41 調査
それほど長い時間ではなかったと思う。ただ黙って抱き合っていた僕らは、どちらからともなくお互いを解放した。
「そろそろ、行かなきゃ。……村に、帰らなきゃね」
エリーが、夕暮れの空を見上げた子供のようにつぶやく。
確かに、僕らはピクニックでこの洞窟を訪れたわけじゃない。重大な事件が起こりつつある証拠を発見しているのだから、速やかに村長に報告しなければならない。
「そうだね。確かに、早く帰らないと」
僕が名残惜しく言うと、彼女もまた後ろ髪引かれる様子で地面に置きっぱなしだったランタンを拾い上げて、歩き出した。僕もその後を追った。
洞窟の外に出ると、まだ日は落ちていなかった。想像よりも洞窟の中にいた時間は長くなかったようだ。
エリーの背中を見ながら、森を歩いた。木漏れ日を浴びながら、時折吹き付ける爽やかな風を感じていると、僕の体に残っていたエリーのあたたかさが拭い去られていくような気がした。それと同時に、洞窟内での出来事が、まるで夢の中の出来事だったかのように、遠ざかっていくのを感じた。
夕暮れが訪れるよりも前に、村に戻ってきた。
酒場に入ると、昨日と同じ顔ぶれの酔っぱらい達がぴたりと黙り込んだ。僕とエリーに、無遠慮な視線を送ってきていた。仲直りできたのか、と興味津々で探りを入れてきているようだ。
彼らに絡まれないかと気を揉んでいる僕を放って、エリーは酔っぱらい達の視線に晒されながらも、まっすぐにカウンター席に歩みを進め、腰を下ろした。そして、カウンターの中にいた女将さんに言った。
「女将さん、ビール二つ! あと、お腹もすいたから、おつまみじゃなくて夕食がほしいわね」
「おや、エリー。えらく上機嫌だね。何か良いことでもあったのかい?」
笑顔を浮かべるエリーに、女将さんは穏やかに問いかける。
エリーは、後ろからのろのろと歩いてくる僕をちらと振り返る。目が合うと、彼女は目を細めて微笑した。
「……ええ、それはもう、とても」
女将さんに向き直ると、エリーは気恥ずかしそうに目を伏せ、かすかに頬を赤らめる。
女将さんは、深々と頷いた。
「そうかい、そりゃいいことだね」
そして、エリーの後ろにいる僕に片目を瞑って視線を送ってきた。でかした、と褒めるみたいに。
僕はどう応えて良いか分からず、女将さんの似合わないウインクから目をそらしてしまう。確かに世話になったけど、なんだか恥ずかしい……。
そうして棒立ちになっている内に、エリーが僕を手招きした。
「ほら、カナタ。早く来てよ。一昨日、飲めなかった分、飲みましょ?」
エリーははしゃいだ様子で、予定外の出来事で無くなってしまった約束を口にした。
いや、村長に洞窟で発見したもののことをこの後報告しなくちゃいけないし、お酒なんて飲んでいて良いのか? 脳裏に疑問が閃いたが、僕は頭を振って追い出した。
「そうだね。とりあえず、飲もうか」
エリーが、僕を待っているのだから。そんな頭の固いことは言わないでおこう。泥酔するまで飲むわけじゃない、ほんの景気づけだ。
僕が席に着くと、ちょうどいいタイミングでビールが運ばれてきた。僕らは杯を掲げて、軽く打ち合わせた。
「仲直り記念に、乾杯」
エリーが微笑んで言った。
背後で、男達がわざとらしく口笛を吹き鳴らし、はやし立てる声が聞こえてきたが、僕は無視して杯に口をつけた。湧き上がってきた照れくささを飲み下すように、ビールを喉に流し込んだ。
昨夜と同じような時刻に、村長は酒場に現れた。僕とエリーが並んで座っているところを目にしても、直接は何も触れなかったが、僕らを見る目には優しさが籠もっているような気がした。
仕事の報告は、周囲に人の耳がある酒場ではなく、村長の自宅に移って行った。村人には聞かれない方が良い、と僕が判断したからだ。
