表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/87

39 探索開始

女将さんから鍵を受け取って、部屋に行った。酒場にいれば多分、村人がそのうち僕に絡み始めるだろうし、かと言って今更エリーの部屋に行っても追い返されるのが関の山だろう。

 依頼主の村長が酒場に来たら、エリー共々女将さんに呼んでもらうようお願いし、部屋で休むことにした。

 ようやく女将さんから呼び出しがあったのは、日がとっぷりと暮れ、夜空に煌々と月が輝く頃だった。

 重い足取りで階段を下りると、既に村長とエリーの姿があった。一年ぶりの村長は、懐かしげに挨拶をしてくれたが、エリーは視線一つ僕の方に向けようとしなかった。

 村長から話を聞くと、概ねはマスターから聞いていたことの再確認に過ぎなかったが、行方をくらませた村人が一人増えて四人になっていた。壮年の男性が一人姿をくらませたという。とにかく森に入って、隠れているゴブリン達を探し出して退治してほしいというのが依頼内容だ。

 明日の朝から、僕らは活動を開始することになった。話はすぐに終わった。村長が立ち去ると、僕とエリーがその場に残された。

 そのときになって、ようやくエリーは僕を横目で一瞥した。

「あの……」

 目が合った瞬間、ほとんど反射的に、エリーに声を掛けた。が、彼女は即座に目をそらして、黙って自分の部屋に足を向けた。

 もう一度、呼び止めようとは思えなかった。がくりと肩から力が抜けて、僕はその場に立ち尽くす。

 こんなことが続けば、さっき女将さんに叩いた軽口じゃないけど、いつか死んでしまうのではないか、という気がする。体はともかく、精神が持たない。

 今日は、まっすぐ部屋に帰ってそのまま休もう。エリーを追いかけてもきっと追い返されるだけだろうし、明日に備えよう。

 明日に控えているのは、ゴブリン退治の依頼だけじゃない。

 僕は決めていた。エリーの誤解を解こうとするのではなくて、自分の気持ちを正直に打ち明けるのだと。



 翌朝、酒場でエリーと合流し、言葉少なに打ち合わせをした後、森に向かった。エリーが先を行き、少し距離を開けて僕がその後ろを追う形で進んだ。もし僕が一人で森の中を歩き回れる人間であったなら、間違いなく別行動にされただろうが、生憎一年前からその技術は特に磨いていないので、別行動は免れた。

 エリーとの会話をなんとか捻り出そうと思って、最初は天気や森の様子について、当たり障りのない話題を振ってみたが、聞こえていないかのように黙殺された。本気で、依頼と関係の無い話には応じないつもりのようだ。僕も途中で心が折れて、話しかけるのを止めた。

 女将さんからの助言を、どこで実行しようかと僕は悩んでいた。依頼を終えてしまえば、きっともうチャンスは巡ってこない。だから、こうして二人で過ごさざるを得ない時間をなんとか生かしたいのだが……僕の気持ちを伝えようにも、頑ななエリーの態度を前にすると、とても言い出せなかった。

 何と言って切り出すかはもう、決めている。全部綺麗に書き出してまとめたわけではないけど、昨夜の内に頭の中には大体伝えたいことは整理してある。でも、それを口にする機会はまだ訪れていない。僕はそれを見逃さないように、慎重にうかがい続けた。

 時折休憩を挟みながら、目撃証言があった付近を中心に、ゴブリンの姿や形跡を求めて探索を進めた。日没までの時間が気に掛かってきた頃、数時間ぶりにエリーが声を掛けてきた。

「洞窟を見つけたわ。入って確認しましょう」

 極めて事務的な口調だった。

「どこにあったの? よく見つけたね」

 なるべく喧嘩していない頃のように、さりげなく返事したつもりだったが、相変わらずエリーは何も答えない。踵を返して、すたすたと歩き始める。仕方なく、黙って彼女の背を追うと、やがて彼女が言う洞窟に行き当たった。入り口は蔦に覆われて隠れており、一見しただけでは、蔦の裏に奥に続く穴が空いているとは到底気づかないだろう。

