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46 これから

 落ち着いて周りを見渡すと、マルコの姿は消えていた。恐らく僕が蹲っている間に逃げたのだろう。

 肉の化け物を生み出す力を持つ、あいつを野放しにするわけにはいかない。今、最優先は村人の保護や探索ではなく、奴の確保だ。

「村の外に逃げていった可能性はあると思う? 森に潜むか、あるいは他の村に行って姿を眩ませて、また機会をうかがう、とか……」

 手身近な民家の軒先を借りて、僕らは雨を凌ぎながら、この後のことを相談していた。エリーの言葉に、僕は首を横に振った。

「ばらばら死体にしたり、肉の塊に変えたりするのは、村中一斉に起こったことから推測すると、対象と離れていても問題ないわけだ。村から離れたところで力を使い、そのまま逃げたら、誰にも追いかけられなかったのに、あいつはわざわざ姿を現した。逃げることが最優先ではないのだと思う」

「でも、そうするとおかしくない? 離れた相手を自由に化け物に変えられるのなら、さっきわざわざ女性の手を掴んでから、化け物に変えた理由は?」

 エリーが疑問を口にする。僕は少し考えてから、彼女の疑問に答えた。

「おそらく、あいつのドーノの正確な力は、『手を触ったことがある人間を、望んだときにばらばら死体か肉の怪物にする力』なんじゃないかな。村の人たちの大半が、一斉に絶叫が響き渡ったタイミングで死体になるか、化け物になるかの末路をたどった。それは、あいつが雑貨屋を営んでいて、多くの人がそこを利用していたから。お金を手渡しするときに手に触れて、ドーノを使い、今日この日のためにずっと下準備をしていた。あの女性を、すぐさま化け物にすることはしないで、わざわざ触れに行ったのは、今まで触れられなかった数少ない例外だったから……とか、かな」

「なるほど」

 エリーが得心がいった様子でつぶやいた。

「何で赤ん坊が逃れたんだろう……って思ったけど、雑貨屋でお金の受け渡しをするはずがないものね。それに、あいつ、昼間に自分から大嘘をついてドーノを実演するって言い出したのも……」

「邪魔な冒険者を、死体か化け物に変えるつもりだったんだろうね」

 エリーの言葉の先を引き取って、続けた。幼稚な感情で動いた、とあの時は恥ずかしがったが、後になって考えてみれば、本当にあれは良い判断をしたと評価せざるを得ない。

「僕も会う度に、やたらと握手を迫られた。色々思うことがあって避けたけど、正解だったね。あれも今思えば、狙ってたんだと思う。あいつ、相当の食わせ者だよ」

 僕は舌打ち混じりにぼやくと、降り続ける雨空を見上げた。

「何で、今日このタイミングであいつは動いたと思う?」

「警戒されてる、と雑貨屋で避けられた時点であいつは思ったのでしょうね。捕まる前に、仕掛けてきたのでしょう」

 エリーがよどみのない口調で答えた。

「だろうね。加えて、この時間を選んだのは、僕の力が一番発揮しづらい瞬間だからだよ。夜で暗くて、しかも雨まで降り出して、視界は最悪。ついでに松明や篝火も雨で焚けない。光源は頼りないランタンの光に頼るしかない」

「あんたの能力については、完全に把握しているってことね」

 エリーが思い切り顔をしかめた。

「能力だけじゃないね。よっぽど僕にご執心なのか……人間に向かってドーノを放てない、という致命的な僕の弱みまで、よくご存じのようだよ」

 僕は皮肉に満ちた笑みを浮かべる。

 僕の弱みを調べる方法は、ないわけじゃない。丹念に僕の情報を集めれば浮かび上がってくるだろう。一年前、マルコに煽られた男達の一団を、一撃で葬り去れる力を持ちながら、実際は震え上がりながら、へっぴり腰で男達を威嚇しただけ。マルコはその現場に居合わせている。

 それに、僕の冒険者としての実績は人間相手の依頼はこの戦火の世の中、溢れかえっているのに全く手をつけていない。そこまで調べれば、人間相手にドーノを使う選択肢が僕にはないことを十分に察せられるだろう。

「さっき、無防備に僕の前にのこのこと出てきて、悠長に話しかけてきたのは、僕が人を殺せないのを知っているからだ。その弱みを的確に突いて、煽り立て、僕の心を折るつもりだったんだ」

 記憶の中で、マルコが笑っている。雨が降りしきる夜空よりも尚暗い、愉悦の光を湛えた恐ろしい目が脳裏をよぎる。

「多分、あいつは『黄金の輝き亭』にいる。わざとあそこを見逃しておいて、何かを仕掛けているのだと思う。僕を、的確に潰す策を持って待ち受けているような気がする」

 記憶の中の不気味な眼差しに射すくめられたように、僕はぶるりと身震いした。

「正直、僕は……行きたくない。何が待ち受けているか、考えるだけでも恐ろしい。……怖いよ」

 肉塊の化け物の正体を明かされたとき、僕は地面に膝を突いた。人殺しと呼ばれて、目の前が見えなくなった。村人達の生前の姿の幻影に縛られて、動けなくなってしまった。

 『黄金の輝き亭』で待ち受けているのは、より恐ろしく、おぞましい試練だと思う。そう思うと、行かねばならないと分かっていても、足が竦んだ。

 恐怖を堪えるように、いつの間にか拳を握っていた僕の手に、エリーの手がそっと触れた。

 先ほど手を握られたときとは違って、エリーの手は温かかった。雨宿りをしている間に、手の温度が戻ってきたのだろうか。僕のまだ冷たい手に、彼女のぬくもりがじんと沁みる。

