーが冷ややかに言った。

「強制的に徴募される時期が来るかもしれないし、最悪王都が包囲されたら、我が身を守るために戦わざるをえない」

「そんな……」

 僕は絶句した。人を手にかけるなんて、想像もつかない。

 異世界の人々にとっては、殺人も、戦争も、ある程度身近なものなのかもしれない。自ら武器を手に取って、人間同士で戦うことは人々の暮らしの一部になっているのかもしれない。

 でも、現代日本の人間ではテレビのニュースかフィクションに過ぎない。遠い国のおとぎ話も同然のことなのだ。

 記憶が無いので、僕は誰も殺したことはないと自信を持って言えるわけではない。それでも、みるみる内に自分が顔を青くして、黙り込んだことは分かる。

 そんな僕にちらっと目をやって、エリーはつぶやいた。

「争いなんてこれっぽちも知らないって顔。あんた、ひょっとして天国か楽園から来た?」

 皮肉とも、羨望ともつかないつぶやきだった。

「……そうなのかな」

 争いを知らないことが当たり前の国が、天国か楽園と呼ばれる。その感覚がこのときはまだ理解が出来なかった。

 もう少し理解が深まるのは、一日歩いてへとへとになって、やっとありついた夕食の場だ。

「明日……僕、生きてるのかな」

 明日の昼頃には、依頼主の村に辿り着くという。ぺこぺこのお腹にあたたかいスープとパン、分厚いベーコンなどを詰め込んで一段落すると、急に異形の化け物と戦う不安がこみ上げてきた。

 ゴブリンと言えばゲームなら序盤で出てくる雑魚だし、どうにかなるだろうと依頼を受けた直後はそれほど深刻には考えなかった。だが、改めて明日そいつと戦うのだと思うと、誰かと殴り合いの喧嘩どころか言い争いにすら尻込みする僕に、異形の化け物との殺し合いなんて果たして出来るんだろうか、と甚だ疑問に思えてきたのだ。

「何言ってるのよ。どこにでもいるのよ、ゴブリンなんて。あたしの故郷でも、二,三年に一度は出たわよ。その度に村の腕っ節自慢たちが退治していて、あたしもその中に小遣い稼ぎに混ぜて貰ったわよ。八才の頃には弓片手に手伝いに行ったっけ」

 ビールが並々と注がれたジョッキを片手に、エリーが懐かしげに語る。

「八才……」

 八才の子供が魔物退治に駆り出されるなんて、エリーが異常なのか、それともこの世界が物騒すぎるのか。僕が絶句していると、エリーはなんでもないことのように続ける。

「あいつら、子供ぐらいの体格しかなくて、力も弱いからね。武器はどこかで拾ったか盗んだ人間の道具だし、おつむの出来も大したことない。斧で武装した農夫でも、怪我を覚悟すれば二,三体ぐらいは相手できるわよ」

 怪我するのも怖いからって、冒険者に任せる村も多いけどね、とエリーは付け加えてつぶやいた。

「へえ……」

 確かにそれなら、冒険者ギルドのマスターが一人でも問題ないと評した理由が分かる。駆け出しの冒険者なんて、ほとんど素人と大差ないだろうけど、それでもまあなんとかなるだろうってことか。

「基本的には臆病で、好戦的な魔物ではない。けど、自分たちが圧倒的に優位な相手には襲いかかってくる。例えば、非力な女子供相手だとかね。繁殖速度も速くて、嘘か本当か知らないけど、一年つがいを放っておいたら十匹に増えるなんて言われてる」

「鼠みたいなやつだなあ……」

 大して危険な魔物ではないが、放置するのはリスキーな存在のようだ。大体のゲームでは序盤の主人公に経験値として狩られるだけの運命の魔物だが、異世界では立派な脅威として存在しているようだ。

「といっても、一つの群れとしてまとまっていられるのは大体十匹程度、多くても二十匹ぐらい。それ以上になると、仲間内で殺し合いになって数を減らす。だから、ほとんどの場合は駆け出し冒険者パーティで十分対応できるんだけど……」

 エリーは一度ぐい、とジョッキをあおった。

「希に、やっかいなゴブリンが生まれる。普通のゴブリンは馬鹿で非力でドーノも使えないけれど、そいつらは人間と同様にドーノを扱い、頭も回る上位ゴブリン。そういう奴がいると戦闘で手こずるだけじゃなくて、群れが大きくなるのが問題。上位ゴブリンが群れを統率すると、五十ぐらいに増える。集団になって気が大きくなるのか、人間の集落にも平気でちょっかいをかけてくる。そうなると、もう駆け出しパーティじゃお手上げ」

「ゴブリンの中でも、すごいやつがいるんだね」

 まるで人間みたいだな、と思った。優秀な個体とそうでない個体が存在する、という意味では。

「そういうごく上澄みのゴブリンでも、五十匹程度を統率するのが限界、とも言えるけどね」

 そう言って、エリーはパンを頬張りながら、ビールで喉の奥に流し込んでいる。

「五十匹も率いるのは、十分すごいリーダーだと思うけど」

 人間であっても、誰にでも出来ることはない。少なくとも、五十人をまとめるなんて僕には逆立ちしても出来そうにない。

 ちょっと感心した様子を見せたら、エリーは鼻で笑った。

「人間の軍隊と比べてみなさいよ。規模が大きければ、百や千どころか万にも達する。それと比べて、どう?」

「……まあ、確かに少ないか」

 同じ種類の同胞を率いてまとめる、という力では人間の右に出る者はないということか。もっとも、人間の間でも向き不向きは強烈にあるけど……。

「ゴブリンという種の限界よ。個の戦闘力も、群れの結束力も大したことは無い」

 切り捨てるような口調でエリーが言った。

 そして、ジョッキを置いて、まっすぐに僕の目を見据えて言った。

「万が一、優秀な個体とそれに率いられた大きな群れに出くわしても、無理に戦う必要は無い。そのときは村に戻ることが最優先。冒険者ギルドに救援を求める。とにかく助けさえ呼べば、あたしたちの役割は終わり。危機に見合った実力の冒険者たちがすぐに片をつけてくれる」

「……分かった」

 いつになく真剣なまなざしに、僕はぎこちなく頷いた。

 自分の能力が通用するのでは? 僕はチート能力を持っているはずだから、なんとかできるのでは? なんて、何があっても慢心しちゃいけない。

 よくある異世界モノみたいに、なんでも上手くいくわけじゃない。かたく自分に言い聞かせた。

「でも、普通のゴブリンの群れが相手のときは戦わなきゃいけないんだよね。……それって本当に大丈夫……?」

「なんとかなるわよ」

 エリーは僕の言葉を遮って言った。そして、不敵に笑ってみせた。

「あんたとあたしなら、大丈夫。だから依頼の報酬が入ったら、ちゃあんとお酒奢ってよね」

 そう言って、エリーはあっという間に空になったジョッキを机に置いた。これでもう三杯は軽く開けているが……僕のおごりで飲む酒は何杯だろう、と考えると、途端に頭痛がしてきた。

「僕の報酬、全部飲まないでね……」

 僕はうつろな目をしてエリーに言ったが、彼女は全く聞こえていない様子で、給仕を呼んで新しいジョッキを頼んでいた。

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