27 勘違い?
腹に詰め込むようにして、残っていた食事をかき込むと、僕は自室に転がり込むように戻った。
お世辞にも広いとは言えない自室には、古ぼけた寝台と小さな椅子一脚、それから部屋の隅に冒険に使う道具を乱雑に積み上げてあるだけ。元々は召し使い用の小部屋だったらしく、部屋は露骨に狭いし、鍵だってかからない。
寝台にうつ伏せに倒れて、目を瞑る。もう二度と起き上がれないんじゃないかと思うほど、疲れた体が寝台に沈みこむ。空腹も満たされ、眠気を催す条件は揃っている。
でも、眠れそうな気はまるでしなかった。目は血走っていそうなぐらいに冴えていたし、頬は今にも火傷しそうなぐらいに熱かった。
マルチェラの瞳が、まだ僕を見ているような気がした。彼女はまだリビングに残っていて、僕の姿が見えるはずなんかないのに。彼女の青い瞳、唇に浮かんだ微笑みが帯びた甘く艶やかな熱が、僕の体にも伝播してしまったみたいじゃないか。
いやいや、何を考えているんだ。僕は熱を振り払うかのように、枕に顔を埋めたまま、頭を振った。
あんな美人が、僕に好意なんか向けるはずがない。ありえない。気のせいだろう。全部、僕の見間違い、あるいは勘違い。そうに決まってる。
勘違い? それにしたら、随分回数が多くないか。頭の中から、自分の声が聞こえる。あんな風にマルチェラが見つめてくるのは、今日が初めてじゃない。いつからだ? もう何度目だ? 彼女の熱い眼差しと幸福そうな微笑に気づいたのは?
己の声に、反論できなかった。マルチェラに熱っぽく見つめられていることに初めて気づいたのは、一緒に暮らし始めてから一週間後。最初は、心の底から気のせいだと思っていた。そんなわけがない、疲れているんだ自分は、と思った。だが、何度も回数を重ねていくうちに、そして顔を合わせれば、話しやすいはずの同性をも差し置いて、優先的に僕に話を振ってくることが増えるうちに、段々自分を疑えなくなってきた。
いやいやいや、馬鹿げてる。僕は慌てて、己に言い聞かせる。いいか、そんな『異世界チート』の大和みたいなことは僕には起こらない。路地裏で暴漢から女性を助けて、行き場がないので家に匿って、そして惚れられるなんて、ない。そもそも、暴漢を爽快に追い払ったのは僕ではない。ただ、エリーの後ろで突っ立っていただけの男にしか素人目には映っていないのだ、惚れられる理由はない。都合の良い展開なんて、僕の異世界生活にはない。ないったらない。
そもそも、僕は冴えない風貌で、身長もさして高くないし、お金も持っていないし、男気溢れる性格でもなく、臆病者でどんくさい奴なのだ。男を惹き付けて止まない美貌を持つマルチェラが好意を抱く対象になんかなり得ない。
女性に好かれる男性というのは、それはもう残酷なまでに条件が絞られている。性格が良いか、顔が良いか、お金を持っているとか能力が優れているとか、その三択。実例を近場で見てきたから、骨身に染みて理解している。
僕には弟がいる。……いや、いた、という方が正しいか。歳は一つ下だが、何もかもが僕と正反対だった。自分の意見をはっきりと言う裏表のない性格で、父親似の精悍な顔立ちをしている。運動も勉強もよく出来て、友達も多いらしかった。異性にも随分好かれているようで、バレンタインの度にたくさんチョコを貰ってきていた。
そんな弟なので、まだ中学生だというのに当然のように彼女がいる。付き合い始めた彼女について、母と話をしているところをうっかり立ち聞きしてしまったことがある。
その時の弟の声と来たら、普段はちょっと斜に構えた態度を崩さないくせに、ちょっと照れくさそうで、それでいて誇らしげで、自慢しているようにも聞こえて……影で聞いていた僕は、同じ血を受け継いだはずの弟を、噛みしめた奥歯が砕けそうなぐらい羨んだ記憶が生々しく残っている。
僕だって、そりゃ本音を言えば、恋人の一人ぐらい作ってみたい。好きな人がいて、その人からも愛される。そういう多くの人が掴んでいるありふれた幸せを、僕だって、経験してみたいと思ったって、罰は当たらないはずだが……果たして出来るだろうか。
ただまあ、その相手がマルチェラというのは、ちょっと出来過ぎていると思う。不釣り合いにも程がある、だからありえない。その内彼女はこの家を出て行くだろうし、そうなれば、彼女の美しさに見合った男性を見つけるだろう。
はあ、と僕は息を吐いた。馬鹿馬鹿しい妄想からようやく目が覚めて、少し落ち着いてきたような気がする。
そうだ、こんな下らないことより僕には気に掛けるべき事がある。
最近、あまり口を利かなくなった相棒について。明日、どうにかしなければ。彼女と仲違いするのだけはまずい、険悪な雰囲気で冒険者の仕事なんてやりたくないし……家の雰囲気も悪くなるし……何より、も。
僕が異世界からやって来たことを知っているのは、彼女だけ。僕のことを一番良く理解してくれる人といつまでも仲違いするわけにはいかない。