洞窟内で発見した死体を作り出した犯人として、考えられる可能性は二つ。一つは、僕らが知らない魔物。もう一つは、人間。よそ者か、あるいはこの村に住む誰か、か……。
当然、犯人を捕まえるか排除しない限り、依頼達成とは言えない。追加報酬と引き換えに、ひとまず十日間を一端期限と定め、ゴブリンと村人の不可解な死体の真相を調査することになった。
期限は長いように思われたけれど、実際はあっという間に日が過ぎていった。魔物や不審者の影がないか、森を探索し、村を巡回したけれども、特筆するような事は何も起こらなかった。森には魔物一匹姿はなく、村は至って平穏そのものだった。
死体をバラバラに切り刻んだり、ブロック状にして弄ぶ魔物が存在するかどうか調べてほしい、と『女神の抱擁亭』のマスター宛に手紙を出して確認したが、空振りに終わった。魔物の研究者に問い合わせても、死体を弄ぶ魔物はいくつかいるが、死体をミンチにしてしかも改造まで施す奇特な魔物は発見されていないという返事だったとマスターからの手紙には書かれていた。
近隣の村にも足を伸ばして、似たような被害がないか聞き込みを行ったが、やはりそれも成果はなかった。
いよいよ手詰まりになってきたところで、村長に村民達全員のドーノを調べるよう、僕は提案を出した。あの死体は人力で作り出せるような代物ではない、だからドーノの力を使ったに違いない。死体の形を変えてしまうドーノなんてそうそうあるものじゃない、犯人を特定できるかは確約できないが、やってみる価値はあると僕は説いた。どうせ他に手がかりなどないのだ。
村長は当初、難色を示した。村の中に悪夢のような死体を生み出し、弄ぶ狂人が存在するとは思えない、と反対した。あったとしてもよそ者に違いないだろう、と。信じたくない、という気持ちは僕にも分かる。隣人がたがの外れた殺人鬼かもしれないなどと、誰だって考えたくはないだろう……。
しかし、なんとか説得し、村長からの協力を取り付けることに成功した。
村民の数はおよそ二百人ほど。教会からドーノ鑑定の水晶を借り受け、村民達には手をかざしてもらう。この方法で、村人全員のリストを作って、自宅や仕事場を訪ねて一人一人のドーノを鑑定していった。
丸一日、僕とエリーは村人の元を訪ね、あるいは協力的な村人達が僕らの方を訪ねてきて、次々とドーノを鑑定していった。
夕食と湯浴みを済ませて、自分の個室で寝台に寝転がっているところだった。頼りないろうそくの明かりを頼りにして、二百人分のリストを眺めていた。一日で全員を調べきることは出来ず、およそ半分程度しか埋まっていない。
九割方の人は、火、水、風のどれかだ。それらは鑑定水晶に手をかざしてもらったら、すぐに分かる。水晶が放つ光の色と形状が決まっているので、判定は容易いし、偽証も不可。この三つのドーノは、奇怪な死体損壊が行える力ではありえず、注目には値しない。水晶が割れる、まで行かなくても、並外れたマナの質と量を水晶が示す人物がいれば、想定外の使い方で死体損壊に繋がる可能性もあるのではないかと考えたが(例えば、水晶の判定上は火のドーノの持ちの僕のように)、そういった人物も特に見当たらなかった。
考えるのに値するのは、残りの一割。水晶を見ても、判別が付かない希少なドーノの持ち主だ。
彼らは、鑑定水晶が頼りにならないので、実際にその力を見せてもらうしか判別法法がない。そのため水晶による鑑定をして三元素ではないと判断した人たちには、ドーノを目の前で使ってもらった。
リストには、今日判明しただけでも十人弱存在する。皆、被り無くばらばらだ。土、光、音、雷、それぞれを操るドーノ。それから、人の傷をたちどころに治す、癒やしのドーノ。これらは実際に見せてもらって確認した。やはりこれらも、死体損壊に結びつく能力とは思えない。
