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25 自宅へ

 地面に転がしたチンピラ達を置いて、僕とエリーは女性を連れて自宅に戻った。

 周囲には工房や商店が並ぶ地域で、僕らが住むのは三階建ての住宅の一部だった。一階部分がお店になっている建物で、三階部分とついでに屋根裏部屋を間借りしている。エレベーターなんて存在し得ないこの世界では、不便極まりない最上階は飛び抜けて安いからだ。

「お二人にはなんとお礼を言って良いやら……」

 リビングの粗末な椅子に腰掛けると、女性は心底安堵した様子でつぶやく。

「いいのよ、これぐらい。そんなことより、怪我はない?」

 エリーが水の入ったコップを女性に差し出しながら言う。余裕があった頃ならお茶なのだが、生憎今の我が家にはそんな嗜好品はどこにもない。

 女性はコップを受け取りながら、頷いた。

「ええ、大丈夫です。怪我をする前に助けていただいたので」

 鈴を転がしたような声で女性が答えた。今まで悲鳴や金切り声しか聞いていなかったが、平常時は随分可愛らしい声をしているらしい。目深に被ったフードの下からのぞいた艶やかな唇が柔らかい笑みを浮かべていた。

「そう。なら、良かった。ところで……あなた、身よりはどこかあるの? この後、行く先は?」

 エリーが気遣わしげに言う。すると、女性はコップの水を一口だけ飲むと、テーブルに置いた。

「……いえ。ありません。故郷の街が、ティエンヌの軍に荒らされてしまって。王都までこうして命からがら逃げては来ましたけど……頼れる人は誰もいなくて」

 ひっそりとため息をつくような声で女性が言う。

 だろうな、と僕は心の中で独り言を言う。予想通り、彼女は命からがら王都に流れ込んできた難民の一人だ。身寄りも無く、街をさまよっているところをあのチンピラ達に絡まれたのだろう。

「あの……大変、身勝手なお願いだというのは百も承知なのですが。もしよろしければ……私をここにしばらく置いて下さいませんか」

 躊躇いつつも、女性が言う。彼女の言葉に、僕とエリーは思わず顔を見合わせた。

 彼女の願いを撥ねのけたら、どうなるか。身寄りの無い、若い女性が一人で路地を彷徨うことなど、危険極まりない。また似たような事か、あるいはもっとひどい事が遠からず起こるだろう。

