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1 異世界転生

 真夏の太陽を背にして、トラックが猛烈な勢いで正面から迫ってくる。クラクションが騒がしく鳴り響き、ブレーキが踏まれ、タイヤが悲鳴のような音を立てるが、それでも到底間に合わない。

 尻餅をついたアスファルトの地面の熱さ、不愉快な湿度の高いべたついた空気を肌で感じながら、僕はほとんど反射的に目を瞑った。

 目蓋を閉ざすと、世界は真っ黒に塗りつぶされた。直後に訪れるはずの耐えがたい痛みに備えて、体を強ばらせ、歯を食いしばった。

 その次の瞬間、僕の意識は眠りに落ちたように途絶えた。



 目蓋の隙間から、燦々と輝く太陽の光が目に飛び込んできた。雲一つない青空が、所狭しと並んだ石造りのヨーロッパ風の建物の隙間から窮屈そうにのぞいている。

 ここはどこだ? 周囲を見渡しても、全く見知らぬ風景が広がっている。

 周囲を見渡すと、どうやら人の往来が激しい通りのようで、たくさんの人々が行き交っている。ただし、その中にはスーツ姿のサラリーマンも、制服姿の学生も、ラフな格好の観光客もいない。その代わり、フィクションでしか見たことが無い格好の人々が大挙して通りを闊歩していた。鎖帷子の上に鎧を着込んだ若い男性、地味なローブを着込んだ修道士らしきおじいさん、そして博物館に飾っていそうな古めかしい服装の一般市民らしき人たち……。

 しかも、人々の中には明らかに普通の人間ではない姿がちらほら。笹のように尖った美女はエルフだろうし、ひげ面で団子鼻の筋肉隆々の小人はドワーフだ。

 そんな亜人種、現実には存在しない。するわけない。

「夢……?」

 頬をつねってみた。ちゃんと痛かった。なら、夢ではない。

 僕は迫り来るトラックに轢かれかけていたはずだ。だが、目の前の光景のどこにもトラックなんてないし、空気だってじめじめとした日本の夏とは明らかに違って、日差しこそきついが、からりとしている。

 僕は現代の日本にいたはずだ。だが、ここが現代日本のはずがない。更に言えば、ここは現代ヨーロッパでも、中世ヨーロッパでもない。ここは……ひょっとして異世界?

 トラックが真正面から突っ込んでくる状況下なら、普通死ぬ。僕は多分現代日本で死んでいる。なのに、何故か目を覚まして、異世界にいる。

 それはつまり……異世界転生ってこと?

 自分の服装を確認してみた。なんだかごわごわした麻の服に、革鎧をつけて、マントを羽織っている。腰にはずっしりと重みを主張する剣が鞘に入ってぶらがっている。所謂、フィクションの中に存在する冒険者の格好。

 当然、現代日本でこんなコスプレじみた格好はしていなかった、Tシャツにジーンズにキャップ帽を被った格好だったはず。いつの間にか、ちゃんとご当地仕様の服装に変わっている。

 まるで、誰かが着替えさせてくれたみたいだ。でも、一体誰が?

 そもそも、どうして僕は異世界にいるのだ? 現代日本でトラックに轢かれてから、異世界に至るまでの記憶がない。一体何があったのだ?

 頭の中に、情報と疑問が洪水のようにあふれかえっていた。何が起こっているのか、必死に考えていたので、僕は周囲の状況の変化を何一つ把握していなかった。

「———!!」

 女性の怒鳴り声が確かに、聞こえた。でも、なんて言っているのか分からなかったし、自分に向けられた声だとも気づかなかった。

 突然、腕を思いっきり引っ張られ、僕はたまらず尻餅をついた。石畳で舗装された地面に打ち付けた尻が痛む。痛みに悶絶していると、僕を見下ろす人影が一つ。

 小ぶりの剣を腰に帯び、弓を背中に背負っている。防具は最低限で、革製の胸当てをつけた黒髪の少女だった。すっと切れ上がった目尻が特徴的で、涼しげだけど冷たい印象を与える。多分通りすがりに見かけたら、クールでちょっと怖い感じの美人と思うだろうけど、青筋立てて睨まれてる今は、ただのとっても怖い人。