「あんたが怖じ気づいたときは、言葉で勇気づけてあげる。動けないときは、また手を貸してあげる」

「エリー……」

「大丈夫、あたしがいるんだから、カナタに怖いものなんてない」

 彼女は優しさと力強さを兼ね備えた瞳で、僕に微笑みかけていた。

 ついさっき、マルコに化け物の正体を明かされたとき、動けなくなった僕を励まして、迷いながらも立ち上がらせてくれたのは、間違いなく彼女の言葉と差し伸べてくれた手だった。

 今回に限った話じゃない。一年前、ゴブリンの大群をさばききれず絶望しかけたときも、彼女の励ましで僕はなんとか持ちこたえた。その後も、今までずっとそう。僕が落ち込んだり、心が折れそうになったりする度に、彼女に支えられてきた。多分、それはこれからだってそう。

 だから、僕の人生には、エリーが必要だ。僕がまっすぐ前を向いて歩いて行けるのは、彼女が居てくれるからだ。

 僕は、握り込んでいた自分の拳を開いて、彼女の指と絡めた。驚いた様子で僕を見上げる彼女に、僕は笑いかけた。

「そうだったね。やっぱり、君がいないと僕はだめだね」

「何よ、いきなり……」

 少し気味悪がるように、それでいて照れくさそうに、エリーが唇を尖らせる。そのなんとも言えない表情はおかしくて、愛おしさを感じた。

 凄惨な死体や化け物ばかり見てきたせいで、陰鬱だった心に、晴れ間がさしたようにあたたかさを感じた。惨劇が始まる前に、僕たちは何をしようとしていたのか、今し方思い出したような気がした。

 僕は、絡めた指を握った。マルチェラの滑らかな手とは違って、手の皮は固くて、あちこちに剣だこがある無骨な手。でも、僕よりも一回りは小さくて、指も細い。強さと女性らしさを兼ね備えた手。僕はこの手を、絶対に離しちゃいけない。

 彼女の耳元に唇を寄せ、僕は内緒話をするようにささやきかけた。

「全部、終わったら……さっきの続き、しようね」

 エリーはまるで何も聞こえなかったように黙り込んでいた。あれ、雨音で聞こえなかったのか? と不安になり始めた頃、エリーはゆっくりとうつむいた。

「……今、そういうこと、話してる場合じゃないでしょ」

 ちらりと見えた頬が、赤い。きっと熱くなっているのだろうな、と思い、触れて確かめたくなった。が、実行に移したらひっぱたかれる気がしたので止めておく。

「約束だからね?」

 名残惜しいが、絡めた指を解いて、そのまま伸びをする。凝り固まった肩の筋肉が伸びる気持ちよさがあった。ついでに一つ深呼吸をして、外していた雨合羽のフードをもう一度引き下ろす。

「行こう、エリー。こんな事件、さっさと終わらせてしまおう」

 酒場にいるであろうマルコを捕まえて、これ以上の悲劇は起こさせやしない。

 固く誓って、雨宿りをしていた軒下を出ようと一歩踏み出そうとしたときだった。

「待って。もう一つだけ、あんたに言っておきたいんだけど」

 エリーの声が、僕を引き留めた。振り返ると、エリーは一つ咳払いをした。

「あたしよりも、あんたの方が向いてることって色々あるじゃない? ドーノの常識外れの強さはもちろんだけど、集めた情報を整理して考えることとか……」

「ん? まあ……そうかもね」

 なんだか褒められているような気がするけど、話の意図がいまいち読めない。とりあえず素直に相槌をうつことにした。

「けどさ、逆もまたしかりでしょう。野外の探索は一人じゃとても行かせられないし、剣と体術はからきしだめ……あと、口喧嘩あたしには勝てないし」

「お、おう……」

 何故突然、貶されなければいけないんだ……? しかも長所より短所の方が多いし……。釈然としないが、反論はしないでおく。

「要するにあんたもあたしも、得意不得意がそれぞれあってさ。どちらかが一人で全部やる必要なんかなくて、苦手なことや不得意なことは相方に任せたっていいわけで……」

 その通りだが、今まで自然とやってきたことで、改めて言われるほどのことだとは思えない。

 エリーの言葉がつっかえる。言いたいことがあるけれどなかなか言えなくて、聞いている側以上に本人がもどかしく感じているように思えた。

 雨の音を聞きながら待っていると、エリーが意を決した様子で僕を見据えた。

「あんたにはどうしようもないときは、あたしがなんとかするから。それを、忘れないで」

 強い決意を秘めた、まっすぐな眼差し。

「ああ……」

 そのあまりの強さに僕は圧倒され、気の抜けた返事しか出来なかった。その強い決意がどこからやってきたものなのか、僕には測りかねた。そして、何故、今そんなことを言い出したのか、その意図も……。

 エリーが、雨合羽を被り直すと、僕よりも先に軒下を出た。たちまち雨が、彼女の雨合羽を打ち付け、濡らしていく。

「時間を取って悪かったわね。行きましょ」

 そう言い残すと、ランタンのか細い光と共に颯爽と歩き出した。

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