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37 出発の時

 言葉と行動を一つずつを手に取るように思い返しながら、僕は胸が軋むように痛むのを感じた。

 やっぱり、どう言い訳をしようとも……あの時にはもう、僕はエリーのことが好きだったのだと認めざるをえなかった。そうでなければ、エリーに首飾りなんて買わない。エリーとソフィアの会話にだって、あれほど傷つきはしない。

 あれ以来、僕はエリーを異性として感じないよう、強く自分を押さえつけるようになった。それまでは、他人から同居しているからにはエリーと夫婦か恋仲なんだろうと言われても、そんな事実はないので否定していた。ただし、少しばかり照れながら。

 でも、今から思い返せば、だが……あの首飾りを巡る一件があった後、僕はエリーとの間に異性間の感情が欠片一つでもあると認めたくなくて、ムキになって否定するようになった。例え、エリーが目の前にいても構わず。

 僕はきっと、心の片隅で期待さえしていたのだ。他の冒険者パーティに誘われても断って、僕と同じ家に暮らして、冒険を続けているのは……きっとエリーもひょっとしたら、僕と同じ気持ちなんじゃないかって。そんな淡い期待も、首飾りを巡る一件で、容赦なく粉みじんに打ち砕かれたわけだが。

 彼女から僕に対して感情はないことを知って、自分がどうしようもなく惨めで、情けなくて、そのことに耐えかねて、自分が抱いていた想いをなかったことにしたかった。だから、芽生えかけていたエリーへの感情を、僕は首飾りの存在と共に徹底的に否定した。

 自分の気持ちに、上手く蓋が出来たものだと僕は思い込んでいた。事実、結構上手くやれてたと思う。酔い潰れて帰った翌日はちゃんとエリーに謝った。酒場の酔っ払いに飲まされて潰された、酔いに任せて心ないことを言ってしまった、と弁解し、エリーもそれを受け入れた。その後も、僕らは表面上は平穏な日常を送った。

 けれども、もう自分を騙すことは出来ない。逃げてきた想いに、向き合わざるを得ない時が来てしまったことをようやく自覚した。



 王都中に鳴り響く、教会の鐘の音で目を覚ました。窓の外から差し込む光で、いつの間にか眠りに落ち、朝が訪れていたことを知る。窓を開けると、朝のすがすがしい空気が、体に残っていた眠気と疲労感をさらっていった。

 大きく伸びをすると、最低限の身支度だけして一階の酒場に下りる。『女神の抱擁亭』を根城にする冒険者達や依頼を出しに来てそのまま宿泊した客達が数組、朝食を取っていた。

 ソフィアは相変わらず不在で、マスターは一人で忙しそうに酒場を回していたが、僕がカウンターに座ると微笑して迎えてくれた。

「おはよう。よく眠れたかい?」

「おかげさまで」

 ついでに朝食の注文を伝える。マスターは頷くと、顔をほころばせて言った。

「いい顔してるね。腹は決まった、って感じだ」

 昨夜、人を見る目には自信があると言っていたけど、本当なんだなあと改めて実感する。顔を見ただけで、人の気持ちが分かるものなのか。それとも、よっぽど僕が晴れやかな顔をしているか。

「うん。うだうだ悩んでる場合じゃない。どうすれば説得できるかは分からないけれど……とにかく、エリーを迎えに行ってくるよ」

 少し照れくさいけれど、決意を言葉にした。

 上手く説得できるか、とか、異性として彼女のことが好きなのか、だとかそんなことはどうだっていい。

 僕は、彼女に帰ってきてほしい。これからも彼女には傍にいて欲しい。

 それだけはっきりしていれば、やることは一つだ。

 マスターは満足そうに言った。

「頑張ってきなさい」

 それだけ言い残すと、酒場の仕事に戻った。



 朝食を終えて、会計を済ませた後、『女神の抱擁亭』を出た。足りない道具を市場で買って、適当に時間を潰してから自宅に戻ることにした。

 自宅に戻るとエリーとばったり顔を合わせる可能性も出てくるが、本人が指定してきたとおり、現地で落ち合ってからの方が良いだろうと思った。家でばったり出くわすと、滞在中のソフィアもセットだろうし、何より諸悪の根源も同室しているかもしれないし……。

 エリーが出発したであろう時間を見計らって、恐る恐る玄関のドアを開けた。物音一つ聞こえない。

 多分、皆外出した後だ。ほっと一息ついて、足を踏み入れた。

「お帰りなさい」

 誰も居ないと思った家から、鈴を転がしたような高い声が聞こえた。ぎょっとして立ち止まると、家の奥から金髪の美女が歩みを進めてきた。

「エリーさんとソフィアさんは、随分前にこの家を出られましたよ。どんなご用でしょうか?」

 整った顔にとろけるような微笑を浮かべて、マルチェラが僕の前に立った。僕はわざとらしく、顔を背けた。

「道具を取りに帰ったんだよ。前、退いてくれる?」

 行く手を塞ぐように立たれると、自室に戻れない。マルチェラはくすくす笑った。

「あらやだ、つれないのね。ひどいわ」

 退くどころか、一層距離を詰めてくる。隣に来ると、甘えるように僕の腕を取ろうとしたが、虫を追い払うように振り払った。

「触るなよ。……君、僕に何をしたか、分かってるよね?」

 声に怒りが滲むのが、自分でも分かった。こんな風に他人に対して、反射的に腹が立つのは初めての経験だった。

 普通、自分に怒気を露わにした人間を見れば、怯むなり身構えるなりすると思う。けれど、マルチェラはどちらにも当てはまらない。

「私は……あなたに少しでも、関心を持ってもらいたかっただけですのよ?」

 唇を尖らせて、すねたようにマルチェラは言った。

「ちょっとした悪戯じゃ、ありませんか。そんな本気になって怒ることじゃないでしょう?」

 悪気なんてこれっぽちも感じさせない。悪いのはむしろ、器の小さなお前だ、と責めるような目。

 あれが、悪戯? 本気になって怒るようなことじゃない?

 僕は大切な人との関係を壊された。そして、壊した本人はいけしゃあしゃあと、壊された方を逆に非難している。

 一瞬、気が遠くなった。宇宙人と会話しているみたいな気がした。言葉は通じるが、僕の中の常識が全く通じない。

 マスターの言うとおりだった。この女は人の皮を被った悪魔と呼ぶのに相応しい。これ以上関わってはいけない。怒るだけ、無駄。会話しても徒労に終わるだけ。

「……僕が依頼から帰ってくるまでに、この家を出ていってくれ。言い訳なんか聞きたくない、もう君と同じ空気も吸いたくないんだ」

 こみ上げる怒りの感情を押し殺して、事務的な口調で僕は言った。

 家を出ろと言われたのに、驚く様子もなくマルチェラはのんきに小首をかしげている。

「そんなこと、カナタさんが決められるんですか?」

「僕は家主だけど?」

 何を言っているんだ、こいつは。苛立ちながら言うと、マルチェラは小馬鹿にするように笑った。

「分かっていらっしゃらないみたいですね。まあ、そのうち分かりますよ」

 マルチェラは自信たっぷりに言う。

 拳を握って堪えた。話をしても消耗するだけだと分かっているのだから。

 マルチェラが退かないので、無理矢理押しのけて、僕は自分の部屋に向かった。もう何も喋りたくないので、マルチェラの挑発じみた言葉を無視した。

 自室のドアを開けて入ろうとすると、僕の背後からマルチェラの声が聞こえてきた。

「いってらっしゃい、愛しい人。お帰りをお待ちしておりますわ」

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