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15 ゴブリンの大群

 日没の時刻は過ぎ、辺りはすっかり夜の闇に包まれていた。ゴブリン達が出していた条件に従い、ランプの光一つ屋外には存在しない。夜目が効くゴブリン達と違って、僕たち人間には闇を見通す力はない。ささやかな月の光を頼って、目をこらすほかないのだ。といっても、今の僕は夜空を見上げることが許されない状況下にある。

 大きなマントを頭からすっぽりと被り、床に伏せている。手元で地下室から持ってきたランプが小さな炎を点しているが、決して光が外に漏れないように気をつけている。更に言うなら、同じマントの下、ほとんどぴったり体をくっつけた距離で、女の子が隣に伏せている。

「来るなら、早く来てほしいわね」

 周囲に聞こえるのをはばかって、ひそひそ声でエリーが声を掛けてきた。僕はどぎまぎしながら、同じくひそひそ声で答えた。

「ほんと……」

 心の奥底から同意した。多分、退屈を持て余しただけのエリーとは別の意味で。ランプの光で僕の顔を見られていないことを願うばかり。

 誰がこんな狭いところに二人も隠れようなんて考えたんだよ、馬鹿が。心臓が過労死するだろ、考えろよ。いや、発案者は僕だけど。

 地下室で女将さんに、村で一番見晴らしが良いところを尋ねたら、ここだったのだ。獣や魔物の襲来をいち早く察知するための物見櫓。どの建物よりも高く、村を一望できる。僕が出した条件にはぴったり当てはまるが、二人が伏せて隠れる十分なスペースまでは確保できなかった。地下室から飛び出し、村人の目を盗んで、なんとか物見櫓に潜り込んだという状況が少なく見積もっても二時間程度は続いているような気がする。

 僕とエリーが逃げ出したことは、残念ながらもう既に村中に知れ渡っているようだ。つい先ほどまで、村人達は大慌てで僕らを探していたが、諦めたわけではない。うかつに立ち上がって不審な人影が見えたり、物音を聞きつけられたりして、見つかった日には、命を張って逃がしてくれた女将さんにも申し訳が立たない。だから、一つのマントを二人で被って身を寄せ合ってるのは、やむを得ない理由がある。僕に邪な下心があったからではない、断じて。

 とにかく、ある意味地獄なこの状況よ早く終われ……と念じていると、緊迫感を帯びたエリーの声が聞こえてきた。

「大勢の足音……ゴブリン共が、村に近づいてくる」

 始まった。

 即座に、たるんだ意識を切り替える。耳に全ての注意を向け、研ぎ澄ませる。言われてみれば、大勢の足音が遠くから近づいてくる。

 数百にも及ぶ、ゴブリン達の大群。今頃、村人たちの多くは自宅内で待機を命じられているらしいが、おそらく誰もが恐怖に身をすくめ、段々大きくなってくる足音を耳にしているに違いない。

 あの大群の中に、屈強な肉体、とびきり優れた知能とカリスマを持つゴブリンが間違いなく、いる。僕とエリーは奴を『王』と呼ぶことにした。

 村人と交渉を行う以上、通じる言葉を話せる者が必要だし、何よりも村人達に恐怖を植え付けるためにも、多少の危険を冒しても、大群を率いる首領が姿を現すはずだ。

 僕が考えた策は、他のゴブリンを差し置いて『王』を倒すことだ。真正面からゴブリンの大群を相手しても、勝機はない。だが、すぐさま仲間内で分裂を繰り返す奴らをまとめる『王』さえ仕留めてしまえば、後は烏合の衆。全てのゴブリンを始末するのは難しいだろうが、劣勢とみれば散り散りになって逃げ出すはず。そうなれば、後は村の守りを固め、王都から救援を呼んで残党を掃討する。

 武器は、僕のドーノ。発動するための条件は視界に対象を半分程度納めること、正確な射程は分からないが、森でゴブリンを屠ったときのことを考えれば、百メートルはある。そして発動さえすれば、即座に相手に死をもたらす。これほど闇討ちに長けた力はないだろう。

 全てのゴブリンを焼き払う必要はない。『王』さえ僕の視界に入れることが出来れば、作戦成功。剣や弓で闇討ちを企てるよりも、遙かに容易い。しかしだからといって、決して確実な作戦ではない。成功の前にいくつもの障壁が立ちはだかる。

 すぐに思い当たる障害が、この暗闇だ。不意打ちを仕掛けようにも、女将さんが説得できたわずかな人々を除いた村人の大多数を敵に回した状況では満足に身動きも取れないし、そもそも『王』をこの目に捉えることが出来ない。

