30 約束
その後、明日の約束について僕らは話し合った。明日はそれぞれ日雇い仕事を終えた後、依頼の確認ついでに『女神の抱擁亭』で集まってから向かうことになった。
明日の約束について話を終えると、エリーはさっさと立ち上がった。名残惜しい気はしたが、もう随分遅い時間だし、二人とも朝は早いのだ。だらだらと雑談をする時間は無かった。第一、そんなものは明日、たっぷりすればいいんだから。
見送る、なんて言うと大層だけれども、僕も寝台を下り、部屋を出て行こうと扉を開けた彼女の背中に、声を掛ける。
「おやすみ。……また明日」
最近、寝る前に会うことがなかったから、おやすみを言うのは久しぶりだった。エリーは僕に軽く頷き掛け、そのまま出て行く……と思ったら、一度足を止めて僕を振り返った。
「ねえ、カナタ。少し生活が落ち着いたら……あたしの故郷に遊びに来てみない?」
詰まりがちで、おずおずとした口調。いつも歯切れよく話す彼女にしては珍しい声色だった。
唐突な言葉に、思わず僕は言葉を失っていた。僕が黙り込んでいる間に、エリーは弁解をするように口を開いた。
「あたし、この一年故郷に帰れてないし。家族に会いたいなって思っててさ。そのとき、あんたも一緒に来ない?」
エリーが僕の様子をちらちら伺いながら言う。
「え、いや、そんなの悪いって……折角の時間なんだし、家族水入らずで過ごしなよ」
僕は動揺を隠しきれないまま答えた。すると、ちょっと不服そうにエリーが唇を尖らせた。
「じゃ、その間一人で王都で過ごす? 冒険者の仕事も出来ないけど?」
「……うーん」
まあ、確かに。僕はドーノを人に見せられない関係上、エリー以外の冒険者と組んで依頼を受けるというのは難しい。そうなると、日雇い仕事に精を出すか、一人で手持ち無沙汰な生活を送るかのどちらかになるわけで。
「じゃあ……そのときは、一緒に行こうかな」
不承不承、という風を装って僕は答えた。
途端に、ぱっとエリーの表情が明るくなった。
「そうこなくちゃね。お土産たくさん持って帰りたいし、せいぜい荷物持ちにこき使ってあげる」
「えー……やっぱ、やめとこうかな」
「ダメ。もう言質取ったから、撤回不可」
にこにこしながら、エリーが言う。僕はわざとらしく咳払いをした。
「分かったよ。土産でも何でも持たせてもらいますよ」
エリーが喜んでる以上、口先では何を言っても僕に断る権利はない。
そんな僕の様子をじっとエリーは見つめていた。
「実はね……前からカナタには一回来て欲しいなって思ってたの」
少し照れくさそうに、エリーはつぶやいた。
「他の人は、故郷には呼べないけど。カナタだけは……呼んでも大丈夫だからさ」
それだけ言うと、エリーは照れくささを振り払うようにぱっと破顔した。
「あたし、楽しみにしてるから。約束……破らないでよ」
その眼差しはいやに真剣で、背筋が伸びるような思いがした。
故郷に、僕しか呼べない理由は知っている。仲の良い友人であるソフィアですら招けない秘密が彼女にはある。
その重みを理解しつつ、僕は小さく頷いた。
「約束は守るよ。僕も……君の故郷には興味あるし」
エリーの四人の弟妹と父親の話は何度も聞いた。一番年上のお姉さんとして、実質は母親代わりの存在として父親と協力して、貧乏ながらも幸福な日々を送ったのだとエリーは語っていた。一度彼らにこの目で会ってみたいな、と興味を抱いていたのは本当のことだ。
でも、それだけじゃない気がする。エリーの言葉の裏に、彼女がはっきりと言わなかったことを感じ取って、僕はいつになくそわそわしている。
なんだか照れくさいような。恥じらいつつも答えると、エリーは満足した様子で微笑んだ。
「おやすみなさい。また明日」
そう言い残すと、今度こそエリーは僕の部屋を後にした。
翌日、日雇い仕事を終えて、『女神の抱擁亭』に向かう道中だった。
エリーの言葉が、しつこく頭に残っている。
あたし、楽しみにしてるから。約束……破らないでよ。
あの、真剣な眼差しが一晩経った今でも脳裏に焼き付いたように離れない。マルチェラが僕に向けた、熱を帯びた視線にどこか似ているような気がして……。
僕ははっとして、頭を振る。いやいや、何の根拠があるんだ。全く馬鹿馬鹿しい。エリーが僕にそんな目を向けるなんて、ありえないだろうが。そういう対象じゃないって、彼女の口から何度も飽きるほど聞いているのに。
確かに、間違いなくそう思っている。そのはずなのに。
僕はまるで緊張しているみたいだった。なんとなくだけれども、息がしづらい。耳を澄ませば、鼓動の音さえ聞こえてくる気がする。おかしなことに。体調不良を疑ったけれど、他に体の不調は感じない。
唐突に故郷に遊びに来ないか、なんてエリーが変なことを言い出すからだ。別に親弟妹に紹介したい、と彼女が言ったわけでもないのに、何を僕は勘違いしているのだろう。里帰りをするからおまけに付いて来ないか、と言われただけなのに。
あと、そうだ、昨夜マルチェラに迫られた時の興奮がまだ抜けきっていないせいだ。僕が妙に浮ついているのは、そうだそうだ、そうに違いない。
人混みをかき分けてどこか上の空で歩いていると、ばったりと出くわしてしまった。
「お疲れさん。店に着く前に会うなんて、奇遇ね」
目が合うと、エリーが微笑んだ。彼女は小走りになって、僕の隣に並んで歩き始めた。
「あ、うん。そう……だね」
僕は、彼女との距離が気に掛かって仕方なかった。二人で横に並んで歩くなんて、今まで何度も繰り返してきたはずなのに、今日に限っていやに目に付いた。こんなに近かったっけ? いつもこのぐらいだったっけ……?
そもそも、どうして僕はこんな下らないことを気にしてるんだ……?
同じ思考がぐるぐる頭の中を回ってる。結論なんか出るはずもなく。
そうしていると、突然エリーが何の前触れもなく、くすっと笑った。
「……え、何?」
何がおかしかったのか、僕には分からなかった。驚いた顔で彼女を見ると、種明かしをしてくれた。
「あんた今、上の空だったでしょ。思いっきり、別の考え事してますって顔してる。……分かりやすいわね」
図星だ。僕はどきっとした。
「気のせいじゃないの」
動揺が伝わらないように祈ってとぼける。が、それすら見通したみたいにエリーが忍び笑いをした。
「何を、考えてたの? もしかして他人には言いづらいこととか? なら、尚更聞きたいんだけど」
心底意地の悪い顔をして、エリーが言う。
誰が言うか。僕は激しく頭を振った。
「内緒。教えない」
断固とした口調で言うと、エリーは悪戯ぽく唇を尖らせた。
「あたしに隠し事をするなんて、カナタのくせに生意気ね」
じろりと僕を横目で見る。茶化すような視線から逃げるように、僕はそっぽを向いた。
言えるわけ、ないだろうが。彼女への反論の言葉は、心の中だけに留めておいた。