 太陽の光が差し込まないので、中は当然のように暗い。二人ともそれぞれランタンに火を点し、エリーが先を行く隊列のまま、奥を目指した。

「気をつけて。足下が悪いから、転ばないように」

 足下は凸凹がひどく、傾斜も激しい。ちょっとした段差に足を取られれば、簡単に転んでしまうだろう。崖のように高低差が激しい箇所も有り、足を踏み外して落ちれば怪我は免れない。

「ありがとう、気をつけるよ」

 エリーの口調が、ほんの少し和らいだ気がする。少しほっとして、返事をしたが、案の定そこから会話は続かない。

 彼女の沈黙をいちいち気にしていては、気が滅入るだけだと自分に言い聞かせ、歩みを続ける。

 洞窟内を大分上り下りしたが、奥に進む道は一本だけで、しかもそれほど長い距離ではなかった。程なくして、洞窟の最奥に突き当たる。暗闇を好むゴブリンがねぐらにするには絶好の場所で、いつ飛び出してきてもいいように身構えていたが、ついに僕らは生きたゴブリンに出くわすことはなかった。

 その代わり、奇妙な物体に洞窟の最奥で出くわすことになった。

 鼻が曲がりそうな腐敗臭が、ひんやりとした洞窟の空気に混じって漂ってきていたので、何らかの死体があることは予期していた。が、ランタンの光で照らしだしてみると、エリーが顔をしかめてつぶやく。

「何これ……?」

 僕ものぞき込むと、その異様さにたちまち顔が歪んだ。

「肉の……塊?」

 死体と形容するよりも、肉塊と呼ぶべき代物だった。

 一抱えもあるほどのブロック状の肉塊が、いくつもごろごろと落ちている。筋肉や脂肪、内臓や骨が、まるで極めて雑に挽いたミンチ肉で作った肉団子のようにごちゃ混ぜにされていた。

 自然に生成されるような物では、決してない。誰かが故意に、なんらかの意図を持って、このグロデスクな肉塊を作ったことは間違いないだろう。漂う腐臭と見た目の気味の悪さに吐き気がこみ上げてきたが、禄に調べずに帰るわけにはいかない。僕とエリーは、嫌嫌ながらも肉塊に近づき、ランタンの光を掲げた。

「これ……ゴブリン?」

 エリーが顔をしかめながら言う。雑に挽いたせいか知らないが、比較的原形を保った部位が雑に肉塊に突き立っている箇所がいくつか見受けられた。緑色の皮膚に覆われた尖った耳、くるぶしから足まで、肘から指先まで。人と似た体格で、かつ皮膚が緑色の生命体。思い当たるのは、ゴブリンしかない。

「でも、なんか変じゃない……?」

 突き刺さっていた足の指をよく見ると、異常に膨張していたり、指の真ん中から避けて二本になっていたり、あるいは巨大な棘を生やしていたり……ゴブリンの肉体を素体にして、誰かが悪趣味な粘土遊びをして作り変えたような痕跡が見られる。それは足だけではなく、肉塊に突き刺さった耳や肘もそうだ。ゴブリンの体に、手を加えたような跡がある。

 村人から、三匹のゴブリンの目撃情報が寄せられている。そして、森を半日以上歩き回って探しても、奴らを見つけることは出来なかった。ここに落ちている肉塊が、奴らだという可能性は十分あり得る。

 が、どうしてゴブリンが謎めいた肉塊になってここにあるのか? 僕にも、エリーにも説明など出来ようはずもない。

 散らばる謎の肉塊だけで、十分僕らは困惑していた。しかし、ここにあるのはそれだけではなかった。

 しばらく呆然と肉塊を前にたたずんだ後、エリーがゆっくりと歩き出した。他に見落とした物はないか、確認するように。数歩歩くと、エリーはまるで影を縫い付けられたかのように、歩みを止めた。