「勿論! ……と言いたいところなんだけど」

 エリーの威勢の良い言葉はすぐに途切れた。彼女は言いづらそうにしているが、誰かが言わなければいけないことだ。

 こほん、と一つ咳払いをしてから僕は口を開いた。

「僕らもぎりぎりの生活をしているんだよね。一人分の食い扶持が増えたらとても……」

「家に置いて下さるだけで、構わないんです!」

 女性が張り上げた声が僕の言葉を遮った。そして、懐に手を入れると袋を取り出し、テーブルの上に中身を広げた。

「これ……少ないですが、お二人にお礼も兼ねて差し上げます」

 テーブルの上に転がったのは、鈍い光を放つ銀貨が数枚。これだけあれば、一週間は宿を確保出来る。最後のお守り代わりに隠し持っていた路銀なのだろう。

「それに、すぐにお仕事も探しますし、お家の料理でも掃除でも、買い出しでも何でもやりますから。ですから、お願いです……」

 椅子から腰を浮かせ、女性は必死になって訴えかけてくる。エリーが根負けした様子で唸る。

「そうねえ、やっぱり追い返すわけにはいかないものね。いつまでも置いておくことは出来ないけど……しばらくの間なら、まあいいんじゃない?」

 そう言って、エリーは僕に目配せを送った。どう思う、と聞かれている。

「うん……いいんじゃない、それで」

 我ながら、どこか他人事で歯切れの悪い承諾だと思った。が、女性はそんなことに気づいた素振りもなかった。

「ありがとうございます! お二人のご厚意に感謝いたします!」

 ぱっと声が明るくなる。フードで隠れた顔にも、きっと喜びに満ちた笑みが広がっていることだろう。

 女性が喜びを無邪気に露わにする一方、エリーが複雑そうな表情を見せた。

「いいの? なんだかもの言いたげだけど。何か言うなら、今のうちよ?」

 僕の口調から、言いたいことを飲み込んだことをエリーはすぐに察知したようだ。流石に相棒相手には隠しきれない。

「まあ、そりゃね。同居人が増えるって……しかも女性だし、僕も気を遣わなきゃいけないことが増えるなあって思いはするけど……」

 僕は苦笑と共に、エリーを見返した。

「でも、エリーが一回言い出したら聞かないのは分かってるしさ。反対するだけ無駄かなって」

「何よ」

 エリーがむっとして僕を軽く睨んだ。

「それじゃ、あたしが聞き分けのない頑固者みたいじゃない」

 さも不服そうにエリーが言う。

「みたいも何も、その通りでしょ」

 僕は軽く肩をすくめた。

「チンピラ共を追い払うときだってそうだったじゃないか。危ないから止めようと僕が提案したところで、どうせ聞く耳持たなかっただろ?」

「それは……そうだけど」

 エリーが珍しく言葉に詰まる。

「でも、別に危ないことなんてないでしょ。あたし一人ならともかく……カナタも後ろにいたんだから」

 言い負かされたことがちょっと悔しそうに、そしてどこか拗ねた様子でエリーが唇を尖らせる。

 カナタも後ろにいたし。彼女の言葉に、僕は一瞬だけ戸惑った。

「まあ、いいよ。君の無茶は今に始まったことじゃないからね」

 僕は素っ気なく言った。エリーの言葉に感じた戸惑いを、脇をくすぐられるような面はゆさを誤魔化すように。

 僕がエリーを信頼しているように、彼女もまた僕を信頼してくれている。多分そうだろうな、と思っていても、やはり言葉にして言ってもらえると、誇らしくもこそばゆい。

 僕とエリーの会話が一段落する。すると、それを待っていたかのように、今まで黙っていた女性が口を開いた。

「お二人は、お互いに信頼し合っているんですね」

 しみじみと感じ入るような声で女性が言い、彼女のフードの下からのぞく唇が微笑する。

「大層仲の良いご夫婦でいらっしゃいますのね、羨ましいぐらいですわ」

「……別に夫婦じゃないんだけど」

 女性の朗らかな悪気のない言葉を、エリーがうんざりした声で否定する。すると、女性は驚いた様子で言う。

「え? では、お付き合いなさってるとか?」

「僕らはそういう関係じゃないよ。同居はしているけど、ただの冒険の相棒、それ以上でもそれ以下でもない」

 答える僕の声も、エリーと同じぐらい嫌気が滲み出ていると思う。

 例え、目の前にいる女性に悪気はなくとも、マスターのからかいの後に夫婦扱いされたら、そりゃうんざりもする。

 ただ、そうは言っても、男女が一緒に暮らしていることが明らかなら、誤解されても仕方が無いこととは頭では一応分かっているけれど。それでも、涼しい顔で受け流せるようなことじゃない。

「あら、そうですか……」

 気の抜けた、拍子抜けしたような声で女性がつぶやく。

 それだけなら、僕は女性に何も違和感など覚えなかっただろう。だが、僕はその時見た。フードの下からのぞく唇が微笑するのを。先ほどまで見たような、明るく朗らかな笑みではない。どこかほの暗さを感じさせる、妖しげな微笑みが浮かんでいるところを。

 不慮の事故で劇の舞台裏を覗き込んでしまったかのごとく、見てはいけないところに立ち会ってしまったような背徳感があった。

 説明の付かない違和感を、僕はそのままにしておきたくなかった。

「そろそろ、フードを取ってくれるかな。同居人になるんでしょう、流石にそろそろ顔ぐらい見せてもらえるかい?」

 女性は僕らの前で一度もフードを頑なに取ろうとしない。別段、彼女の顔に特別な興味がなかったので、今まで放置してきたけれど……不吉な微笑みを目にしてしまった以上、何かあるのではないかと勘ぐりたくもなる。

 僕が指摘すると、女性は、あら、と申し訳なさそうにつぶやいた。

「ごめんなさいね、すっかり失念しておりました。何せ、故郷を出てからは極力、人に顔を見られないよう務めていたものですから……」

 そう言いながら、女性はフードが付いたマントを外し、今までフードで隠されていた顔とマントで覆っていた体を晒した。

 僕は彼女の姿を見た途端に……息を呑み、言葉を失った。

「申し遅れました。私、マルチェラと申します。どうぞ、しばらくの間……お付き合いよろしくお願いいたします」

 フードの下から現れたのは、金糸を紡いだような、光り輝く金色の髪。降ったばかりの雪と同じぐらい白く、汚れ一つない肌にほんのりと赤みが差している。南国の海を思わせる、あたたかい光をたたえた青い瞳が、柔和な微笑みを浮かべている。

 そしてマントの下から晒されたのは、長旅を耐え忍んだ後が残る質素なワンピース姿。さりげなく開いた胸元には豊かな膨らみと深い谷間がのぞき、くっきりと浮かんだ体のラインは見事な曲線を描いている。

 綺麗な金髪、青い瞳。何もかも許してくれそうな、優しげで甘い顔立ちに、鈴を転がしたようなかわいらしい声。そして、グラマラスな肉体。

 この世界にやってきて、何度も僕は自分の鼓動の音を聞いた。それはエリーの手に触れてまだどきどきしてた頃だったり、魔物の不意打ちで死にかけた時だったり、場面は色々だ。だが、断言しよう。

 今、このときほど胸が高鳴ったのは、一つとしてない。僕が思い描く、理想の女性が目の前に立っていたのだから……。

 マルチェラの美貌に吸い寄せられたように、僕は全く目が離せなかった。頬は火が付いたように熱を帯び、煮込まれたみたいに頭が茹だって、さっきまで抱いていた彼女の妖しい微笑みなどもはや、今更気にする余裕はどこにもない。

 僕の隣に立っていたエリーが、わざとらしくため息をつくのが、まるで遠い国からの便りのように聞こえた。

 突如、椅子に腰掛けた僕の足が、視界が涙でにじむような激痛を訴える。声にならない悲鳴を僕があげると、エリーは僕の足を丁寧にぐりぐりと踏みにじったブーツの踵をようやく退けた。

「……なるほど。こういうお猿さんが世の中にはたくさんいるから、そりゃフードもマントも早々外せないわね」

 エリーの心の底から軽蔑するようなつぶやきを、僕はテーブルに突っ伏したまま聞いた。

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