今日、分かった範囲だけでも、気に掛けるべき人数は五人いる。それは、二百人の村人の内、三元素のいずれでもなく、かと言って、他のドーノだと断定出来たわけでもない人々だ。彼らは能力がどうしても確定できなかった。
一人は、植物の成長を促進するドーノの持ち主。実際に披露してもらったけれど、目視で分かるほどの効力がなく、嘘をついていないと確証を得ることは出来ない。本人とその家族曰く、もっと長いスパンで見れば成長速度は一目瞭然、とのことだが、判断は一端保留した。死体損壊に使えるかはともかく、改造の方には関連があってもおかしくなさそうな気がする。
あとは、能力不詳が三人。水晶を見てもドーノの中身は分からず、本人に聞いてもどんなドーノなのかを分かっていないという。偽証なのか、本当のことなのか僕らには見分けようがない。ただ、ごくわずかだが、自分のドーノが何か知らない人間が一定数存在することは知識として知っている。使用する条件が厳しかったり、何に干渉する力なのか本人さえも知らない、ということがありえるからだ。疑わしくはあるが、犯人と断定するには及ばない。
最後の一人は、実際に披露してもらうのを避けたので、不明。
雑貨屋のマルコだ。僕とエリーが鑑定水晶を持って彼の店を訪ねると、水晶でまず能力を鑑定しようとする僕らに先んじて、彼は自分のドーノについて語り出した。
「知られると、きっと気味悪がられると思うんで、あんまり言わないようにしてるんですがね……実は私、手で触れた相手の気持ちが分かるんですよ」
「はあ……」
そんなドーノ、本当にあるのか? 僕の隣にいたエリーのぽかんとした表情が、そう語っている。困惑気味のエリーの様子などお構いなしに、マルコが続ける。
「ほら、ご存じかも知れませんが。私、こう、人の手をついつい触ってしまう癖がありまして。それはね、このドーノのせいなんです。あんまりこの癖がよく思われないのは承知ですけど、相手がどんなことを考えているのか、どうしても知りたくて……」
そう言うと、マルコは手を差し出した。
「さあ、お嬢さん、お手を。私のドーノをご覧に入れてさしあげますよ」
「え、ええ……じゃあ、何考えてるか当ててみて」
エリーも、ためらいがちにこわごわと手を差し出そうとした。
その光景が僕の目にも入ってきて、先日酒場で見かけたマルコのねっとりとした握手が脳裏をよぎった。
考える暇など、無かった。
僕は、エリーが差しだそうとした腕を掴んで、押しとどめた。彼女が驚愕の眼差しで僕を振り返る。僕はそれに気づかないふりをして、マルコに言った。
「いや、結構。急ぎの用事を思い出したので、またの機会に」
「おや、それは残念」
マルコはちょっと肩をすくめて言った。
エリーは事態が飲み込みない様子で、目を白黒させている。掴んだ手首を引っ張って店の外まで連れ出す。すると、エリーがすかさず口を開いた。
「ちょっと! どういうこと?」
「あ、いや……」
彼女の声で腕を掴んだままだったことに気づいて、僕はどきりとした。慌てて離す。
「えーと……酒場で見たんだけど。あいつ、手を触るとき、滅茶苦茶ねっとりしてて……君も嫌かなって」
どうして、と言われたので理由を話した。
「それは嫌ね。でも、確かめなきゃだめじゃない? それぐらい我慢しなくちゃ」
けれど、エリーはぴんと来ていない様子だ。自分の言葉に疑問を持った素振りはない。
分かれよ、このくらい。内心で舌打ちした。
放っておいたら、後でもう一回この店に一人で確かめに来そうだ。僕はやむを得ず、理由をもう少し丁寧に説明することにした。
「あんな変なおっさんに、エリーがべたべた触られるの……僕が我慢できそうにないから」
声が、段々小さくなっていった。目を合わせるのも恥ずかしくなって、地面に視線が落ちる。
さすがに、エリーも理解したようだ。驚いた様子で息をのんで、それから囁くような小さな声でつぶやいた。
「仕事でしょ? ……馬鹿」
そう言って、そっぽを向いた。