16 信じること
皮肉にも、勝利への道筋が頭に思い浮かんだ、まさにそのときだった。『王』の声が辺り一帯に響き渡る。僕ら人間には理解できない号令が飛んだ。
『王』の号令が出た後、ゴブリン達の動きは目に見えて変わった。松明の光に照らし出されるゴブリンが急に数を減らした。村人たちが新たに松明を投擲しても、僕の目に映るのはその場にいたゴブリンだけ。明かりが飛んでくるやいなや素早く逃げ出し、逃げるルートも明かりがあるところを避けて逃れる。ゴブリン達は、明らかに意識をして松明の光を避け始めた。
変化はそれだけではない。地面に落ちた松明が、突然消え始めた。風にでも吹かれたのか、と思ったが、松明を吹き消すほどの突風が吹いた様子はない。一体何が起こった? 考えを巡らせると、単純な答えが脳裏にひらめいた。
ゴブリンが水で消火した。森で僕に炎の矢を打ち込んできたように、上位のゴブリンはドーノが使える。エリーが扱う水のドーノを使うゴブリンがいても、なんらおかしくない。
全部『王』の号令に違いない。松明の光から逃げろ、松明を消せ。おそらく、奴はこう命じたのだろう。不可解な致死の攻撃に誰もが怯え、逃げ惑い、混乱に支配された戦場で、『王』だけは松明の光が届く範囲だけ攻撃が飛んでくることを冷静に分析し、的確な指示の元、窮地を逃れようとしている……混乱の局地にあって、人間の将軍であっても『王』と同じ事が出来る人材はどれほどいるのだろうか。
みるみるうちに、明かりが届く範囲から逃れられるか、水のドーノで消火されるかして、女将さんと彼女が説得した勇気ある村人達が投擲した松明の大半は無力化された。女将さんや彼女に呼応した村人達は、戸口や窓から追加の松明を投げて応戦するが、不意を打った初回ほどの成果は上げられない。追加で投擲した松明の光に映り込んだゴブリンはすぐさま炭となって崩れ落ちたが、その後ろにかすかに見えたゴブリンは引いて闇の中へと消えていく。そして、後方から飛んできた水のドーノで消火され、光が失われる。
この様子では、おそらく別の一隊が闇に潜んでいるはずだ。不意を打って、明かりを増やそうと抵抗する村人を鎮圧しようとしているに違いない。村人達に身の危険が迫っている。
だが、見えない対象には、僕の力は及ばない。僕の力は相手を焼き尽くす力であって、辺りを照らす炎を生み出す力ではない。明かりがなければ、この暗闇の下で僕は役立たずだ。
どうすればいい? 何が出来る? 僕も今から松明を投げるか? いくら高所からとは言え、今襲われそうな人たちのところまで狙いをつけて投げられるか? いや、無理だ。絶対に届く位置じゃない!
狙えるゴブリンの姿もなく、ただ立ち尽くす僕の肩をエリーが叩いた。はっとして振り返ると、彼女は物見櫓の周囲に松明を次々に投げている。同時に、時々飛んでくるドーノによる炎の矢を水のドーノで防いでおり、本当に手一杯な様子だった。
「こっちにもゴブリン、近づいてきてるわよ! ぼさっとしないで!」
「ご、ごめん……」
慌てて周囲を見回せば、灯台元暗しというべきか、こちらに向かってきていた一団を失念していた。あと少しまで迫ってきた奴らを焼き払う。断末魔が上がった後、物見櫓の周辺から音は聞こえなくなった。
僕らの周りのゴブリンはいなくなった。が、村中央に居座る大群や、松明を投げる村人達の近くにいる一団を照らす松明はなかった。誰もいない地面をむなしく照らす松明がぽつぽつと落ちているのみ。
このままじゃ、ゴブリン達に村ごと滅ぼされる。当然、命をかけて協力してくれた女将さんに、そして彼女と一緒に松明を投げてくれた村人達も。
自分の無力さに打ちひしがれながら、僕は立っていた。
優れた能力、なんて嘘じゃないか。明かりがないところでは使えない、なんて。制約と穴だらけ、まるで僕自身のような不完全な力。
「こんな力、信じるんじゃなかった」
ぽつりと言葉が唇から漏れ出た。
でも、すぐに僕は間違ったことを言ったと気づいた。祖母が、悲惨な人生を歩んだ僕を哀れんで、せっかくくれた特別な力に文句を言うなんておこがましい。
悪いのは、僕だ。
僕は自分の人生を変えたい、今度こそやり直したいと強く願った。それだけを思って、周囲の人々まで巻き込んで、無謀な賭けに身を投じた。