 また、嫌な物を見つけたのだろう。僕はエリーの後ろ姿を見て、確信した。恐る恐る、黙り込むエリーの隣に立ち、ランタンの光が照らしだした光景が目に入るやいなや、僕は後ろを向いて、喉の奥からこみ上げてきたものを吐き出した。

 エリーは、ランタンの光に照らし出されたそれらを見つめながら、ぽつりと言った。

「行方不明の……村人達ね」

 老人、子供、若い女性。かつてそうだった、と言えるものがエリーの足下に散らばっていた。虚空を掴もうとする手、永遠に地面を踏みしめることはない脚、腹の中央で真っ二つに割れた胴体、苦悶の表情が刻みこまれた頭部……三人分の死体が、人形のパーツのようにばらばらにされて、どれが誰の物か、頭部以外は一見しただけでは分からなかった。

 僕は胃の中のものを残らず吐き出した後も、体をくの字に折って、しばらく酸っぱい液体を吐き続けた。

 座り込んでいるわけにはいかないのに。陰惨な光景から目を背けていてはいけない、と自分を叱咤するけれど、立ち上がるために足を踏みしめることさえできなかった。

 一瞬見ただけなのに、焼き印でも押したかのように、鮮やかに哀れな犠牲者達の姿が記憶に焼き付いた。さっき見たグロデスクな肉塊よりも、村人達のバラバラ死体の方が僕にとってはずっと恐ろしかった。切り離された頭部が浮かべた苦悶の表情は、彼らがかつて生きていた事実を思い出させ、まるで死の間際の苦しみを僕に訴えかけてくるかのようだった。

 魔物を殺すのは、平気だ。死体も、さきほどの肉塊ほどおぞましいものでなければ、怖くない。奴らは僕とかけ離れていて、同情の余地など欠片もない。

 でも、人間は怖い。かつて前世で見た祖母のように、まるで眠っているかのように穏やかな顔をして亡くなっているならともかく、苦痛や苦悶に表情を歪ませた生々しい亡骸は……僕には刺激が強すぎた。

 この世界の人々は、小さな子供ですらもどこか達観しているように思う。飢饉に戦争、あるいは日常のいざこざで、あっけなく人間が死んでいる。だからか知らないけれど、路上で倒れている物乞いの死体にいちいち人々は騒がない。酒場で刃傷沙汰が起きて、血みどろになって倒れた男の死体にも、興味本位で覗き込む野次馬はいても、顔を真っ青にして背ける軟弱者は僕の他にはない。

 胃液を吐き続けている間、禄に呼吸が出来なくて、息が詰まったように苦しかった。もう吐きたくない、と頭が思ってもだめで、延々と同じ動作を繰り返し続けた。

「……大丈夫?」

 エリーがそっと僕の傍らに立った。せっかく彼女が声を掛けてくれたのに、生憎僕は喋る余裕がなかった。際限なくこみ上げる吐き気を堪えながら、何度か頷いてみせた。が、すぐに堪えきれなくなって、また吐いた。

 吐き気が収まった後も、しばらく僕は激しく咳き込み、荒い息を繰り返していた。それも落ち着いて、ようやく一息つけるようになるまで、どれだけ時間が掛かったかは分からない。その間、エリーは僕の方をちらちら見ながら、少し離れていた岩に腰掛けて待っていてくれた。