「なに、ボーッと突っ立ってんのよ! 死にたいわけ?!」

 早口で女の子がまくし立てた。雷のような怒声に、思わず僕は縮こまる。

「え、いや、あの……」

 怖くて怖くて、後ずさる。

 一方、憤る女の子は僕から向かって右の方を指さした。

「あんた、馬車にはねられたかったの?! もうちょっとでぺしゃんこにされるところだったのよ!」

 指さした方向には、土煙を激しく巻き上げながら、馬車が猛烈な勢いで疾駆していた。無論はねられれば、馬の蹄と馬車の車輪に踏み潰されることになっただろう。

「ご、ごめんなさい……」

 びくつきながら、僕は掠れた声でつぶやいた。

 じろり、と女の子が僕を一瞥した。それから、わざとらしく大きくため息をついた。

「ほら、早く立ちなさいよ」

 女の子は僕に向かって手を差し出した。

 差し出された手をぽかんと眺めた。怒られるものだと思っていたが、どうやら違うらしい。掴まって立ち上がれ、と言っているのだ。

 彼女のジェスチャーの意味を理解して、差し出された手をおずおずと掴もうとする。が、その指先に触れようとした瞬間、僕の手はぴたりと動きを止めた。

 いや、女の子の手を触るなんていいのか……? そんな大胆なこと、やっていいのか……?

 気づいてしまったら、もう手を動かせない。背中に冷や汗をかきながら、凍り付いてしまう。

 そうしている間に、女の子の眉根が、きっと跳ね上がった。

「いい加減に立ちなさい!」

「いでで!」

 僕の悲鳴もお構いなしに、爪が食い込んでいるんじゃないかと思うぐらい腕を強く掴まれ、無理矢理立たされる。 

 女の子は僕の鼻先に指を突きつけて言う。

「ぼさっとしない! 返事は?」

「は、はい!」

 うわずった声で、情けない返事をする。すると、女の子はじろじろと無遠慮に僕の顔を見ながら言う。

「……あんた、これからどこに行くつもり?」

「あ……えと……」

 目は泳ぐし、口ごもるほか無い。どこに行くつもり? そんなの、僕だって知らないし、何なら教えてほしい。いきなり何の前情報も無く、異世界に飛ばされて、途方に暮れているのだから。

 けど、本音をぶちまけたら間違いなく、更なる変人扱いを受けることは免れない雰囲気だ。周囲をちらと見ても、僕のようにどこからやって来たか分からないなんて顔をした人間はどこにもいない。

 どう答えれば角が立たないか? 頭をフル稼働させて、答えを探した。

「ぼ、冒険者ギルドを探していたんだ。そ、その……依頼を受けようと思ってさ」

 自分が冒険者の格好をしていることを思い出して答えた。異世界に行ったら、冒険者を名乗るのがセオリーだ。

 冷や汗たらたらの僕の答えを聞くなり、女の子のつり目がちの瞳が、一層険しくなった。

「……どこの? この街には、三カ所あるけど」

 ほぼ、不審者を見る目である。

 こっちは異世界転生したばっかりなんだから! そんなこと知るわけ無いだろ!

 思わず頭を抱えてうずくまりたい気持ちになったが、こらえて必死に頭を働かせる。

「や、ええと……その……こ、この街、初めてでさ。だから、不案内で……どこに行こうか迷っているところだったんだ」

 ぎこちない笑みを顔に貼り付けて答えた。心臓がばくばく言っていて、今にも爆発しそうなぐらいだ。

「……ふうん」

 氷のように冷ややかな視線にさらされる。納得なんてこれっぽちもしていなさそうだ。

 やばい、めちゃくちゃ怪しまれてる。

 一体どうすればいいんだ? 逃げたらいいのか? いやでも、逃げたら逃げたでますます怪しい!

 混乱しきった僕に女の子は、不意に背を向けた。

「付いてきなさい。あたしもちょうど、行くところだから」

 そう言い残すと、彼女は颯爽と歩き出した。

 思わぬ言葉に、僕はその場に立ち尽くす。しかし、彼女の背中が少しずつ遠ざかり、雑踏に紛れようとしたところで、はっと我に返る。

「ま、待って!」

 大慌てで彼女の背中を追った。


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