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43 聞こえてきたのは

 目を瞑ってから、どれほどの時間が経っていたのかは分からない。ただ、彼女の唇に触れるよりも前だったのは、確かだった。

 降りしきる雨音を貫いて、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。近場ではない。ここから随分離れているが、村中に響き渡るような絶叫だった。

 僕も、エリーもすぐに目を開けた。

 人生で最高の時間を邪魔されたことに対する不快感が一番にこみ上げてきた。とはいえ、無視するわけにはいかない。エリーを寝台に残して、何事かと窓の方に歩み寄った。

 僕が認識を改めたのは、そこから一拍遅れて、村中のあちこちから、絶叫が響き渡ってからだった。男も、女も、関係ない。人数も十やそこらでは到底足りない、村人全員と言われても不思議ではないほどの人数の、まるで断末魔の叫びのような、絶望の叫び声が村中にこだました。

 窓を開けると、激しい雨が容赦なく室内に降り込んできた。構わず、窓の外に身を乗り出すが、月も星も何も照らさない夜間の田舎村など、禄な光源がない。目隠しされたような暗闇に目をこらしても、ほとんど何も見えず、気配や物音を探ろうにも、雨に阻まれ、外の状況はほとんど掴めない。

 耳をつんざくような絶叫の合唱は、一度きりで終わった。ただ、まばらに人の声がまだ聞こえている。助けてと悲痛な声色で叫ぶ女性、言葉にならない悲鳴を上げる男性など、人数は大きく減ったが、人々の声は未だに村中あちこちから聞こえてくる。

 ここにいても何も出来ない。何が起こっているのか、直接確かめにいくしかない。雨がこれ以上入らないように窓を閉めていると、エリーがドアを開ける音が聞こえてきた。

「……すぐ、準備してくるから待ってて」

 仕事の真っ最中に見せる、冷静な声色でエリーが言い、返事を待たずに出て行った。

 彼女を棒立ちで待つわけにはいかない。雨避けの合羽を羽織り、ランタンを手に取る。剣を持っていくか、一瞬迷ったが一応手に取り、腰に帯びた。革鎧をわざわざつけるのは時間が惜しい上に、僕のドーノが知れ渡っているラクサ村で接近戦をやる理由はない。

 最低限の準備を終えて、部屋を出てエリーを待った。彼女もほどなくして自室から姿を現した。寝間着から平服に着替えた他は僕と同じだった。雨合羽を羽織ってランタンを持ち、剣を帯びている。普段なら弓矢を携えることが多いが、この暗闇では使えないと判断したのか置いてきたようだ。

「行こう」

 僕が声を掛けると、彼女は黙って頷いた。

 遠くで、獣のうなり声のような雷鳴が轟いた。


 

 一階の酒場に下りると、夜遅くまで酒を飲んでいた数人の男達と女将さんの無事な姿があった。男達は酔いもとうに冷め、互いに不安そうに青ざめた顔を見交わしている。

「一体何があったんだ?」

 男達の一人が問いかけてくるが、僕たちにだって何も分からない。

「今から調べてくる。僕らが帰ってくるまで、外には出ずに待っていてほしい。魔物が来るかもしれないから、出来れば応戦できるように武装しておいて」

 僕が答えると、訊ねた男は意気消沈したように肩を落とした。家族が心配だからと飛び出さなければよいが、と内心で思う。

 僕らが酒場を出ようとすると、女将さんがカウンターから出てきて、声を掛けてきた。

「あんたらも、十分気をつけるんだよ」

 気遣わしげに掛けられた言葉に、僕は頷き、エリーは微笑んで答えた。

「ええ。お酒とおつまみの準備でもしながら、待っておいて」



 酒場を出た途端、エリーが雨と泥に混ざった不快な匂いを嗅ぎ取り、エリーがつぶやいた。

「血の匂い……」

 酒場の近辺からは人間の叫び声は聞こえてこない。ただし、何かが動き回る気配を感じる。人間ではない、もっと重たげで鈍重ななにかが、雨に打たれながら水たまりをかき分け、這いずり回る音が聞こえる……。

