44 降りやまない雨
村に通っている道を歩き回るだけではなく、人々が住む民家を一件ずつ調べ始めると、行方知れずだった村人達の消息は次々に明らかになった。人数を一人ずつ数えていると気が狂ってきそうな程、死体ばかりが見つかった。
行く先々で見つけるのは、手足に頭部がバラバラに切り落とされた村人達の死体ばかり。今日一日、ドーノの確認のため村人の半数と顔を合わせたことも手伝って、その多くは見知った顔だった。大概が寝台で横になっていて、生きたまま切り刻まれたかのような苦痛を訴える顔で事切れている。ろうそくの頼りない灯りで手仕事に勤しんでいた人や、寝る前の晩酌を楽しんでいたと思われる人々もいたようだが、寝台で事切れた人々と変わらない姿で見つかった。日没後のありふれた日常が、突然降って湧いた悪夢で中断されたような光景が、どの民家でも起きていた。
もう、これだけでも十分、地獄の底を眺めているつもりだった。僕だけでなく、エリーも相当参っている様子だった。雨で体が冷えたからじゃなくて、頬は青ざめ、剣の柄に触れる手が時折震えていた。その後も生者を求めて村中を探しても、あの不気味な肉の怪物に三回出会しただけ。歪なな化け物ともはや救いようがない人々の亡骸を見れば見るほど、僕たちの精神が音を立てて削れていくような気がした。
だが、その更に上を行く残酷な光景が僕たちを待ち受けていた。
それは、村長の自宅に足を踏み込んだときだった。ドアを前にしたとき、室内から物音が聞こえてきた。だが、その音は決して僕らを喜ばせなかった。生存者を予感させる物音では、決してあり得なかったからだ。
なにかが砕け、引き裂かれ、床にこぼれ落ちるような音が延々と続いていた。人間よりももっと巨大で、鈍重な物体の気配が物音の主だった。
人間の声は聞こえてこなかった。幸いにも、というべきだろうか。声が聞こえていたら、それは生きているということで、その人物は化け物に骨を砕かれ、肉を引き裂かれ、食らいつくされる痛みを味わっていることになるから。
剣を持ったエリーがドアを開けると、僕がランタンで部屋の中を照らし出した。予想通り、肉塊の化け物が変わり果てた姿の人間の体を、口のような部位を使ってかみ砕き、啜り、食らいついていた。僕は、化け物のグロデスクな食事風景を視界に入れた瞬間に、ドーノを使った。化け物はドアが開いたことに気づいた様子さえなく、炭の塊と化し、延々と続けていた食事をようやくやめた。
原型を留めない人間の死体が嫌でも、目に入った。エリーはそっと目をそらし、僕はランタンを床に置いて背を向け、ずっと堪えていた吐瀉物をぶちまけた。
僕の嘔吐を見て、少しだけでも休もうとエリーが言い出した。気は急いていたが、雨の中歩き続け、気が滅入る光景に連続で出くわし、心も体も悲鳴を上げていた。血のにおいが充満する、村長宅の住居部分から離れ、豚や鶏たちが平穏に眠る家畜小屋の軒先に移動した。
雨は止む気配を見せなかった。雷鳴が時折轟き、分厚い雲が空を覆っている。いつまでも途切れない雨音を聞いていると、永遠に雨が降り続けるような気がしてきた。
「止みそうにないわね」
家畜小屋の内部を覗いてきたエリーが、僕の隣に腰を下ろしながら言った。僕はうなだれたまま、頷いた。
「雨が止んだら、全てが夢だったことにならないかな」
エリーは一瞬だけ、押し黙った。
「そうね。そうだったら……どれほどいいでしょうね」
僕の儚い妄想に、乾いた声で応じた。話したところで、無意味だと言わんばかりに。
冷たいな、と少しだけ思った。でも、彼女の冷たい反応だって、彼女にも余裕がないことの証左のように思われた。僕だけ弱音を吐いて楽になろうとするにはまだ早いのだ、と考えを切り替えた。