 大群を率いて村を訪れる時間に夜を選び、しかも明かりを焚くなと厳命しているのは、警戒心の表れに違いない。森で炭になるほど焼け焦げた同胞の死体を発見しているのだから、強力なドーノによる不意打ちには、神経を尖らせていることだろう。

 対象が見えなければならない以上、明かりがなければ、僕のドーノは力を発揮しない。しかし、不用意に明かりをつければ、たちまちゴブリン達は村に牙を剥く。かといって、夜が明けて日が昇る頃まで待つわけにもいかない。その頃には、村が既に廃墟になっている可能性が高いのだから。

 ゴブリン達を守る暗闇をいかに打ち破るか。これが僕たちが勝つために、超えなければいけない一つ目の障壁。

 五百にも及ぶという大群が立てる足音が、ついに村の中にまで侵入してきた。足音のみならず、一部のゴブリン達が身につけている鎧が立てる金属音が不気味に響き渡る。

 まだ僕とエリーは身を伏せたまま。しかし、永久に物見櫓に二人して隠れているつもりはない。どこかで立ち上がって、姿をさらさなければならない。無論、物見櫓から村中を見渡せるのだから、その逆もしかり……ゴブリン達に見つかることを覚悟の上で。

 女将さんから、村の中央部で村長と数人の男達が待ち受け、交渉を行う予定だと聞いている。それから、逃走した僕たちを見つけられなかったために、苦肉の策として替え玉を差し出すことになった、とも。

 大群の足音が止んだ。その瞬間、まるで嵐の前のような、わずかな静寂が訪れた。

「人間共よ。我らに服従するか否か、まずは答えよ」

 物見櫓から村の中心部まで、結構な距離があるにもかかわらず、『王』の声ははっきりと聞き取れた。恐れのあまり頭を垂れたくなるような、威厳に満ちた声。これが僕たちの敵。姿も見ていないのに、恐怖か緊張か体に寒気が走る。

 村長の声が、かすかに聞こえた。「服従します」と言ったように思うが、『王』の声と比べれば、木の葉の擦れ合う音のようなもの。はっきりと聞き取るのは難しい。

 『王』と村長のやりとりの傍ら、エリーは静かに被っていたマントを取った。身を伏せたまま、彼女は次の行動に向けて準備を始めた。

「ならば、その証を見せよ。我らが同胞を殺めた愚か者どもを、差し出せ」

 再び『王』の声が夜空に響き渡る。村長の声はしなかったが、村人達が立てる物音が聞こえた。おそらく、替え玉となった人物を『王』の前に引き出しているところなのだろう。手元が見えるか見えないか、という暗闇に邪魔されているためか、手間取っている様子が伝わってくる。

 その間に、エリーは黙々と動き続けている。ぎりぎり外から姿が見えない程度に身を起こし、弓を手に取る。矢筒から一本矢を抜き取り、瞑目した。

 力を貸して、母さん。彼女の唇がまるで、祈りを捧げるかのようにつぶやいた。

 閉じた瞳が開かれた次の瞬間、彼女は立ち上がった。物見櫓に姿をさらした。途端に、小さなざわめきが群れの中から上がる。あれはなんだ、とささやきかわすかのように。

 エリーは発見されたことなど気にもとめず、弓に矢をつがえ、放った。村の中心部、ゴブリン達がいるはずの方向へむけて。

 ゴブリン達の叫び声がこだました。敵襲だ、と叫んだのだろうか? たちまち、奴らのやかましい騒ぎ声が無数にあふれかえったが、先ほどの威厳のある声がすかさず一喝した。すると、たちまち止んだ。指示を受けたと思われる一隊が、群れから抜け出て走り出す音が聞こえた。物見櫓に姿を現した人間を捕らえようと、こちらにめがけてやってくる。

「来なさいよ、雑魚共!」 

 エリーは走り寄るゴブリン達を挑発し、村中に響くような大声で叫び、構わず弓矢を放ち続ける。当然、矢がゴブリン達に当たった手応えはない。エリーも僕と同じ人間で、夜の闇を見通す目など持たない。いくら弓の腕に自信があろうとも、見えてもいない物体を打ち抜くなどできやしない。ゴブリンと事情を知らない村人達からすれば、自棄を起こした馬鹿な冒険者の足掻きに見えるだろう。

 だが、それで良いのだ。矢が当たる事なんて、全く期待していない。ゴブリン達の注意を引くこと、そして、合図を送ることが出来ていれば、目標は達成されている。

 エリーの役割はほとんど終わっていた。今度は、僕の出番が近づきつつあった。

 鼓動は早鐘のように鳴り響き、手のひらが痙攣を起こしたかのように震えていた。

 前世では失敗ばかり、繰り返してきた。仲の良い友達はついに作れなかったし、跳び箱も鉄棒もまるで出来なくて、テストで両親を満足させる点数も取れない。何もかもが上手くいかなくて、学校に通えなくなって、挙げ句の果てには自分のよそ見が原因で交通事故に遭って死ぬ。

 そんな僕に、果たして出来るのだろうか? 日々の小さな問題さえ解決できない僕に、村を滅ぼそうとするゴブリンの群れを倒すなんて、まるで物語の英雄のような大役を務められるか?