 ランタンの頼りない光が、僕ら二人ではない何かの姿を暗闇の中から照らし出す。

 それは、魔物ではなかった。生命を冒涜するような奇怪な姿をした、何かだった。筋肉や臓器、皮膚に脂肪が表面に露出した肉塊が積み上がり、申し訳程度についた木の根元のような形状の脚部が、三メートルは優にある体を支えている。露出した筋肉や臓器がまるでまだ生きているかのように蠢き、時折肉片をこぼし、血を流しながら、ゆらゆらと揺れながら地面を這っている……。

 僕は、ドーノの発動をすかさず念じた。すると、肉塊の塔は一瞬で炭の塔と化し、崩れて動かなくなった。エリーは剣の柄に触れていた手をどけ、化け物の残骸に歩み寄った。

「どう見ても……洞窟内で見つけた、あの肉塊よね」

「だろうね」

 エリーの言葉を僕は肯定した。

「これに村の人たちは襲われているんだろうな。人の声、エリーには聞こえる?」

 準備を済ませて酒場を出るまでに、人々の悲鳴は段々まばらになっていき、ついに聞こえなくなっていた。

 僕の問いかけに、エリーは首を横に振った。

「とりあえず、村を見て回りましょう。生存者が隠れているかもしれない」

 エリーが言った。希望を感じさせない、張り詰めた声で。


 僕と彼女は、冷たい雨に打たれながら、か細いランタンの灯りを頼りに村を回った。

 生存者、どころか死者の姿さえなかなか見つからなかった。まるで住人達がわずかな時間で煙のように失せてしまったかのように、人の声も気配も感じられない。

 静まりかえった村を歩いているうちに、一つの民家から人間の声が聞こえてきた。赤ん坊が泣きじゃくる声だった。僕とエリーは、一瞬だけ顔を見合わせると、民家に向かって走りだした。

 エリーが剣を抜き放ち、慎重にドアを開けると、その瞬間、濃密な血のにおいが鼻を突いた。

 この民家にいるのは、生きている赤ん坊だけではないと確信した。僕は震える手でランタンを掲げ、室内を照らした。

 ようやく、僕たちは行方知れずだった村人を発見することができた。どう見ても、生存の希望は持てないむごたらしい姿で。

 粗末な藁の寝台に、家族四人が並んでいた。父親、母親、兄と思われる少年、妹と思われる幼い子供。いずれも、胴体から手足と頭部が鋭利な刃物で切り落とされたかのように離れていて、胴体は真っ二つに割れている。床に落ちたり、寝台に転がっている頭部は、どれも安らかな寝顔とはほど遠い、苦痛と恐怖に歪んだ表情を浮かべている。

 赤ん坊は、四人の物言わぬ家族から少し離れたところに置かれたゆりかごにいた。泣いているのは、空腹を訴えているためか、それともむせ返るほどに濃密な血の匂いに対する不快感、あるいは家族を亡くした悲しみのせいなのか……。

 僕は、こみ上げてきた吐き気を口元に手を当てて堪え、残る片手で持つランタンを取り落とさないようにするのが精一杯だった。

 エリーは剣を一度鞘に仕舞い、血の海を乗り越えてゆりかごに近づいた。泣きじゃくる赤ん坊を抱き上げ、体を揺らし、背中をさすりながら、歌を口ずさんでいた。あやしているのだろうが、まるで効果は見られず、赤ん坊は泣き叫び続けた。しばらくあやしつづけていたが、エリーはやがて諦めて、赤ん坊をゆりかごに置いて戻ってきた。

 今のこの状況で、赤ん坊を連れ歩く余裕は僕らにはない。そして、泣き止ませる時間の余裕もない。

「……ごめんね」

 血のにおいが漂う民家のドアを閉めるとき、エリーは雨音にかき消されそうな声で、ただ一人残る住人に声を掛けた。

 ドアを閉めても、赤ん坊の泣き声は途絶えることなく、雨音と共に村に虚しく響き続けた。

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