一つ深呼吸をして、雨で湿った冷たい空気を体に取り入れる。少しは冷静になれただろうか。実感は特にないが、口を開いた。
「何が起こったのか、正直分からないことが多いんだけど。とにかく、村中で絶叫が起こったときに、村の人たちは一斉に切り刻まれたと見て違いないよね」
僕とエリーは、『黄金の鹿輝き亭』を出てから禄に話をしていなかった。当然共有していると思われる推測さえ、まだすりあわせていない。
村中に響き渡る断末魔の合唱。あれは恐らく、一斉に体を切り刻まれ、絶命した人々の悲鳴に違いない。
「そうね」
エリーが頷く。
「その後に聞こえてきた人の悲鳴は、切り刻まれなかった人が、何人かは存在したって事よね。突然、隣にいた家族がバラバラ死体になって驚いて発した悲鳴か、あるいは、あの肉の化け物に襲われたか……ってところかしら」
エリーの推測は僕も同意見だ。
「誰が、どうして、どうやってこんな惨劇を起こしたのか? はっきりしていないことがたくさん、あるけど。気に掛かることがいくつかあるんだ」
「例えば?」
「これだけ村のあちこちで甚大な被害が出てるのに、僕たちと、それから一階の酒場にいた人たちはみんな無事だよ。僕たちは村人じゃないから、上手くすり抜けられたのかもしれない。でも、『黄金の輝き亭』にいた人間だけ無事なのは、どうしてかな。一階の酒場にいた人だって村の人たちなのに」
「そうね……」
エリーが思案している。僕は彼女が結論を出すのを待った。
「まるで、あそこだけ見逃されているみたい」
やはり同じ感想を抱いたようだ。
「不気味に感じるよ。なんだか黒幕が、僕らを罠に掛けようとしているような、そんな気がして」
言いながら、背中にぞっと寒気が走ったのは、合羽越しとはいえ雨に打たれ続けた寒さのせいではないと思う。
「……他にもあるの?」
悪寒に身を震わせ始めた僕を、横目で一瞥しながらエリーが言った。
「あの、肉塊の化け物の正体、さ……」
震えのあまり、自分の歯がかちかちとかみ合わされる音を聞いた。
死体を延々と見続けている間、思考なんて何一つ出来なかった。でも少し落ち着いて、情報を整理しながら考え出すと、朧気ながらも見えてくるものがある。
そう、例えば。どうして村長の家なのに、村長の奥さんの損傷の激しい遺体があっても、村長自身はどの部屋を探しても見当たらないのか。逃げおおせてどこかで生きているのならいい、だがもしそうでなかったとしたら……?
あるいは、肉の塊に突き刺さっていた、元の生き物の原型を留めた部分について。目に入った瞬間に全て炭に変えてしまったから、それらをまじまじとは見ていない。でも、一瞬だけは見えた。それらは、僕がとてもよく知っている生き物の形状に酷似していたような気がする……。
「うまく言えないんだけど……すごく、嫌な予感が、する……」
見たくもないものが、もう少しまともに推論を重ねれば姿を現してしまうだろう、ということが頭にちらついた。
これ以上考えるな、と拒絶するように、再び収まったはずの吐き気がこみ上げてきた。僕がうめき声と共に口元を押さえると、ほとんど同時に、隣に座っていたエリーが勢いよく立ち上がった。
「声が、聞こえる……!」
打ち付ける雨も、ひどいぬかるみも彼女の足を止めることは出来ない。水たまりを蹴散らしながら、エリーは一直線に駆け出した。
こみ上げてきた酸っぱいものを吐き出して、僕はよろよろと立ち上がった。
僕も追いかけなければいけない。こんなところでへばっている場合じゃない、単独行動は危険すぎる。
頼りない足取りで、僕はエリーの背中を追いかけた。