 これ以上待たせてはいけない。エリーに声を掛けた。

「ごめん、待たせた……とりあえず、村に戻ろう。何が何だか分からないけど……見たままを、村長さんに報告しよう」

 彼女は僕の方にやってくると、ランタンを掲げて僕の顔に近づけた。

「顔色、良くないわよ。もう少し、休んでから動いた方がいいんじゃない?」

 エリーが気遣わしげに言う。が、僕は頑なに首を横に振った。

「いや、大丈夫。ここ、死体の匂いがきついから早く離れたいし……なにより早く、村に戻って知らせた方が良いと思うんだ」

 本当は目眩がしていて、ちょっと足下がふらふらする。でも、そんなことを気に掛けている場合ではない。

 たかが、ゴブリン三匹の退治。まさか、一年前のような大事にはなるまい。そう思い、今回の依頼では気が緩んでいたことを僕は今更のように自覚した。

 また、この村で尋常ではないことが起きようとしている。体を伝う冷たい汗と共に、嫌な予感がよぎっていた。

 エリーは物言いたげに、僕を見た。が、結局何も言わずに踵を返した。

「無理だけはしないように」

 強く言い聞かせるように言うと、ランタンの光と共に、僕の前を歩き始めた。



 ペースを落として歩くエリーの後をのろのろと追いながら、僕は考えていた。先ほど見た、ゴブリンと思われる肉塊とばらばらになった村人の死体の関連性について。

 ゴブリン達が、仲間内での同士討ちだとか、はたまた飢え死にか病死に見えるごく普通の死体だったら、村人達の死体はゴブリンの仕業と見るのが自然だろう。自分より弱い生き物に対して、むごたらしいまでの残虐性を見せるのがゴブリンという生き物である。戯れに攫って、死体を弄び、その後自分たちも死んだと考えれば、あり得ないこととは言い切れない。ただし、その程度が著しく残虐だという点は変わらず気に掛かるが……。

 問題は、ゴブリン達も不可解な死体として発見されたことだ。一体、何があればあんな死体が出来るのか、皆目見当が付かない。

 はっきりしているのは、あれは自然に発生する死体ではありえず、誰かがゴブリン達を肉塊に変えたことだ。恐らくその誰かは、村人達のバラバラ死体とだって無関係ではあるまい。

 誰が、こんなことを? ゴブリンではない、魔物の類いか? 少なくとも、僕はそんな魔物知らない。エリーが何も言わないところを見ても、多分彼女も心当たりはないのだろう。僕らが知らない魔物? それともまだ発見されていない、新種の魔物? それこそ一年前に現れた『王』のような。

 魔物以外の可能性は、一つだけ頭に浮かんだ。それは……人間だ。何らかの目的を持って、ゴブリンと村人達をあのような目に遭わせたとしたら。

 意図も方法も当然見当も付かない。無理に捻り出すとしたら、誰かが、ただ死体を残虐に弄ぶためだけに、農具やら斧やらでたまたま森にいたゴブリンを滅多打ちにしてあの形状にして、ついでに非力な村人を選んで攫い、殺害してバラバラにした……?

 そんなことがあり得るのだろうか? 人力でゴブリン達の死体を三つもを内蔵も筋肉もごちゃ混ぜになって原型を失うまでに損壊するなんて、途方もなく時間が掛かるだろうし何よりも、ゴブリン達の身体に起きていた謎の改造を説明することができない。

 あれは、魔法のような力でも使わないと無理だ。そして、この世界の人間が行使できる魔法のような力と言えば、ドーノしかないのだが。

 村人の誰かが、ドーノを使ってゴブリンと村人たちをあのような目に遭わせたのだとしたら……?

 僕は長時間の嘔吐で想像以上に体力を消耗していて、目眩がまだ残っていることを忘れていた。その上に、行きはランタンで足下を慎重に確認しながら進んでいたのに、帰りは先ほどのショッキングな光景について思考を巡らすことにのめり込んでいて、足下への注意は自然と散漫になっていた。

 ずる、と足が滑る嫌な感触に気づいたときには、もう遅かった。体がぐらりと傾いで、踏み出した足は空を切った。運が悪いことに、僕が体勢を崩した箇所は地面に到達するまでに高低差があった。

 落下の途中で、じん、と頭全体が痺れるような痛みが走った。岩壁に頭をぶつけたのだと理解する間もなく……僕の意識はぷつりと途絶えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