 前世の僕にこう尋ねれば、間違いなく無理だと答えただろう。チートな能力をもらったって、僕には無理だ。たとえ一振りで全ての願いを叶えるチートな能力をもらったって、僕にはどうせできっこないよ、と。

 でも、今の僕は前世の僕と答えは少し違う。

 言い訳なんかしたくない。僕はやると決めたんだ。人生を変えると誓ったんだ、もうあの惨めな前世を繰り返したくはない……!

 僕は、立ち上がった。弓を構えるエリーの隣に立って、物見櫓から姿を現した。

 月明かりにわずかに照らされるだけの村の様子は、おぼろげにしか分からない。それでも、ゴブリン達の大群が放つ威圧感は肌で感じることが出来た。そして、こちらに向かってくるゴブリンの一隊が着々と距離を詰めつつあることも。足音からすれば二十はくだらない数で、真正面からぶつかれば、まず勝てないであろう。

 今にも、足から崩れ落ちそうだった。酸欠でも起こしたみたいに、息苦しかった。それでも待った。勝機がやってくる、そのときを。

 僕にとっては、朝がやってくるんじゃないかと思うほどに長い時間に感じられた。でも、実際は瞬きのような時間だったのかもしれない。

 数件の民家で、明かりがぽつりともった。松明を手にして、人々が窓や戸口から姿を現したのだ。ゴブリン達が反応を示す前に、彼らは一斉に手にした松明を放り投げた。

 地面に転がった松明は、暗闇を切り裂いてその周囲を照らし出す。硬い土の地面、周囲の民家……それから、ゴブリン達の姿。奴らはまるでよく訓練された軍隊のように列を組んでいた。正確な数は分からない。でも、村の中心部を埋め尽くし、門に至るまで列が続いていることから、百や二百では絶対にきかないことは分かる。錆の浮いた武器に、粗末な鎧、そして燃え盛る松明の炎を見つめる、醜悪な顔。

 そこまでこの目で捉えられれば、十分。

 松明が照らし出したゴブリンの姿は、三十は下らない。僕はその全てに対して、念じた。

 続くのは、ゴブリン達の絶叫、断末魔の叫び。松明に照らし出されたゴブリン達は、皆悲鳴を残した後、ほとんど炭となってその場に崩れ落ちた。すると、倒れたゴブリンの後ろに立っていて、運良く明かりに照らし出されずに済んだゴブリンの姿が見えた。何が起こったのか、まるで理解できていないにちがいない。ぼうっと立ち尽くし、足下に散らばる炭の塊を見下ろしている。

 しかし、直前まで目の前に立っていた同胞の姿を目に焼き付けられる時間はほんのわずかだった。

 彼らもまた、断末魔をあげ、地面に倒れた同胞たちと同じ末路をたどる。同じ事が、また更に後ろに立っていたゴブリン達に起こる。獰猛なゴブリンたちの群れが、徐々に数を減らしていく。自分たちを襲う謎の攻撃に慄き、生き残ったゴブリン達は、飛んできた松明から逃げ出すように、秩序を失い、散り散りになって走り出す。

 しかし、その進路にはまた別の松明が僕の視界を確保していた。再び断末魔が夜空に響き渡り、ゴブリンの亡骸が地面に崩れ落ちる。逃げても、殺される。突然音もなく降り注ぐ致死の攻撃に、ゴブリン達は逃げ惑い、倒れていく。中には、絶望したのかその場に立ち尽くすゴブリンの姿もあった。

 視界に入ったゴブリンを片っ端から焼き払いながら、僕は策に手応えを感じていた。想像以上に、ゴブリンの大群は混乱している。この調子なら瓦解にまで時間はかからないだろう。

 幸いと言うべきか、強力なドーノを連続で、しかも大量に使っているにもかかわらず、僕はほとんど疲労を感じていなかった。まだ、まだ倒せる。いや、いくらでも倒せるような気がする。事前に策を立てた際に、ドーノの弾切れがいつやってくるのか分からないと危惧したが、問題にはなりそうになかった。

 あとは、『王』さえこの目にすることが出来れば……いける!

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