だが、それは不相応な願いだった。僕のドーノがどれほど強大であろうとも、僕がやることが少しでも上手くいくなんて、ありえるはずがないのだから。前世で何度も口返したのに、僕はまだ学習できていなかったのだ。
「自分のことなんか……信じちゃいけなかったんだ」
ぽろりと口から言葉が転がり出た。閉め忘れた蛇口から水滴が落ちるように。
別に、誰かに語りかけたつもりじゃなかった。隣で僕の独り言を聞いている人がいることを、意識なんてしていなかった。
だから、頬をぴしゃりとはたかれて、ぴりぴりと痛みだしたことに僕は心底驚いた。まるで不可視の敵に襲われたんじゃないか、と思うぐらいに。無論、そんなことはなくて、ただ隣に立っていた少女に独り言を聞かれていただけなのだ。
「もう、諦めるの?」
いらだった声で、彼女はつぶやいた。
「しかも、それは全部自分のせいだって? じゃあ、村が滅ぼされるのも、この村にゴブリンが現れたことさえ、あんたのせいなの? あんたがいたら、何もかも上手くいかないようにこの世界は出来てるの?」
エリーが僕の方をじろりと睨む。その視線のあまりの鋭さに、僕は逃げるように目をそらした。
「それは……違うけど……」
「違わないわよ」
僕の言葉を遮って、エリーは言った。
「あんたは、自分は神様に呪われてるとでも思ってるみたい。そんなわけないでしょ。神様だってちっぽけな人間ひとり呪ってるほど、暇じゃないんだから」
僕は何も言い返せなかった。だって、彼女の言葉は核心を突いてた。全てを安易に自分のせいにして、納得しようとしていた……そうしたって、何も解決なんてしないのに。
黙り込んでいると、彼女は僕の肩にそっと手を置いた。そして、優しい目をして、僕に笑いかけた。
「自分を変えると決めたのでしょう? なら、最後まで逃げずに戦いなさい。決して諦めること無く、心折れること無く。……そうすれば」
エリーの目が、物見櫓の下に広がる村に視線を戻した。
「自分を変えられる。それだけじゃない。他人を変えることさえ、出来るんだから」
彼女の言葉を合図にしたように、村のあちこちで新たな光がぽつりぽつりと灯った。
それは、誰もいなかったはずの教会の屋根、ついさきほどまで固く閉ざされていた民家の戸口や窓。松明のみならず、炎がともったランプ、小さなろうそく……あらゆる明かりを持って、家に隠れていた人々が姿を現した。その中には、酒場で僕たちを拘束した男達の姿さえあった。
ゴブリンと戦わず、生け贄を差し出して戦いを逃れようとした大半の村人たち。家の中から密かに、ゴブリン達と僕たちの戦いを覗き見していて、このままではいられないと立ち上がった人たち……。
誰の声かは分からない。けれど、男性の声が村中に響いた。
「皆、明かりをゴブリン共に投げつけろ! 何でも構わない、とにかく燃やせ! そうすりゃ、冒険者が援護してくれる! 火のドーノが使える奴は何にだって構わない、とにかくつけまくれ!」
男の叫び声に、村人達は威勢の良い声を上げて応える。
それから、村は無数の炎に照らし出されていく。松明やろうそくのみならず、火のついた毛布、藁束、衣類……とにかく燃えるもの全てが飛び交ったと思えば、家屋に火を放つ者まで現れる始末。一つ一つが照らす範囲は小さくとも、無数に光源があれば別だ。あちこちで火の手が上がり、煙が立ち上る様はまるで火事の現場のよう。
村人達が一丸となって、村を光で満たすと、闇に隠れていたゴブリン達の姿があちこちで浮き上がる。最初から松明を投げていた村人達に密かに迫っていたゴブリンの別働隊も丸裸となった。
狙うべき獲物がひしめいている。そうなれば、僕のやるべきことは明白だ。
片っ端から、ゴブリン達を焼き払う。彼らの断末魔が村中でこだまし、耳が痛いほどだった。
一方、ゴブリン達は水のドーノによる消火で抵抗の素振りを見せたが、明かりが増える速度には追いつけなかった。松明の光が及ばない箇所から水を振りまいていたゴブリンも、やがて村人が投擲した松明に姿を捉えられ、命を焼かれる。水のドーノが扱えるゴブリンは元々数が少なかったに違いなく、さほど時間はかからず抵抗は止んだ。
そうなれば、もはやゴブリン達に致死の攻撃から逃れる手段はない。秩序を失い、散り散りになって逃げ出すものの、逃げ出した先の明かりに映り込んで焼かれるか、あるいは武器を持った村人に倒されるかして、数を減らしていった。